第三話 愚者の忠誠

第三話 愚者の忠誠(1)ー1


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「次の試合で負ければ十連敗。約束通り、もしもそうなるようなら監督を辞任します。その代わり、君たちには次の試合で私の指揮に完全に従ってもらうわ」

 先生は教壇上部に備え付けられたスライドスクリーンを勢い良く引き下ろす。

 理事会の決定により、来年のインターハイ予選で決勝に残れなければ、サッカー部は廃部になるという。

 新潟県の二強、なみ高校とかいせい学園はシードの関係で別々の山に配置される可能性が濃厚だから、最低でもどちらかは倒さなければならないということだ。

 チーム状態を鑑みれば、決勝に残るなんて夢物語のようだけれど……。

「意思疎通の出来ていないチームは上手くいかない。最初にコンセプトを共有しようか。攻撃的にいくのか、守備的にいくのか、皆はどちらの戦い方がベターだと思う?」

 あしざわ前監督が目指したのは、ポゼッションを重視する攻撃的なパスサッカーだった。

「私は冬の高校選手権がユース年代の頂点のように捉えられている現状に、大きな疑問を抱いている。予選を含めて、開催時期が遅いせいで、進学校では多くの三年生が参加を前に引退する。受験を犠牲にして戦っても、一発勝負で負けたらすべてが終わる。本来はクラブユースも参加するリーグ戦にこそ注目が集まるべきなのに、いつだって脚光を浴びるのは高校選手権ばかりだよね。奇妙なニックネームを選手につけて、アイドルみたいにはやして、メディアはお祭り騒ぎを盛り上げる」

 一つ溜息を挟んでから、世怜奈先生は苦笑いを浮かべた。

「言いたいことは山ほどあるけど、赤羽高校の理事会も選手権至上主義に踊らされている大人たちの一人なの。そして、高校選手権が彼らの認識の中で最高の舞台である以上、私たちはそこで結果を出さなくてはならない」

「そんな話、チーム作りに何の関係があるんだ?」

 おにたけ先輩が疑問を差し挟む。

「目指すべきタイトルで戦術は変わるわ。私たちが戦う場所がリーグ戦だったなら、必要なのは勝利による勝ち点三。そのためには得点力が絶対条件で必要になる。得点を取れないチームは、仮に鉄壁の守備を備えていても、引き分けによる勝ち点を積み上げることしか出来ないからね」

 リーグ戦における勝ち点は、勝利が三、引き分けが一、敗北が〇である。時代によって異なっていたこともあるが、基本的にはこれが世界共通の数字であり、勝ち点の積み重ねで順位が決まる。

 しかし、インターハイや高校選手権は、一貫してノックアウト方式のトーナメントだ。

「リーグ戦の場合、リスクを背負ってでも勝ち数を稼がなければならないわけだけど、トーナメントでは前提条件が百八十度変わる。何故なら一点も取れなくても、全試合を無失点で終えられれば優勝出来るからよ。トーナメントでは守りきれるチームの方が絶対に強いの」

「……つまり、俺たちが目指すチームは守備的なチームってことですか?」

 先生の話に引き込まれているのだろう。真剣な眼差しでおりが問う。

「正確に言えば、そこから土台を作っていくってことね。だから、これからは練習試合でも、守備陣のレギュラー候補は、ポジションを固定していく」

 くすが用意したホワイトボードに、世怜奈先生はフォーメーション図を書き込んでいく。

 描かれたのは、4‐2‐3‐1。前監督も多用していたみのシステムだった。


 サッカーのチームは一名のGKゴールキーパーと、十名のフィールドプレイヤーで構成される。

 GKは怪我や反則で退場することがあるが、そういった場合でもGK無しで試合が再開されることはない。交代枠を使い切っていても、フィールドプレイヤーが穴埋めをするからだ。

 GKを除いた十名をどう配置するのか。それを図に表したのがフォーメーション図である。

 日韓ワールドカップでトルシエ監督が採用した、3‐5‐2。

 その後で就任したジーコ監督が好んで使った、4‐4‐2。

 ゲーム中は全員が流動的に動くため、システムはあくまでも指標でしかないが、それぞれが守備を始める位置を決めるために、フォーメーションは必ず確認される。


 最初に出てくる『4』や『3』という数字は、守備的なポジションであるDFデイフエンダーを意味している。まれフアイブバックのチームも存在するが、フオーバックとスリーバックが現代の主流だ。

