第三話 愚者の忠誠(2)ー2
「高校サッカー界でアイドル扱いされているあいつよ。私、大した実力もないくせに、メディアに祭り上げられている奴を見ると、
「……誰のことを言ってるんだ?」
「今、高校サッカー界で一番持て囃されている人間のことだよ。楓には誰か分からないの?」
「……
「何だ。やっぱり分かってるじゃん」
昨年の選手権覇者で、今年のインターハイ王者でもある鹿児島青陽高校には二人の有名人がいる。若き名将、
父を優勝監督に導いた孝行息子として、鈴羅木槍平には昨年の高校選手権で多くのスポットライトが当たっていた。GKの彼は絵になるため、チームのピンチを救ったセーブの場面が、スポーツニュースでも繰り返し流されていたことを記憶している。
「何であんたが鈴羅木なんか気にしてんだよ。知り合いか?」
「まさか。会ったこともないよ」
「じゃあ、何で腹を立ててんだ? 関係ねえだろ」
「大した実力もない奴が、ちやほやされている状況が最高にむかつくの」
「さすがに実力はあるだろ。どっかのクラブの特別指定選手になってるって雑誌で読んだぜ」
世怜奈先生は呆れ顔で溜息をつく。
「楓って優雅のことが嫌いだよね。それってさ、自分より実力が下なのに、優雅ばかりが皆に認められていることが気にくわないからじゃないの? 私も同じ。今の高校サッカー界には、鈴羅木なんかより遥かに実力がある子がいるのに、あんな平凡な選手がアイドル扱いされているのが許せない」
「だから誰の話をしてんだよ。そんな奴、俺は知らねえっつーの」
苛立ち紛れに楓は吐き捨てる。
「じゃあ、質問を変えようか。鈴羅木槍平と
「頭に虫でも
「フィールドで勝負したら優雅の圧勝に決まってるでしょ。そうじゃなくて、もしも優雅がGKとしてトレーニングを積んだとしたら、どっちが勝つと思うかって聞いてるの」
掘り下げられた質問に対し、五秒ほど黙考した後で、
「優雅に決まってんだろ。GKで勝負しても話になんねえよ。こいつを倒せるのは俺だけだ」
……まさかそんな回答が返ってくるとは思わなかった。日々向けられていた、ありったけの憎悪と等分の熱量で、僕は楓に高く評価されていたらしい。
「優雅本人にも聞いてみようか。率直なところ、鈴羅木槍平は自分より上だと思う?」
「……さあ。分かりません。会ったこともないですから」
「それ、少なくとも負けてるとは思ってねえってことじゃねえか。自惚れやがって」
楓に毒づかれるのはいつものことだ。何を言っても彼には難癖をつけられる。
「私も楓と同じ確信をしているよ。GKで勝負したって優雅が負けるとは思わない。ううん。優雅だけじゃない。もう一人、どう考えても優雅以上に有能な選手がいる」
「だから、さっきから誰の話をしてんだよ。訳の分かんねえことばかり言いやがって」
さすがにここまで来れば、僕でも次の流れは読めるのだが……。
「案外、天才って自分のことには気付けないものなんだね。当代のナンバーワンGKは、鈴羅木槍平でも高槻優雅でもない。間違いなく榊原楓よ。私はそう確信している」
楓の細い目が大きく見開かれる。どうやら本当に、この流れが読めていなかったらしい。
「鈴羅木槍平は高校二年生、百八十一センチよ。楓、君の身長は?」
「百八十六だよ。まだ伸びてるけどな」
「楓は手足が長いから、リーチにすれば十センチは上でしょうね。しかも君はまだ大きくなる。GKにとってリーチの長さは、それだけで何物にも代え難い才能だよ」
しかめっ面のまま、楓は先生の話に耳を澄ましていた。
「選手権の特番を見たけど、彼は身体能力の高さをピックアップされることが多かった。百メートルを十二秒台前半で走れる足は、GKなら立派かもしれない。でもさ、楓は十一秒台で走れるでしょ? よく考えてみて。楓が劣る能力って何か一つでもある? 彼はキックの精度も売りにしているけど、
「確かに言われてみりゃ、負ける気はしねえけど」
まんざらでもなさそうな顔で楓は呟く。
「性格だってそう。父親の監督が、優しい息子は仲間から慕われていて、チームのまとめ役ですって言っていたけど、優しさって必要? むしろ邪魔じゃない? GKは相手を妨害するのが仕事だよね。私は楓の底意地の悪さも、執念深さも、ふてぶてしいまでに自信過剰なところも、全部、最高だって思ってる。性格が悪くて、好感度が低くて、何が悪いの? それでこそ守護神じゃない」
完全に悪口にしか聞こえないのだが、楓は何故か薄ら笑いを浮かべ始めていた。
「ねえ、想像してみて。チームの全員が無様に突破された後で、君が敵エースの前に立ちはだかる。そして、たった一人の力で、シュートを止めるの。皆、心の底から感謝するでしょうね。その時にこそ、言い放てば良いのよ。『役立たずの愚民どもが、俺様に感謝しろ』ってね。だって事実、相手を止めたのは楓なんだもの。考えるだけで、わくわくしない?」
「……悪くねえな」
あごの辺りを
「私には見える。レッドスワンが全国大会に出場し、ことごとく相手のエースを止め、高笑いをする楓の姿がね。サッカーの中継はカメラが中央からフィールドを捉えているから、GKは顔が映し出されるの。楓のファンが全国中に溢れると思う。これは女としての率直な意見だけど、GKってもてるんだよ。ゴールマウスのように私も守って欲しいって期待しちゃうから」
僕には先生が口から出まかせを吐いているようにしか思えないのだが、楓は真剣な顔で聞き入っていた。
「レッドスワンは全国では弱小校だから、絶対に何度も最終ラインを突破される。その度に楓が救世主として立ちはだかるのよ。これ以上に燃える展開は想像出来ない」
「……世怜奈先生」
「何?」
「悪くないぜ。あんたのその想像力、俺は嫌いじゃねえ」
何だか物凄く良い感じの笑みを湛えて、楓は拳を手の平に叩き込む。
「ようやく分かったぜ。あんたが言ってた、優雅に勝つたった一つの方法って奴がな」
「そうよ。GKとしてなら楓が劣っている部分なんてなくなるの。チームプレーも必要ないわ。だって、これからは皆が楓の要求に合わせるんだから。もう本当に好きにして良いの。トーナメントで勝つためには、失点しないことより重要なタスクが存在しない。楓の命令で全員が動き、楓がシュートを止めるためだけに、皆は身体を投げ出すの」
「悪くねえ。悪くねえよ。……いや、むしろ最高だぜ」
屋上のフェンス越しに、楓は第一グラウンドを見下ろす。
「奴ら生ゴミどもが俺の手足となって動くってわけだな。くっくっく、興奮してきたぜ」
リアルにそういう笑い方をする人間を初めて見た気がする。
「改めて聞くわ。新チームのGKに、私たちの守護神になってくれるかしら?」
「ああ。任せろ」
一秒と間を置かずに、楓は力強く断言した。
「先生、あんたに極上の夢を見せてやるよ。俺は高校サッカー界の頂点に立つ!」
僕たちが自分たちの真の姿に気付くのは、もう少しだけ後の話になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます