第二話 亡者の啓蒙(6)


             6


 新監督になって以降、練習試合の戦績は九戦全敗である。

 〇対六。一対八。二対五。〇対七。一対五。三対四。一対三。二対四。一対二。

 九試合で十一得点、四十四失点。勝ち点〇、得失点差はマイナス三十三だ。トーナメントなら初戦敗退だし、リーグ戦であったとしても最下位は間違いない。

 本職のGKがいないせいで守備は壊滅状態であり、失点を〇で終えたクリーンシートのゲームは存在しない。最低でも二失点を喫しているのが現状だ。とはいえ、少しずつチームが上向いているのも事実だろう。ここ四試合で一点差ゲームは二回あった。このまま練習試合を続けていけば、いずれは引き分け、勝利という結果も見えてくるかもしれない。


 九敗目を喫した日の翌日、水曜日。

 お昼休みに携帯電話に連絡網が回ってきた。

『放課後、練習前に視聴覚室で部会を開く。欠席は許さない。必ず集合しろ。』

 強い口調の文面を送ってきたのは二年生のおにたけしんすけだった。

 この決定は顧問に承認されたものなのだろうか。メールに議題は明記されていない。

 止まらない連敗。ディフェンス陣が繰り返し続けるない失点。新生レッドスワンの無残な姿に誰よりも憤っていたのが鬼武先輩だ。先輩はFWの選手だが、チームのあまりの惨状に、監督に直訴してDFに入ることもあった。

 実際、そのゲームは一点差で終わったし、彼の実力は守備面でも証明されている。しかし、チームの雰囲気を悪くするばかりの先輩に対し、風当たりは日に日に強くなっていた。

 チーム内での自分の立場については、先輩自身もよく理解していることだろう。突然の部会の招集は、きっと彼にとって何かしらのきゆうきようを覆す一手なのだ。

 先生の指導法を非難し、改革を促す。意見が通らない場合は自分も部を出ていく。そんな未来も容易に予想出来た。


 もしかしたら部会には男子しか呼ばれていないかもしれない。そんな推測もしていたのだけれど、出向いた視聴覚室には世怜奈先生とくすの姿もあった。先生はまだチームジャージに着替えておらず、スーツ姿のままである。

 午後四時二十五分。

 最後の一人が着席すると、鬼武先輩は世怜奈先生へ睨むような視線を向けた。

「昨日、入院している監督のお見舞いに行って来た。九連敗なんて有り得ない。監督はそう言って嘆いていたよ」

あしざわ先生はもう監督ではないよ」

「それを言うなら俺だってあんたを監督とは認めていない。いや、これからだって認めることはない。あんたには今日限りで、サッカー部の顧問を降りてもらう」

 鬼武先輩の顔には隠し切れない憤りが浮かんでいたが、

「追い出す相手が逆じゃないですか?」

 低い声で反論したのはおりだった。

「何で先生が辞めなきゃならないんだ。結果は出ていなくとも、チーム状態が改善に向かっているのは間違いない。足を引っ張ってるのは、建設的な意見も出さずに不満ばかりぶちまけて、空気を悪くしてるあんたの方だろ」

 後輩からの弾劾を受け、鬼武先輩は部員たちに向き直る。

「お前らにもきちんと説明してやる。そのために集まってもらったんだからな。昨日、芦沢監督に聞いたんだよ。理事会で下されたサッカー部への処分は、俺たちが聞かされた六つだけじゃなかった。もう一つ、七番目の決定があったんだ。どうしてそれを黙っていた?」

