第二話 亡者の啓蒙(2)ー1


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 部活動再開初日はおにたけしんすけの発声の下で練習がおこなわれることになった。

 これまで鬼武先輩は大人しい一年生たちを、小馬鹿にするような態度で扱ってきた。

 積み重なった悪感情もあり、先輩を良く思わない同期生は多い。悪態をつく生徒もいたし、練習風景は目に見えて散漫なものだったが、先輩はどうかつ気味に声を張り上げながら、練習を指揮していった。

 一方、先生は行き来する生徒を捕まえては、実のない話を繰り返している。雑談をしているようにしか見えないのだけれど、何か意図があるのだろうか。

 マネージャーに就任したくすは、皆のためにスポーツドリンクを用意したり、指示を受けてマーカーコーンを並べたりと、せわしなく動いていた。

 小柄なくせに一度に沢山の荷物を運ぼうとするせいだろう。何度もつまずいては転び、その度に近くにいた男子たちを慌てさせている。最初に話した時も膝に絆創膏を貼っていたし、生来の慌て者なのかもしれない。

 初日の練習は午後七時前には終了となった。

 これまでは試合前日でもない限り、平日の部活動が九時前に終わるなんてことは有り得なかった。試合があった日でも、ベンチ外のメンバーは練習させられたし、下校時刻が十時、十一時に及ぶことだって珍しくなかった。

 今後は朝練の取り決めも廃止になるという。

 本当にチームは根本から生まれ変わるのだ。


 翌日、火曜日のお昼休み。

「サッカー部、活動再開おめでとう」

 けいろうさんと昼食を食べていたら、クラス委員長のふじさきに声をかけられた。

「私が言うのも変だけど、廃部にならずにすんで嬉しい。放課後にね、窓からサッカー部の姿が見えないのって何だか寂しかったの」

 吹奏楽部は第一グラウンドに面する校舎の四階で活動している。圭士朗さんは真扶由さんに想いを寄せているわけだし、練習中にその視線を意識することもあったりするのだろうか。

「真扶由さんに一つお願い。また、気が向いた時にでも、あれを演奏して欲しいな」

「あれって言うと『大脱走マーチ』?」

「うん。あの曲を聞くと元気が出てくるんだよね」

『大脱走』は子どもの頃から、おりや僕のお気に入りの映画だった。希望を諦めない強さと気持ちだけではどうにもならない現実の厳しさ。あの映画から様々な感情を学んだように思う。

 真扶由さんが吹奏楽部だと知った後、軽い気持ちで『大脱走マーチ』をリクエストしてみたら、それ以降、時々、放課後の音楽室から聞こえてくるようになった。

「新しい顧問のまいばら先生って、凄く綺麗だよね。授業を受けている友達は、妖精でも見ている気分になるって言ってた。ゆう君たちの目から見てもそんな感じ?」

「どうかな。現実離れしているところはあるけど」

「サッカー部の子たちも皆、ファンなんじゃない? 圭士朗さんはどう?」

 真扶由さんに尋ねられ、圭士朗さんは眼鏡の向こうで目を細めた。彼の想い人は、ほかならぬ真扶由さんだ。彼女は圭士朗さんの気持ちをどの程度、理解しているんだろう。

「確かにサッカー部にもファンは多かったよ。だけど、前監督が退任してから、彼女は本性を見せ始めた。それ以来、全員の見方が良くも悪くも変わってきている。あの人は研ぎ澄まされた何かを生来的に持っている人だ。だから、魅力を感じる人間はこれまで以上に惹かれるだろうし、逆に反発する人間も生まれてくる。実際、二年生は半分以上が退部したしね」

「それって客観的な評価であって、圭士朗さんの主観じゃないよね」

 悪戯いたずらな笑みを浮かべながら、真扶由さんは追及する。

「……良い人だと思うよ。あくまでも一人の大人としてだけど」

「そっか。圭士朗さんがそう評価するなら安心だな。良かった。二人が楽しそうにサッカーをする姿、私、とても好きだから」

 そんな風に言いながら、真扶由さんは僕らに確信のこもった微笑みを見せた。


 今後、火曜日と金曜日には、毎週、練習試合が組まれるという。

 過去におこなわれた練習試合は、すべて土日か祝日に開催されており、会場もうちのグラウンドだったが、今回からは僕らが出向くことになる。高校から最寄りの駅までは五分程度であるものの、新潟市は鉄道路線の充実した都市ではない。

