第四話 憐憫の仔(3)


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 新入部員がチームに正式に合流してから、早くも三日が過ぎていた。

 地区予選の抽選会は十日後に迫っている。予選は短い日程で続くため、固定メンバーで戦い続けることは難しいが、ある程度、主力を固める必要はあるだろう。

 その日も練習が終わった後、選手の体調管理をおこなっていると共に、先生の下でメンバー選考のミーティングをおこなうことになった。

 打ち合わせを終え、華代と一緒に通学かばんを置いた部室へ戻ると、時刻は午後九時になっていた。去年は毎日この時刻まで練習していたけれど、今は七時前には部活が終了する。

 おりには先に帰るよう言ってあったのだが、グラウンドでは照明をつけての居残り練習が続いていた。けいろうさん、常陸ひたちもりこし先輩の姿も見える。

 三年生の文系首席である森越先輩は、いつも先頭に立って練習をおこなっているものの、実力が伴わず、以前はその真面目さを粗野な先輩たちによくちようしようされていた。しかし、伊織のパートナーとして世怜奈先生が最終的にCBに指名したのは、ほかならぬ彼だった。

 スピードやテクニックはなくとも、森越先輩にはひたむきな情熱と集中力がある。真面目で研究熱心な彼には、戦術を理解する力もある。連携を重視する世怜奈先生らしい決定だった。

「よお、遅かったな」

 華代と並んでグラウンドへ出ると、いち早く僕らに気付いた伊織が手を上げた。

 四人の立ち位置を見る限り、セットプレーの練習をしていたのだろう。

 新チームでセットプレーのキッカーに指名されたのは圭士朗さんである。左足で直接狙える位置ならばづき先輩が蹴ることもあるが、基本的には長短のセットプレーも、左右のコーナーキックも、圭士朗さんがキッカーを務めている。状況を把握して球種を蹴り分けられる技術と頭脳が、ばつてきの決め手だった。

 攻撃陣の選定にはきよくせつあったものの、最終的に先月、ワントップにぜん常陸ひたちが指名されることになった。すい島の出身で、中学時代にサッカーを始めた常陸はDFデイフエンス志望だったが、バスケットボールをやっていたことに起因する空中戦の強さと空間把握能力を買われ、FWフオワードにコンバートされたのだ。

 最前線で常陸がボールを散らし、二列目の三馬鹿トリオ、だかとリオの力で得点を奪う。まだ迫力不足は否めないけれど、これが現在の攻撃スタイルだった。

「こんな時間まで居残り練習なんて珍しいね」

 部活終了後の個別練習には規定が設けられていない。シュート練習などの個別トレーニングは、各自の裁量に任されている。三馬鹿トリオや葉月先輩はいつも速攻で帰っていくが、伊織たちは大抵、一時間ほどの居残り練習をやっていた。

「伊織が二人の帰りを待つって言うからさ。練習に付き合ってもらってたんだ」

 森越先輩が笑顔で答える。

「先輩、表現が間違ってますよ。付き合ってもらってたのは俺らの方です」

「そんなことないだろ。俺、伊織の足を引っ張らないように必死なんだ。年齢は上でもプレーじゃ敵わないからな。迷惑をかけないように必死でついていかないと」

「だからやめて下さいって。俺だって頼りにしてるんですから、自信を持って下さい」

 伊織はフォローしているが、実力差を考えれば先輩の言葉は卑屈なだけのものではない。

「なあ、ゆう。世怜奈先生って本気で今の構成を続けるつもりなのかな」

 言い出しにくそうに口を開いたのは常陸。

「どうしてそんなことを聞くの?」

 不審の眼差しを浮かべて、横から問い質したのは華代だった。今日も彼女の膝には絆創膏が貼られている。相変わらず、よく転んでいるのだろうか。

「やっぱり自信がないんだよ。もっと上手い奴がいるのに、何で俺がFWなんだろうって」

 常陸はワントップに指名されて以来、その重責に胃を痛め続けていた。空中戦には無類の強さを見せるし、懐が深く、ボールを収めることも散らすことも得意なのだが、いかんせんゴールに迫る迫力が欠けている。ドリブルも苦手としているし、シュートも同様だ。ここ十試合で二点しか取れていない得点能力の低さを、日々、嘆いている。

 先生は常陸をエースストライカーとして据えたわけではない。恵まれた身体を使ってのポストプレーを第一に求めている。そういう意味では及第点の働きをしていると思うのだが……。

「前も注意したけど、そういう考え方はやめて。先生は常陸を外すことは考えていない」

 強い口調で華代が叱責する。

「常陸にしか出来ないことがあるから指名されたんでしょ。自分を疑うのは先生に対しても失礼だよ。森越先輩もそうです。足を引っ張っているなんて意識を持たないで下さい。全員がピッチに立てるわけじゃありません。卑屈な気持ちでプレーされるのは不愉快です」

 世怜奈先生と華代は多分、根底の部分で似ているのだ。どちらも普段は好戦的とはほど遠い性格をしているくせに、ことサッカーの話になると感情が隠せない。

「華代の言うことも分かるけど、シュートを外す度に落胆されるのが辛いんだよ。味方が繫いでくれたパスを、いつも俺一人が台無しにしているみたいでさ」

 きっとセルフィッシュな性格の方が前線には向いているのだろう。

 周りに頼らずにゴールを奪いにいく姿勢、何度もチャレンジを仕掛ける勇気、FWにはそういった強引さも必要だ。

「なあ、優雅。何を練習したら、お前みたいにプレー出来るようになるんだろうな」

「常陸の長所と僕の長所は違う。単純に真似しても意味がないよ。ただ、常陸に自信を持ってもらうことは、チームにとってプラスになるはずだしね。少し時間をもらって良いかな。もしも僕が常陸だったら、どんなことを心掛けるか。分析して具体的な指針を出してみたい」

「それ、助かるな。穂高とリオは毎回違うことを要求してくるから、合わせてやりたくても、こっちが混乱してしまうんだ。きちんと信じられる指針が欲しい」

 プレー出来なくなってからの方が、仲間の信頼を実感出来るようになったなんて、本当は皮肉な話なのだろうか。かえでは今も変わらずに敵愾心を向けてくるが、ほかの仲間たちは走れもしない僕のアドバイスにいつも真摯に耳を傾けてくれる。

 それは同級生だけでなく先輩たちも同様だ。SBサイドバツクに入ったチームの主力、おにたけ先輩と葉月先輩の二人に協力してもらい、僕は現在、新しい作戦を組み立てている最中である。大会に切り札として投入するため、コーチとして幾つかの作戦を水面下で準備し始めていた。


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