第三話 愚者の忠誠(1)ー2


「はい。三十秒経過。もう答えを変えるのは禁止だからね。じゃあ、正解を発表するよ」

 ただの遊びと分かっていても、サッカーにおける常識を問う問題である。間違えるのは恥ずかしい。結局、僕は『CB』と解答を書いていた。

 スライドが切り替わり、プレーオフにおけるパス本数ランキングが映し出された。選手名の横に、ポジション、出場時間も書かれている。上位に多く並んでいるポジションは……。

「統計を取った結果、トップ30サーテイに占める割合が最も高かったポジションはSBです」

 正解が発表され、溜息にも似た歓声が広がる。その反応で分かってしまった。皆、答えを間違えたのだろう。僕もSBは候補に考えなかった。ボールは中央に集まると思ったからだ。

「トップ30にSBは十一人が入っている。次点はボランチで九人。三位はCBで六人。これで二十六人だね。じゃあ、正解者を確認してみようか。SBと解答した人は手を上げて」

 挙手したのはただ一人、一年生の首席、じようけいろうだけだった。彼はSBの選手である。自分が普段からいかに多くのパスに絡んでいるのか、理解していたのだろう。

「毎回、練習試合を録画していたのはデータで考えたかったからなの。私のいとこにって子がいるんだけど、事情があって家にこもっているから、映像を見てデータに起こしてもらったんだよね」

 続いて、レッドスワンのパス本数ランキングがスクリーンに映し出される。練習試合の度に二台のカメラで試合が収められていたが、まさか全試合を見直して集計したのだろうか。

「興味深いことに、私たちのチームでもプロと同じ順位が出ている。本職以外のポジションにコンバートされることもあったのに、一位がSB、二位がボランチ、三位がCB、結果はまったく同じなの。正解した圭士朗さんに質問。このデータから導き出せる結論は何だと思う?」

 口元に手を当て、圭士朗さんはしばし黙考する。それから、

「先生は守備の側面で、ボールを長くキープすることが有効と言っていました。と言うことは、パス精度の高い人間をDFとボランチに重点的に配置するべきということでしょうか」

「そこまで分かっているなら、現在のDF陣の問題も分かるんじゃない?」

「サッカーではテクニックのあるプレイヤーほど前線に集中する傾向があります。DFは最終的にはクリアをしてしまえば良いから、多少、足下の技術がおぼつかくても務まると考えられてしまう。他意のない意見ですが、キックに自信がない者ほどDFを志望する印象があります」

「私もその通りだと思う。だけど、トーナメントに勝ちたいなら、まずはDFに主力を配置しなければならない。だから、私は大幅なコンバートを敢行する。最もパスが集中するSBがボールを失うようでは話にならないからね。SBに求めるのは、絶対的なキープ力と組立ての起点になれる展開力よ。加えて、縦への推進力と上下動を繰り返せるスタミナも欲しい」

 言いたいことは分かるが、要求が高過ぎるのではないだろうか。十一人すべてに高水準を期待するなんて、高校の部活動では……。

「SBは基本的に対峙する前方と片側サイドからしかプレスを受けない。ボールを落ち着かせるための起点を作るという意味でも最適のポジションだわ。以上の点を踏まえて、私は右SBにおにたけしんすけ、左SBにしろさきづき、二人の二年生を指名したい。異論はあるかしら?」

「次の試合で負けたら、あんたはチームから消えるんだろ? 最後くらい従ってやるぜ」

「俺も構わないよ。SBが最重要だと言うのであれば、むしろ左は俺以外に有り得ない」

 葉月先輩はまんざらでもないといった表情を見せていた。自分自身に常に酔っている男だし、SBの重要性がこれだけ説かれた後なら、指名されて悪い気もしないだろう。

「それで、俺たちをSBにコンバートするのは分かったが、肝心のCBはどうするんだ?」

「高さ、スピード、強さ、三つを兼ね備えている選手が、うちのチームには何人かいる」

 レッドスワンで百八十センチを超える選手は全部で六人だ。身長が高い順に、伊織、常陸、リオ、かえで、圭士朗さん、森越先輩である。しかし、常陸や森越先輩にはスピードがないし、線の細い圭士朗さんはパワー面に不安がある。残る三名は……。