 先輩は憎々しげに世怜奈先生を睨みつけ……。


「来年のインターハイ予選で今年の結果を超えられなければ、つまり、二位以内に入れなければ、サッカー部は廃部になる。それが理事会の七番目の決定だ」


 一瞬、告げられた言葉の意味が分からなかった。

 げんの眼差しを浮かべているのは一年生だけではない。

 づき先輩ももりこし先輩もきょとんとしている。彼らも寝耳に水の話だったのだ。反応を見る限り、華代も同様だろう。

「トーナメントのシードは選手権予選の結果で決まる。十中八九、来年もなみと偕成は対面のブロックだから、今年以上の成績を残せってのは、要するにどちらかを倒して決勝に残れって意味だ。決定を下した奴らが近年の結果を把握していないとは思えない。どうせその二校には勝てやしない。サッカー部は確実に廃部になる。そういうことなんじゃないのか?」

 理事会の決定について先生を恨むのは筋違いだが、下された決定を僕らに伝えていなかったとなれば話は変わってくる。

 いずれ判明することだ。隠し続ける意味もないように思う。

「どうして俺たちに隠していた?」

「別に隠していたわけじゃないよ。もう少しだけフラットな状態で、君たちにサッカーを楽しんで欲しかったの。ナチュラルなデータが欲しかったのもあるけど、いずれにせよ、十校との練習試合が一巡したら話そうと思っていた」

「もう誤魔化されねえよ。あんた、本当は最初からサッカー部を潰すつもりで、教務課に送り込まれたんじゃねえのか? そう考えればすべてに説明がつくんだ。朝練を廃止にしたことも、練習時間を短縮したことも、チームを強くしたい人間のやることじゃない。来年のインハイ予選まで七ヵ月を切ってるんだぞ。練習試合だってそうだ。ろくにトラップも出来ない下手くそをチームに混ぜて、でたらめな采配ばかりしやがって。てめえは何がしてえんだ!」

 鬼武先輩は目の前の机を蹴り飛ばす。

「レッドスワンは絶対に潰させねえ。チームも、監督の誇りも、俺が守って見せる」

「私はレッドスワンを潰そうなんて思ってないし、君の敵でもないよ」

「九連敗だぞ。どんな屑が指揮したって、うちの面子めんつでこんな結果になるわけないんだ。偕成か美波に勝たなきゃ廃部だってのに、あんたはチームを崩壊させただけじゃねえか。今更何を言われたって信じられねえんだよ!」

 鬼武先輩は感情に任せて怒鳴ったが、世怜奈先生は平生の微笑を湛えたままだった。

「信じるか信じないかは私が決めることじゃない。ただ、事実が明るみに出た以上、すべてを説明するよ。そろそろ次の段階に移行すべきとも思っていたしね。慎之介が言う通り、九連敗は酷い結果だと思う。プロクラブなら監督は解任だよね。だから一つ約束しようか。もしも次の練習試合で負けて、十連敗を喫してしまったら、私は辞任する」

「何だと……」

 予期せぬ返しに、鬼武先輩の顔が戸惑いの色に染まる。

「次の試合で負けたら辞任すると約束するから、もう一度、私の話を聞いてもらえないかな」

「……その言葉に二言はないんだろうな?」

「ないよ。だって皆がサッカーでは噓をつけないって知っているからね。私を辞めさせたくても、そのために試合で手を抜くなんて真似、出来ないでしょ? 正しい形で本気で戦えば、結果くらいすぐに伴うわ。こんな約束、私にとっては賭けでも何でもない」

 腰に手を当て、いつものふわふわとした微笑を浮かべたまま、世怜奈先生は話を続ける。

「じゃあ、順番に説明していこうか。最初に理事会がサッカー部を廃部にしたがっている理由を話した方が良いかな。赤羽高校は私立の進学校だよね。進学校を運営する上で重要なのは、良い評判を獲得し、優秀な生徒を継続的に確保し続けることだよ。じゃあ、赤羽高校にとって、その目標を達成するために必要なのはどんな要素だと思う?」

「……一流大学に生徒が多く進学することじゃないのか?」

「間違った回答ではないけれど、正解でもない。何故なら、新潟市には日本海側で最大の進学校、美波高校が存在しているからね。東大、京大、国公立医学部、有名校への進学数で競っても絶対にかなわない」

