第二話 亡者の啓蒙

第二話 亡者の啓蒙(1)


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 九月十五日、月曜日。

 予定通りであれば本日、部活動停止期間は明けるが、追加処分が下る可能性も残っている。理事会の最終決定を聞くため、祝日ではあったものの、僕らは再び視聴覚室に集まっていた。

 二週間前には四十五名いた部員が、半数以下にまで減っている。十四名の三年生が引退し、後を追うように二年生が九名、一年生が三名、退部届を提出したという。

 レッドスワンに残ったのは、わずかに十九名だった。


 午後二時、約束の時刻に扉が開き、新顧問、まいばらくすが入室する。

 僕は三日前に華代の立ち位置を知ったが、おりにもけいろうさんにも事情は話していない。全部員が彼女たちの口から直接聞くべきと思ったからだ。

GKゴールキーパーは残らなかったね。残念」

 教室をいちべつした後で、世怜奈先生は最初にそう呟いた。

 二年生に二人いたGKは、どちらも退部届を出している。一年生にはそもそも最初から志望者がいない。新チームの始動は前途多難なものだった。

 部に残った二年生は、わずかに三人である。

 サイドハーフのレギュラーで、ナルシストを絵に描いたようなこうの先輩、しろさきづき

 二年生の文系首席で馬鹿がつくほどに真面目だが、ベンチ入りの経験はないDFデイフエンスもりこしまさ

 そして、あの日、世怜奈先生と衝突したFWフオワードおにたけしんすけ

 二年生の中でも浮いていた葉月先輩と森越先輩はともかく、鬼武先輩が部に残ったのは意外だった。彼はあしざわ監督を絶対的に崇拝していたし、誰よりも先に退部届を叩きつけそうな予感さえあったのに。

「GKの心配なんてしてる場合じゃねえだろ。誰のせいで皆が辞めたと思ってんだよ」

 ぶっきらぼうに問う鬼武先輩の眼差しには、依然として敵意が溢れている。もしかしたら、ただ部の行く末を見届けようとしているだけなのかもしれない。そんな気がした。

「最初に理事会の決定について話そうか。職員会議で下された六つの決定の内、五つはそのまま受理されたよ。そして、一つだけ軽減が取られた」

 どうやら懸念されていた追加ペナルティはないらしい。

「確定したのは、部活動停止期間、サッカー推薦の廃止、予算の三割削減、新人戦と県リーグの参加辞退、以上の五つ。そんなわけで今日から部活動は再開。やっとボールが蹴れるね」

 伊織はサッカーをへんしゆう的なまでに愛している。活動停止処分が明けたという言葉に誰よりもホッとした表情を見せたのは、やはり彼だった。

「私、スポーツ推薦でチームを強化するって格好悪いと思ってたんだよね。予算の問題もどうにでもなる。二つの公式戦の辞退は正直痛いけど、そっちに関しては対策を練っているわ」

「つーか、軽減措置ってのは何だよ。結局、グラウンドは誰のものになったんだ?」

「第一グラウンドは今後、女子ソフトボール部とシェアすることになりました。火曜日と金曜日はソフト部が、月曜日、水曜日、木曜日はサッカー部が使用します。週末は午前と午後で交代制。グラウンドにマウンドを作られることは阻止したから安心してね」

「何が安心しろだ。グラウンドを使えなけりゃ、フィジカルトレーニングしか出来ねえ。それを否定したのは、あんたじゃねえか。それとも火曜と金曜は部活を休みにするのか? さぞかし強力なチームが誕生するだろうな」

 鬼武先輩が吐き捨てる。彼はきっと何でも良いから否定したいのだろう。

「私は毎日の練習を、二時間以内に収める。だから土日に関しては、午前か午後のどちらかを使用出来れば問題ない。それに、グラウンドを使えない日には別のアイデアを用意してあるの。毎週二回、他校に出向いて練習試合を実施しようと思ってるんだよね」

「練習試合ってものやまとか? そんなにしょっちゅう相手をしてくれるわけねえだろ」

 物見山高校は東新潟にある私立の一つだ。芦沢監督とこんの監督がおり、これまでも時々、練習試合が組まれることがあった。今まではこちらのグラウンドでおこなっていたが。

「物見山とはもう戦わないよ。同じ高校と試合を繰り返しても得るものが少ないからね。この二週間、近隣の高校を訪ねて回ったの。『監督が倒れて新チームになったんですが、練習相手がいないんです。私、新人だから頼れる人がいなくて』って、ちょっと涙目で言ってみたら、全員が親身になって話を聞いてくれたよ。やっぱりサッカーが好きな人って良い人ばっかりだよね。十校に頼みに行ったんだけど、全校その場で練習試合のオファーをかいだくしてくれたもん」