「伊織、楓、リオはCBとして最高の素材だと思う。でも、楓とリオにCBは務まらない」

「別にやりたくもねえけど、一応、質問するぜ。何でだよ」

「楓は判断力が著しく低いからだよ。リオは自覚もあると思うけど集中力の問題ね。プレーにむらが有り過ぎるの。CBに何よりも求められる知性が、二人には欠けている」

 知性という言葉を聞き、楓とリオは露骨に目を逸らした。

「CBにはピッチを広く見通した状態で、考えるための時間が十分に与えられている。伊織のような秀才タイプにこそ、うってつけのポジションなの」

「ちょっと待って下さい」

 世怜奈先生は確信と共に断言したが、僕はその案に素直に頷けなかった。

「鬼武先輩と伊織を同時にDFに下げてしまったら、どうやって点を取るんですか?」

 次年度は推薦入学がなくなるから、即戦力の新入生に期待出来ない。僕らの学年の推薦組である三馬鹿トリオを前線に並べても、彼らの連携なんてあってないようなものだ。

「じゃあ、その点についてもデータで考えてみようか。これを見て」

 スクリーンが切り替わり、練習試合におけるゴールとアシスト数の一覧が映し出される。

 チームが積み上げたゴール数は、九試合で十一点。最多得点者は三点を取ったFWの伊織と鬼武先輩。次点はトップ下を主戦場とする楓で二点。残りは三人が一点ずつ取っていた。

「ほら、実際、鬼武先輩と伊織で半分以上のゴールをあげているじゃないですか」

「数字だけを見ればそうかもしれないね。でも、問題は一連のゴールが、どんな形で生まれているかだよ。華代、最初の動画を流して」

 試合映像を編集したのだろう。スクリーンに伊織のゴールシーンが映し出されていく。

「百聞は一見にかず。分かったかな。伊織の得点はね、すべてセットプレーからのゴールなの。一度も流れの中からゴールを奪えていない」

 コーナーキックからのヘディングが二本、フリーキックからの零れ球を押し込んだものが一本。それが伊織の三得点だった。

「伊織には魅力的なゴールへのきゆうかくがあるけど、同時に致命的な欠点もある。それは、子どもの頃から天才の前でプレーしてきたこと。伊織は最高のパスを受けることに慣れ過ぎているの。だからボールを引き出す動きが上手くない」

 唇の端を嚙みながら、伊織は世怜奈先生の話を聞いていた。

たかつきゆうが後ろにいたから、今までの君は手薄な場所に走るだけで良かった。優雅からのパスを信じて待つだけで良かった。でも、そんなパスを届けられる人間は世界で一人だけだよ。癖も、スピードも、得意な角度も、何もかもを優雅は理解してくれている。だけど、もう高槻優雅はいないの。だから九試合もチャンスがあったのに、一点も流れの中から決めることが出来なかった」

 与えられたチャレンジのための時間は、決して短いものではない。三得点という数字は立派だが、得点パターンを見せられた後では反論のしようもない。

「ただし、この一連のデータは悲観の材料じゃない。図らずも伊織のセットプレーにおける尋常ではない勝負強さが証明されているわけだからね」

「……CBにコンバートされても、俺の得点能力は生かせるってことですか?」

「たった九試合だよ。結論付けるには分母が小さい。だけど、少なくとも私は、きりはらおりのベストポジションがCBだって確信している。このポジションで才能を開花させられたなら、君は高校ナンバーワンのCBにだってなれる。試合の終盤、どうしても追いつかなければならない場面で、パワープレイを選択する時は必ずくるわ」

 サッカーは野球やバレーボールと違い、タイムアップのある競技である。

 勝っているチームがリードを守るために、全員で守備を固めるなんてよくある話だ。中央にぎゅっと集まるように、選手が狭い間隔で守備陣形を組んでしまえば、その間をパスやドリブルで崩すことは困難を極める。そういった場面で選択されるのがパワープレイだ。

 パワープレイとはアイスホッケーに由来する言葉で、空中戦に限らず、前線に人数を増やして仕掛ける分厚い攻めを意味している。サッカーの場合、背の高い選手を前線に残し、ロングパスを放り込む戦術と理解されることが多いが、要するにヘディングからの零れ球の競い合いという、運の要素を戦局に持ち込むことが目的である。

「想像してみて。誰よりも高さのある伊織が、終盤、パワープレイ要因で上がってきたら、相手は凄くこわいよ。しかも、君は生粋のFWとして成長してきた選手だ。私、こんなに素敵な戦術カードってなかなかないと思うんだよね」

「……CBをやりたいとは思いません。それが正直な気持ちです。俺はFWが好きだし、自分に一番合ってるポジションだって信じてきた。だから、素直に頷いたりは出来ないです」