 試合のための時間は十分に取れるのだろうか。そんな不安も感じていたのだけれど、授業後、指示通り正門に集合すると、巨大なマイクロバスが横付けされていた。

「……これって先生が手配したんですか?」

「手配って言うか、うちのバスだよ。自分で運転しようと思って大型免許も取ったんだけどさ。お前の運転は危ないからって言われて、本家の運転手をつけられたの。運転して下さるのはいつぽんやりさんです。珍しい名前だけど本名なんだよ。ベテランさんだから安心して乗ってね」

 舞原の名を持つ世怜奈先生が血統書つきの人間だということは、十分に承知していたつもりだが、その力をまざまざと見せつけられた気分だった。お金に対する考え方や価値観も、一般人とはまるで異なっているのだろう。


 目的地の高校に到着すると、キャプテンマークを巻いた鬼武先輩の主導で、ウォームアップが開始される。

 相手チームとの間に一つの取り決めが交わされており、ビデオカメラが二台用意されていた。両チームでゲームを録画し、試合後に映像をシェアするらしい。ベンチには先生と華代のためのノートパソコンも持ち込まれている。前監督の時代には考えられない風景だった。

 新チームではレギュラーどころかGKさえ決まっていない。先生は事前に言っていた通りきようしゆぼうかんするつもりらしく、鬼武先輩とコーチの僕で先発メンバーを決めることになった。

 先生から下った指示は一つだけ。プレー可能な十八名の選手全員に、最低でも四十五分の出場時間を与えるというものである。

 インターハイは七十分、高校選手権は八十分、各リーグ戦は九十分で実施される。練習試合はリーグ戦に合わせ、九十分でおこなわれることになっていた。


 新生レッドスワン、最初の練習試合は、〇対六のスコアで惨敗に終わった。

 十八名全員を出場させるために、不慣れなポジションへのコンバートも多発している。交代で二人が務めたGKも散々で、以前のチームでは考えられないような失点が見受けられた。

 鬼武先輩は試合中、ずっと大声で指示を送っていたが、彼が熱くなればなっただけ、周りとの温度差が浮き彫りになる。そもそも、先輩が要求するレベルでプレー出来る人間なんて数人だけだ。

 ミスを怒鳴られる度に一年生はしゆくし、悪循環でプレーは空回っていく。前チームの遺産など、既に影すら残っていない有様だった。

「話になんねえぜ。てめえら、本当にやる気あんのかよ!」

 タイムアップのホイッスルが鳴り響くと、対戦相手に挨拶もせずに、鬼武先輩はベンチへと下がる。怒りのぎようそうを浮かべる彼に声をかける者はおらず、チームの空気は凍りついていた。

 一方、世怜奈先生は対照的な微笑を浮かべ続けていた。ノートパソコンに何かを打ち込みながら試合を観戦しており、試合が終わると、それを僕に見せてくる。

「これ、率直な感想。チェックを入れた子たちがチームの核になっていくと思うんだけど、どうかな? 私、今のレッドスワンって凄く良い素材が揃っていると思うんだよね」

 画面に目を落とすと、五人の選手にチェックが入っていた。

 鬼武先輩と葉月先輩はもともと二年生のナンバーワンとナンバーツーである。二人にチェックが入っているのは驚きでも何でもなかったけれど、一年生も三人にチェックが入っていた。

 散々な結果に終わった本日のゲームにも、先生の目には何らかの発見があったのだろうか。


 木曜日まで部のまとめ役は鬼武先輩に任せられている。しかし、練習試合での惨敗を受け、グラウンドの空気は悪化の一途を辿っていた。

 他人に興味のない葉月先輩は我関せずを貫いていたし、もりこし先輩はその実力故に後輩と並んで怒鳴られる側である。後輩からの鬼武先輩に対する不満は飽和状態を迎えており、チームのムードは最低という言葉が相応しい状態へと成り下がっていた。

「優雅、先生が呼んでるから一緒に来て」

 ベンチに座って散漫な練習風景を見つめていたら、後ろから楠井華代に声をかけられた。

 買い出しにでも行っていたのか、彼女は両手にエコバッグをぶら提げている。

「また何処かで転んだ? 膝から出血してるよ。何もないところでよく転ぶのは、病気の予兆かもしれないって本で読んだことがある。あんまり続くようなら病院に行ってみたら?」

「そんなにしょっちゅう転んでない。内股なだけ。急いで歩くと足がひっかかっちゃうの」

「荷物、持とうか? 女の子が血を流しているのを見るのは、気分の良い話じゃないしね」

「自分だって怪我人でしょ。松葉杖の人間に荷物なんて持ってもらいたくない」

 感情も込めずにそっけなく言うと、華代はきびすを返して歩き出してしまった。


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