第三話 愚者の忠誠(2)ー1


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「ランナウェイを肉眼で確認。かえでがハートをブロークンしたらノットイージーだぜ」

 視聴覚室からさかきばらかえでが脱走し、第一声を上げたのはリオ・ハーバートだった。

 リオはニュージーランド人だが、五歳から日本で暮らしているため、何の問題もなく日本語を操れる。それなのに会話の中に妙に横文字を入れたがる鬱陶しい男だった。

「もう絶対、帰って来ないな。ガキだから」

 あいづちを打ったのは、同じく三馬鹿トリオのときとうだか

「二人は楓が何処に逃げたか分かる?」

「屋上じゃない? あいつ、高いところから人を見下すのが好きだし」

 穂高は背が低いが、現在のチームでナンバーワンの俊足である。しかし、身体の切れとは裏腹に、抜群の学力の低さを誇る。

 小学生の頃、ジャングルジムのてっぺんで逆立ちをし、頭から落下したせいで、人間的な成長が止まってしまったというもっぱらの噂だ。頭の傷痕を合宿で皆に見せていたし、あながち冗談でもないのだろうか。

「てかさ、ティーチャー。俺と穂高のポジションは? 楓がGKに下がるなら、トップ下やりたいんだけど。アイ・アム・アンダー・ザ・トップ!」

 母語が英語のくせに、やはり三馬鹿トリオの名はではないようだ。『トップ下』は日本独特の概念であり、英語圏では“Attackingアタツキング midfielderミツドフイルダー”と表現されるはずである。

「さっきも言ったけど、現時点でレギュラー候補として考えているのは五人だけだよ」

「俺はレギュラーじゃないってこと? 有り得なくない? ザッツ・トゥー・バッド!」

『最悪だ』と言いたかったのだろうが、その慣用句の意味は残念ながら『お気の毒に』である。

 リオはへそを曲げると面倒な男だ。サイズも実力もあるのに、前監督の下でレギュラー入りを果たせなかったのは、ひとえにメンタル的な浮き沈みを懸念されていたからだろう。

「リオ、よく考えて。花形ポジションを簡単に決められるわけがないでしょ。美味しい攻撃的なポジションは全部残ってるんだよ。リオはレギュラーに選ばれていないんじゃない。やってもらいたいポジションが沢山あり過ぎて、まだ選べていないのよ」

「何だ。そう言うことか。アイ・シー。そういうことなら仕方ない」

 ものは言いようである。世怜奈先生は守備からチームを作るために、有能な人間をこぞって後方にコンバートしている。どう見たって前線は後回しにしているわけだが、単純なリオはあっさりと納得してしまっていた。

「皆にはこれから残りのポジションを争ってもらうことになるけど、その過程で、暫定的に決めたレギュラーの座を誰かが奪い取ることも考えられる。私たちの運命を決める戦いまで、あと半年。猶予期間は決して長くない。着実に土台から築いていきましょう」

「土台を築くも何も、その前に最大の問題があるだろうが」

 あきれたような声で遮ったのはおにたけ先輩だった。

「楓をGKにコンバートするって案は、考えてみりゃ、色んな意味で名案な気がするけどな。肝心のあいつが首を縦に振ってねえじゃねえか。その時点で計画はご破算だろ」

「大丈夫だよ。問題ない。こういうピッチ外での事案は、監督の腕の見せ所だしね」

 何か秘策でもあるのだろうか。楓の説得なんて考えるだけでうんざりするような作業なのだけれど、世怜奈先生は自信に満ちた眼差しを見せている。

「そろそろ練習に入ろうか。私は楓を説得に行くから、練習の指揮はに任せるわ」

 世怜奈先生は机の上で資料の角を揃えてから、真剣な眼差しで鬼武先輩を見据えた。

しんすけ、約束通り、次の試合で負けたら、私は責任を取って監督を辞任する。その代わり、もしも結果を残せたなら、その時は君にも認めてもらう。このチームの監督は私だし、君には私の大切な選手の一人になってもらわなきゃならない」

「そういう話は結果を出してからにしろよ。あんたが本当に有能な監督なら、論議なんて不要だ。従わない理由がない。心配しなくても手を抜くつもりもねえよ。どんな状況だろうが、これ以上、負け続けるなんて耐えられねえ。右SBの仕事はきちんと務めてやる」

 鬼武先輩の言葉に、世怜奈先生は満足そうに頷いて見せた。


 部員たちをグラウンドに送り出した後で、世怜奈先生と共に屋上へと向かう。

 あの楓を説得するなんて本当に可能なんだろうか。

 屋上へと続く扉の前に立つと、窓の向こう、曇天の下に佇む背の高いそうが見えた。

「さて、じゃあ、扉を開ける前にコーチに質問。ゆうならどうやって楓を説得する?」

「即答で申し訳ないんですけど、絶対に無理ですよ。あいつ、僕のことを嫌っているし、そもそもまともな話し合いが出来るような人間じゃないです」

「でも、それじゃ困るんだよね。何が起こるか分からない。それが人生ってものでしょ。例えば明日、私が階段から転げ落ちて、首の骨を折って死んだらどうする? その時は、優雅がチームを指揮することになるんだよ。不可能と思えるタスクでも突破口を見つけなきゃ」

「その前に階段から落ちないで下さい。その頰の擦り傷って、もしかして……」

「これは、お洒落しやれとして、あえて転げ落ちてやったわけだけど、ボールを追いかけて道路に飛び出した子どもを守って交通事故に遭う可能性だってあるし、何が起こるか分からないじゃない。選手を動かす術は色々あるわ。必ずしもこちらの正当性を理解させなきゃいけないわけでもない。そもそも理想的な説得っていうのは、納得させることじゃなくて、その気にさせることだからね。今からお手本を見せてあげる。私のやり方を見て勉強してご覧」

 れんなウインクを見せてから、世怜奈先生は屋上へと続く扉を開く。

 現れた僕らに気付き、楓は憎しみに満ちた眼差しを向けてきた。

「愚民どもが何しに来やがった。半径円周率以内に入ったらぶっ飛ばすぞ」

「ねえ、楓。私にはね、絶対に許せないことがある。どうしても叩き潰したい奴がいるの」

 恫喝を無視して意味深に先生が告げると、楓の眉が動いた。

「……叩き潰したい奴? 誰だよ?」


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