 赤羽高校も進学校ではあるが、美波高校には及ばない。それが現実だ。

「じゃあ、どんな土俵で勝負をすれば良いのか。それは、ひとえに大学への進学率に尽きる。美波高校には体育科や美術科、音楽科があるし、あえて大学に進学しない生徒もいる。だけど、うちの高校は違うよね。ほぼすべての生徒が大学進学を希望しているもの。ところが進学率の向上を阻む者が存在する。それが誰かは君たちも分かっているでしょ?」

 赤羽高校には普通科しかないが、スポーツ推薦によって入学した生徒を集めたクラスが存在する。そして、その大半は……。

かえでだか、リオ。三人は教務室でも有名な問題児だよ。昨日、職員用玄関に天井から人体模型をるしたのも君たちでしょ? ほかの先生には黙っておいたけど、生物準備室に楓の生徒手帳が落ちていたの。驚いた教頭先生がぎっくり腰になって、病院送りになったんだからね。あんまり酷い悪戯をされると私も庇い切れないし、先生方は君たちを留年させないために早くも悩み始めている。学生の本分を忘れないで。葉月も笑ってる場合じゃないよ。私の授業中に手鏡を見ながら自画像を描いていること、ちゃんと知ってるんだからね」

 火の粉が及び、葉月先輩は首を九十度以上曲げて、視線をらしていた。

「サッカー部には問題児が多過ぎるの。部活で結果が出ているならまだ良い。大学からスポーツ推薦の話がくるからね。理事会が重要視しているのは進学率だから、進学さえしてくれれば、どんな大学でも構わないのよ。でも、今の君たちに推薦の話なんてくると思う?」

 問題児たちはばつの悪そうな顔を見せるだけだった。

「有名人の芦沢先生がいたせいで、これまでは手をつけられなかったけど、ずっと鬱陶しかったんでしょうね。サッカー部を廃部にするという理事会の意思は固かった。親族に頼んで寄付金を増額するって揺さぶってみたけど、お金より進学率の方が大事みたい。だから、最後に私が言ったのよ。そんなに言うなら、次の大会で偕成か美波を倒してやるって。選手権出場の可能性を信じられる結果を残せば問題ないんでしょって」

「あんたがたんを切ったのかよ……」

 呆然とした眼差しで鬼武先輩が呟く。

「だって、あのまま黙って潰されるなんて許せなかったんだもん。学校運営のためにはサッカー部が邪魔かもしれない。でもさ、皆のサッカーを愛する気持ちはどうなるの? 奪われて良いはずがない。こんなに素晴らしい衝動を、大人が子どもから奪うなんて横暴だよ。私は絶対に許さない」

 強い意志を両の瞳に湛えて、彼女は想いを吐き出す。

「私、レッドスワンの監督になるために、死ぬ気で勉強してきたの。九連敗なんて数字だけを見れば不名誉な結果だけど、無目的に試合を重ねてきたわけじゃない。意図を持って皆を様々なポジションで起用してきたし、十分なデータを集めることも出来た。すべては新生レッドスワンを強くするためだよ。これからそれを証明して見せる。だから一緒に頑張ろう。ふざけた大人たちの決定を、結果で覆そうよ」

 夏休みを迎えた少年のように目を輝かせて、先生は人差し指を自らのこめかみに当てた。

「私の頭の中で、未来予想図は既に完璧に描かれている。実現するための策もピースも、このチームには揃っている。何もかもが始まるのは、これからよ」

 まいばらたいの変わり者だ。

 もしかしたら世界中の誰よりも容姿に恵まれているかもしれないのに、情熱も、衝動も、自分自身には一切向いていない。

「何度、翼を折られても、レッドスワンは死なない」

 ただ、僕たちとサッカーがしたくて。

 そうやって全力で遊んでいたくて。

 迷いなき意志と、惑うことなき夢を胸に秘めて、彼女はしようする。



「ここからが、私たちの本当の闘いだ」



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