 伊織は真っ直ぐな男だ。自分の気持ちに噓をつくのが苦手な、そういう男なのだ。

「だけど勝つためならチームの決定に従います。自分に出来ることは何でもやります」

「そう言ってもらえて嬉しい。でも、そんなに構えないで。試す時間は幾らでもあるわ。私の目が節穴だったってオチも有り得る。と言っても伊織の能力はデータが既に証明しているんだけどね。一点差で負けたゲームはすべて、大半の時間で伊織がCBに入っていたんだから」

 初戦を除き、練習試合でのポジションは、すべて先生が決めていた。資質を確かめるための布石は、既に打たれていたということなのだろう。

「伊織のパートナーはまだ決められない。だからCBの志望者には、これからレギュラーの座を争ってもらうことになる。今はまだ、皆、横一線だから希望者は頑張ってね」

 世怜奈先生に微笑みを向けられ、DF志望者たちは緊張の面持ちを強くする。

「私は現時点で五人をレギュラー候補として考えている。じゃあ、残りの二人も発表するね」


 レギュラー候補の四人目として名前を挙げられたのは、九条圭士朗だった。もともとのポジションであるSBではなく、DMF、ボランチの一人としてレギュラーに指名される。

 サッカーには『バイタルエリア』と呼ばれる、ボランチの主戦場がある。ペナルティエリアの正面ラインから少し外側に広がる空間で、英単語のvitalが『命に関わる』という意味を持つように、ゴールに繫がるラストパスが出る機会が多いため、そこでの攻防は勝敗を大きく左右する。

 圭士朗さんは練習試合において、SBのほかにボランチとトップ下でもプレーしていたが、パス本数だけでなく、その成功率でもチームトップだった。世怜奈先生はいとこに頼んで、試合のデータを解析したと言っていたが、パス本数やシュート数以外にも、パス成功率、タッチ数、インターセプト数など、様々な数値を集計していたのだ。

 圭士朗さんはパス成功率において、チーム平均の五十八パーセントを上回り、実に九十四パーセントという驚異的な成功率を叩き出していた。チーム二位の葉月先輩が八十一パーセントであることを考えれば、それがいかに圧倒的な数字か分かるだろう。

 バイタルエリアでの不用意なボールロストは、絶対に避けなければならない。その基本的な考え方に沿えば、チームの心臓部に圭士朗さんをコンバートするというのは、誰もが納得の案だった。

 そして、最大のサプライズが最後に発表される。


「ここまで新チームの基本構成について話してきたけど、慎之介、葉月、伊織、圭士朗さん、四人が大車輪の働きをしたとしても、チームが負けないと断言は出来ない。まだ最重要ピースが埋まっていないからね。サッカーではチーム内に周りより偉い人間がいてはいけない。でも、トーナメントに限ってのみ、たった一つだけ例外がある。実力が伴うなら不遜になっても許されるポジションがあるの。楓、君にはそれが分かる?」

 他人のことに関心が持てない性質だからだろう。次々と発表されていくレギュラー候補の名前を、楓は気持ちの入らない顔で聞いていた。自身のパス成功率の低さが発表になった時は、顔を青褪めさせていたが、真剣に話を聞いていた瞬間なんて、あの時くらいなものだ。

「エースじゃねえの? どんだけ点を取られても、それ以上に取り返せりゃチームは勝てる」

 そこで楓は何かに気付いたかのように、目を大きく見開いた。

「……先生、あんた、まさか俺にその大エースになれって期待してるんじゃ……」

「うん。してないから心配しないで。私、叶わない期待はしない主義だから」

 世怜奈先生は食い気味に楓の言葉を否定する。

「私がしているのはエースの話じゃないよ。忘れたの? 優雅でもチームを優勝に導けなかったじゃない。どんなに上手い選手でも、一人の力では勝てない」

「じゃあ、誰だよ。その特別な人間って言うのは」

「トーナメントにおいて唯一、王様でいることが許されるのはGKだよ」

 ……確かに理論上、ゴールを割られない限り、トーナメントでは絶対に負けない。スコアレスドローならPK戦になるが、そこでもキーパーが活躍すれば敗退はない。


「このチームの救世主になれるのは君しかいない。楓、GKをやりなさい」


 世怜奈先生の強い言葉を受け、楓の頰が引きつる。そして、三秒後には……。

「うっせえ、ブス! そんなつまんねえポジション、死んでもやんねえよ!」

 捨て台詞と共に、脱兎のごとく、楓は視聴覚室から逃げ去っていった。


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