第四話 憐憫の仔(2)ー1


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 レッドスワンの首は既に断頭台の上に乗せられている。

 地区予選の開戦まで、気付けば残り一ヵ月となっていた。


 昨年の九月に始まった十校との練習試合も、今は遠い昔の出来事である。

 一巡目では十試合目まで一度も勝てなかったのに、三順目を迎えると、レッドスワンは十試合を無敗で走破することになった。得点力不足に起因するスコアレスドローは何度もあったが、強固な守備を構築したレッドスワンは、目指すべき鉄壁のチームに生まれ変わっていた。

 現在のレッドスワンは部員数も少なく、じゆんたくな戦力を有しているとは言い難い。しかし、まいばらは入念な準備と戦術で、チームを勝利へと導いていった。

 知性でチームは生まれ変わる。どんなに強い相手とも戦術次第で対等に戦うことが出来る。

 そんな事実に心が高揚し、たかつきゆうの中で革命にも似た変化が起きる。

 僕も自分のアイデアでチームを強くしたい。

 この仲間たちと共に、かいせい学園やなみ高校を倒したい。

 気付けば、自然とそんな願いを抱くようになっていた。


 雪の多い年は豊作と言われるが、厳冬を越えて迎えた四月。

 あかばね高校サッカー部の新入部員は、驚くほどに少なかった。

 私立高校では毎年、熱心な入学説明会がおこなわれる。そこで学校の特色が声高にアピールされるわけだが、昨年度の説明会で、サッカー部に対する注力の転換が明言されていたらしい。とは言え、入学式直後には十名を超える一年生が集まったし、中には中学時代に対戦した記憶の残る、即戦力レベルの生徒の顔もあった。しかし、レッドスワンが理事会に課せられた条件を知ると、ほとんどの生徒が入部を思い留まってしまう。過去二十年、三十人を切らなかった新入部員が、今年は三人しか入らなかった。

 それでも不幸中の幸いで、チームには最も望んでいたGKゴールキーパーの加入があった。

 昨年、レッドスワンではチーム随一の問題児、さかきばらかえでがGKにコンバートされている。

 身長とリーチは言わずもがな、身体能力でも楓は一流である。俊足で守備範囲が広い上に、反射神経もずば抜けており、良い意味でも悪い意味でも絶対にひるむことがない。

 実力者の言葉は、たとえ暴言でも無視されない。味方に対する楓の要求は、ぞうごん混じりの無茶苦茶なものが多かったが、守り切ってしまうのだから従わないわけにもいかない。当初、DFデイフエンスにコンバートされたおにたけ先輩とおりは、何度となく楓と衝突していたが、練習試合の結果に成果が伴うにつれ、言い争うことも自然となくなっていった。

 だが、大会にたった一人のGKで挑むわけにはいかない。体調不良、予期せぬ怪我、試合中には退場の可能性もある。チーム内で練習試合をするためにも、控えGKは絶対に必要だ。そんなわけで一年生のGK、あいおうろうの入部は大歓迎されることになった。


 九月に新チームが結成され、二年生と三年生は既に七ヵ月のトレーニングを積んでいる。

 世怜奈先生は十チームとの練習試合を、週に二回のペースで組んでいたが、四順目を前に再び動く。十校との練習試合を打ち切り、新たに二十校との練習試合を約束してきたのだ。

 生徒会から配分される予算は、暴力事件の余波を受け、前期から三割削減されている。しかし、監督の親族であるまいばら一族から、使途をサッカー部に限定した寄付金が寄せられており、使えるお金は十分過ぎるほどにあった。

 冬季期間も屋内練習場を使って試合は継続され、チームは着実に経験値を積み上げていく。

 各地のリーグ戦がおこなわれない時期であれば、練習試合を休日にも組むことが出来る。年明けからは、対戦相手が県外にまで及ぶようになっていた。

 攻撃陣のレギュラー候補が定まり始めたのも、その頃からだった。

 僕らの学年にはサッカー推薦で入学した生徒が三人いる。GKとなった楓はもちろん、残る二人のだかとリオも、やはりその実力は頭一つ抜けている。決定力のあるリオがトップ下に、ドリブルの得意な穂高がウイングに固定され、攻撃陣は精査されていくことになった。

 現在、チーム作りは佳境を迎えている。得点力不足が理由で勝ち切れない試合も多いものの、新生レッドスワンは三月以降、一度も敗戦を喫していない。

 トーナメントで負けないためのチーム。目標とする形に確実に近付いていた。

 四月十二日、日曜日。

 はなぐもりの下で午前の練習を終え、伊織、けいろうさんと共にあぜくら総合病院へと向かった。

 高級スパイクを買っても足は速くならない。素地の良いユニフォームを纏っても身体は軽くならない。しかし、お金で実力を向上させる術がないわけではない。

 校倉総合病院、東棟の二階入口には、整形外科とリハビリセンターの受付が設置されている。それらを通過した先に、『メディカルフィットネス』の看板が掲げられていた。

 昨年の十月に有言実行の采配で連敗を止め、世怜奈先生は完全にチームに受け入れられることになった。そうやって信頼を勝ち得た後で、彼女が最初に示した強化案が、舞原家ようたしのこの病院に、選手たちを連れてくることだった。

