第四話 憐憫の仔(2)ー2
本日、伊織と圭士朗さんは定期健診のために、僕は右膝の治療のために、病院を訪れている。
僕は高校に入学する前から怪我を頻発していた。それにも関わらず、致命的な負傷に至るまで練習をやめさせなかった主治医にも、恐らく問題がある。世怜奈先生にセカンドオピニオンを勧められ、結果として、僕は通院先を昨年の秋から校倉総合病院へ変えていた。
左膝前十字靭帯の断裂はほぼ回復しているものの、右膝の状態は今も芳しいとは言えない。
松葉杖無しで日常生活を送れるようになったが、体育の授業は欠席している状態だ。
三人それぞれに検査を終え、病院を出ると、西の空が
「
駅へと向かう道中、不意に圭士朗さんがそんなことを言ってきた。
「出掛けに三人で病院へ行くって言ったら、遊びに来て欲しいって弟たちが言い出してさ。母親もその気になってるんだ。優雅は今日も夜は一人だろ?」
二年生に進級する際、僕は理系に進んだ圭士朗さんとクラスが分かれている。だが、共に過ごした一年という時間は、親友と呼んで差し支えないだけの信頼関係を生んでいた。圭士朗さんも僕の家庭環境はよく知っている。
「ありがたい誘いだけど、迷惑じゃないの?」
「うちは兄弟も多いし祖父母もいるからさ。二人くらい増えても誤差だよ」
「優雅はともかく俺はすげえ食うぜ。本当に良いのか?」
「大したもてなしも出来ないけど、伊織が来てくれたら弟も妹も喜ぶと思う。春休みの試合を見て以来、皆、すっかり伊織のファンなんだ」
圭士朗さんは六人兄弟姉妹という近年では珍しい大家族の長男である。春休みにおこなわれた四校での合同練習試合に、
電車に乗って向かった九条家は、築年数の想像もつかないような古い長屋で暮らしていた。
十人という大家族で暮らす彼らの生活レベルは、決して高いものではない。家に上がってすぐに、それが見て取れた。
圭士朗さんは入学以来の学年首席である。すべての公立高校に進学可能だったはずだし、あえて私立を選んだのはお金に余裕があるからなのだと思っていたけれど……。
「一つには特別奨学生の制度があったからだよ。俺、授業料が四分の一になってるんだ」
大部屋に案内された後で、赤羽高校に進学した理由を問うとそんな答えが返ってきた。
「一つってことはほかにも理由があるの?」
「子どもの頃から、冬の高校選手権が大好きだった。世怜奈先生は選手権にばかり注目が集まることを非難していたけど、有料放送に加入する余裕がない家は、そもそも観戦出来るサッカーの試合が限られる。夢中になれるのは大抵、代表戦か高校選手権さ」
「毎年テレビで見ていたからだろうな。国立がなくなっても冬の舞台に憧れてる。だけど、大抵の進学校じゃチャレンジ出来るのは二回までだ。インターハイ予選が終われば三年生は引退するからな。
「圭士朗さんは三年の選手権予選にも挑戦するつもりってこと?」
予選は十一月まで続くし、仮に本選に出場したなら、戦いはセンター試験のある一月だ。
「俺は将来、医者になりたいって思ってる。でも、うちの家を見て分かる通り、金銭的な余裕はないんだ。一人暮らしで県外に出るなんて不可能だし、私立になんて間違っても進学出来ない。選択肢は一つだけ。地元国立大学の医学部だ」
国立大学はあらゆる学部の授業料が一律である。授業料は独力で稼げない額でもない。
「俺は三年になっても高校選手権を目指して部活を続けたい。ただ、その場合は受験生としての夏も秋も捨てることになる。それで、問題を解決するために辿り着いた答えが、一年生の段階から評定平均を稼いで推薦をもらうことだった。美波高校には理数科があるし、奨学生制度も魅力的だったんだけどな。あっちは医学部への推薦枠が私立の
美波高校の理数科は、日本海側で最難関の入学難易度を誇る。しかし、圭士朗さんの口ぶりから推測するに、学力試験は彼にとって、そもそもハードルにすらならないのだろう。
「赤羽高校には国立医学部への推薦枠が一つある。理系で首席の座を三年の夏までキープ出来れば、そいつが手に入るってわけだ。受験なんて気にせずに最後までサッカーを続けられる」
中学生の段階で、そこまでのことを計画していたのか……。
高校選手権を目指す執念もさることながら、家族に迷惑をかけず、自らの夢も捨てずに、思い描いた道を歩み続けるというのは、圭士朗さんにしか出来ないクレバーな生き方だった。
「優雅が怪我で離脱した時は本当にショックだった。中学の頃からお前は特別だったからな。同じチームになれたって知った日は、一晩中眠れなくなるくらいに興奮してしまった。本気で高校選手権に出られるかもしれないって思ったんだ」
圭士朗さんは自嘲気味に笑う。
「ただ、俺は今のチームも好きだよ。世怜奈先生の選んだ戦い方は、正直、
僕は親に先立たれ、家族の愛情さえ失ってしまった可哀想な子どもだけれど。
昔から友達にだけはこんなにも恵まれている。
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