 一般的により守備的なのは、CBセンターバツクと呼ばれる守備専門の人間を三人並べる3バックであり、4バックの場合は真ん中の二人にCBが、左右の端にSBサイドバツクと呼ばれる選手が配置される。

 SBは守備にも攻撃にも顔を出さなければならないため、上下動を繰り返す必要があり、クロスを上げる機会も多いので、ロングパスの精度も求められる。左利きの選手は少ないため、必然的に左SBというのは、適切な人間を探すことが最も難しいポジションとなっていた。


 4‐2‐3‐1の真ん中の数字は、どちらもMFミツドフイルダーを表している。

 前半の『2』という数字はデイフエンシブミツドフィルダー、守備的な中盤を意味しており、『ボランチ』などと呼ばれるポジションである。ボランチとはポルトガル語で、ハンドル、かじりといった意味を持ち、ゲームを作る役割も果たすし、ピンチの芽を摘み取る仕事もしなければならない。

 後半の『3』という数字は、攻撃的な中盤、オフエンシブミツドフイルダーを意味している。中央がいわゆる『トップ下』であり、両脇の選手は『サイドハーフ』だ。レッドスワンのサイドは高い位置を取る機会が多いため、『ウイング』の名で呼ばれることもある。


 最後の『1』という数字は、点取り屋、FWフオワードを表している。レッドスワンはワントップを採用しているため、そこでプレー出来る人間は一人しかいない。


 守備陣を固定していくというが、先生は一体、誰をレギュラーとして考えているのだろう。

 チームに残った二年生、もりこしまさ先輩はDF志望だが、鬼武先輩やづき先輩と比べ、数段、実力が落ちてしまう。一年生ではすい島出身で子どもの頃からバスケをやっていた高身長のぜん常陸ひたちが目立つものの、正直、彼も信頼を置けるレベルには達していない。

「コーチに質問。点を取るために、試合中、ゆうが心掛けていたことって何だった?」

 シンプルなようで、なかなか難しい問いだった。きっと、この質問に対する回答は、人それぞれに異なるだろう。僕にとっての回答しか述べられないけれど……。

「出来るだけ敵のゴールに近い位置でボールを奪うことです。縦パスではなく横パスを奪ってしまえば、並列の敵を置き去りに出来るので、より効果的だったように思います」

「話を裏返して考えるなら、失点しないチームを作るには、いかにボールを奪われないかが重要になるってことかな。私は芦沢先生のサッカーを批判したけど、自分たちがボールを保持している時間が長いほど、敵の攻撃が短くなるのも一つの真理だよね。つまり、守備のことだけを考えるなら、ボールを長くキープする戦術は有効ということになる」

 世怜奈先生の目配せを受け、華代が全員に紙とペンを配り始めた。

 一体何が始まるんだろう。スライドスクリーンが起動し、そこに海外クラブの名前が羅列された表が映し出された。あまり馴染みのないクラブ名も表示されている。

「これは一年前の欧州チャンピオンズリーグのプレーオフに参加したクラブの一覧です。日本人が所属するシャルケやアーセナルって名前は、皆も聞いたことがあるかな」

 チャンピオンズリーグというのは、各国のリーグで高順位だったクラブだけが出場する、チャンピオン決定戦である。プレーオフはその本戦に出場するチームを決めるための戦いだ。二十チームの名前が挙げられているが、何故、こんなリストを出してきたのだろう。

「これからプレーオフ、二十試合のデータを使ってクイズを出します。プロの試合において最もパス本数が多いポジションは何処でしょう? 各自、速やかに一つだけ答えてね。ポジションは出来るだけ細かく指定すること。タイムリミットは三十秒です。じゃあ、スタート」

 突然始まったクイズ大会に戸惑う生徒たちに、カウントダウンが突き付けられる。

 白紙は華代以外の全員に配られている。僕も答えなければならないようだ。

 司令塔が位置するトップ下やボランチは沢山ボールを触っているイメージだが、中盤は敵に囲まれる機会も多い。だとすると、もう少し自由にボールを持てるCBだろうか。それとも、全員からボールを供給される可能性があるFWだろうか。

 考えれば考えるほどに、答えは分からなくなってくる。


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