 体組成計などの計器を用いて肉体を構成する成分の詳細を調べ、プロのトレーナーにより、生徒ごとに科学的なパーソナルプログラムが組まれていく。

 筋肉の量と硬さ、関節の柔軟性、背骨や骨盤の向き、人間はそれぞれに姿勢や癖が違うため、すべての要素が個々に異なってくる。おかしな癖があるなら、それを改善しない限り、怪我をしやすい部位は再発を繰り返すし、積み重ねたトレーニングがあだとなることもある。

 筋肉というのは、つければ良いというものではない。筋肉バランスの不均一は異変発症の要因となり得るため、必要な部位に必要なだけつける必要がある。成長段階ならば、なおのことそうだろう。適正量は体格や求められる動きによっても異なってくる。

 前監督の指導下では適切なトレーニング法を学んだことがなかった。結果として、僕は大いなる代償を払ったわけだが、世怜奈先生は就任以来、知性を伴ったトレーニングの重要性を嫌というほどに強調している。専門家による分析を経て、一人一人にトレーナーが作成した個別のメニューを用意する。それが現在のレッドスワンのやり方だった。


 毎日、全員が共通のメニューをこなすなんて、考えてみれば馬鹿げた話だ。それなのに世怜奈先生に指摘されるまで、僕らはそんな当たり前の意識さえ抱けないままだった。

 上級生がこなす練習メニューの後を必死になって追う。振り落とされないように、吐いても、眩暈めまいに襲われても、ついていく。血反吐を吐くような日々の中で、練習についていけずに辞めていく者は沢山いた。僕のように文字通りの意味で壊れてしまう者もいた。そんな練習は完全に、言い訳のしようもないほどに、間違いだったのだ。

 楽しくなくては集中力が続かない。面白くなければサッカーの意味がない。そう信じている世怜奈先生は、毎日メニューを変えることで、練習の鮮度が落ちることを避けている。

 しかし、最低限のフィジカルトレーニングは絶対に必要だ。スタミナが必須の競技では、有酸素運動も戦術練習と同等の価値を持つ。だが、新生レッドスワンでは朝練が廃止になったし、放課後の練習も二時間以内と定められている。ランニングなどのウォームアップ以外の時間は、ほとんどが戦術練習に費やされる。

 では、作成された個別のメニューは、どうやって消化するのか。

 使用されることになったのは、スマートデバイスだった。全生徒に端末が渡され、トレーナーに組んでもらった四十五分のメニューを、毎日、各自が動画撮影と共にこなす。動画はクラウド上で共有され、管理者によって確認されていく。

 このやり方なら、誤った姿勢でおこなわれたトレーニングには即座に指導が入れられる。過負荷についても随時、適正な変更を加えることが出来る。クラウドに保存された動画のチェックは、引きこもり中という先生のいとこ、まいばらさんという方がおこなっており、その人物の協力を得て、選手のトレーニングは完璧に管理されていった。

 筋力がつけば出来ることが増えるし、怪我をすればケアのための変更が生じる。病院での検査は定期的に実施され、既に全員が十回以上メニューを改良されていた。

 動画を使用した管理には、トレーニングをさぼらせないという目的もある。システム導入から三日も経たない内に、ナルシストの代名詞、づき先輩は日付をいじって過去の動画を提出したが、即座に見破られ、普通にさぼった三馬鹿トリオと共にペナルティを受けていた。

 世怜奈先生はルールを破った人間に対し、練習後に二時間の強制補習を義務付けている。偏見かもしれないが、ルールを破るような人間には学力の低い者が多い。赤点常習犯に強制補習を課すとなれば、それを非難する人間など当人以外に現れない。

 しやくな葉月先輩や怠惰なかえでは、幾度となくトレーニングを誤魔化そうとしたが、その度に罰をくらい、パブロフの犬のごとく大人しくなっていった。監督に逆らうと余計に不利益をこうむる。一ヵ月もしない内に、従順こそが一番楽な道だと理解するようになったのだ。

 監督が交代したことで、肉体的にも精神的にも随分と部活動は楽になった。誰もが当初はそう思っていたことだろう。しかし、次第に皆、それが甘い考えだったことに気付き始める。

 筋力が上がったと判断されれば、即座にメニューが改良される。

 肉体の検査は病院で定期的におこなわれているから、誤魔化しも利かない。故障した場合は休息を義務付けられるが、その場合でもサッカーに関する頭脳を使う課題が用意される。

 冬が終わる頃には、肉体的にも相当にハードな戦術練習が組み込まれるようになっており、誰もが練習にギリギリでついてこられるよう、数ヵ月間で鍛え抜かれていた。


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