 ……天然で言ってるんだろうか。サッカー部の顧問なんて、どの学校も男性で間違いない。こんな美人に涙目で頼まれたら断れる人はいないだろう。出向いて来るというのであれば、客観的に考えても断る理由があるとは思えない。

「ねえ、皆が部に残ったのは、サッカーが大好きだからでしょ?」

 世怜奈先生の純真な眼差しが部員たちを射貫く。

「サッカーほど人々に愛されている競技はない。ワールドカップがオリンピックを超える世界最大のスポーツイベントなのも当然だよね。だって、ボールさえあれば誰にでも出来るんだもの。でも、いざ試合をしようと思ったら話は変わってくる。草サッカーならともかく、資格を持つ審判を置いて、二十二人のプレイヤーを揃えて試合をするなんて簡単なことじゃない。だけど部活動ではそれが出来る。だからさ、沢山、沢山、飽きるほど試合をしよう。ゆうは怪我をしているからどう出来るのは十八人。一週間で二試合をこなすために、私は実力に関わらず全員を均等に出場させるわ。負けても良い。上手くいかなくても良い。それでも試合は楽しいはずだもの。皆で毎日、思いっきりサッカーを楽しもう」

 ……多分。これは、多分なのだけれど。

 舞原世怜奈という人間は、とても純粋な大人なのだろう。彼女は本気で言っている。自らの哲学が正しいと確信して喋っている。だから、鼓膜以外の柔らかい場所に想いが響く。

「次はチームの新体制について発表するね。皆も覚悟していたと思うけど、優雅はこの先もフィールドに戻って来ることが出来ません。前十字靭帯の回復だけで一年近くかかるし、逆側の膝の状態は、そちらより悪いと聞いています。だから優雅には、これからアシスタントコーチとしてチームを支えてもらうことになりました」

 四ヵ月前のインターハイ予選、準決勝。かいせい学園に逆転負けを喫したのは、交代枠を使い切った後に、怪我で僕が退場したせいだ。チームは数的不利を余儀なくされ、わずか十分でゲームをひっくり返されてしまった。

 その後、選手権予選直前におこなわれたチーム内の選考試合に、僕は監督から出なくて良いと言われていたのに無理に出場し、前十字靭帯を断裂してしまった。結果、予選には出場すら叶わなかった。肝心な時に役に立てない。僕はずっとそういう男だったけれど……。

「優雅は今後一年半、つまり、三年生になるまで絶対にプレーさせません。卒業まで練習を禁止することになる可能性もあります。もう一度、深刻なダメージを負ったら、次は歩けなくなるかもしれない。そういうレベルまで彼の膝は追い込まれているの。だから靭帯が治っても、フィールドに誘ったりしないように。さらに言えば、間違っても優雅に勝負を挑んだりしないように。良い? かえで、君に言っているんだからね」

 先生の鋭い声が飛び、三馬鹿トリオの筆頭、さかきばらかえでが肩をすくめた。

 楓は中学時代から、試合で会う度に僕につっかかってきたが、高校に入ってからもその姿勢は変わっていない。監督から司令塔、トップ下に任命された僕のポジションを奪えないなら試合に出ないと言い切り、インターハイ予選でベンチ外になっていたことも記憶に新しい。

 しかし、恐らく新チームは楓を中心として作られるだろう。性格が悪いこと、頭が悪いこと、視野が狭いこと、幾つかの欠点にさえ目をつむれば、楓は年代別日本代表に選ばれても不思議ではないポテンシャルを持っているからだ。

「もう一人。皆が気になっているだろう彼女のことも紹介するね。夏休み明けに東京から編入して来た一年生のくす。彼女にはマネージャーを務めてもらいます」

 世怜奈先生の紹介を受け、彼女はその場に立ち上がると、遠慮がちに頭を下げた。

 三日前に引き合わされた際、少しだけ喋っているけれど、話が弾むということはなかった。単に引っ込み思案なのか、他人との距離を置きたがるなのか、その内情は分からないが、少なくとも社交的な人間ではなさそうだった。

「華代とは三年前に教育実習で知り合ったの。その時にちょっと色々あって、実習が終わった後も連絡を取り合っていたんだよね。で、新潟に引っ越して来るって聞いたから、あかばね高校に誘ったの。女の子は一人だけで寂しいと思うから、皆、優しくしてあげてね」

 選手十八名、マネージャー、アシスタントコーチ、顧問兼監督が一名ずつ。

 新生レッドスワンは二十一名で船出することになった。

「さて、じゃあ、早速、明日から始まる練習試合の話をしようか。本来なら私が指揮を執るべきなんだけど、幾つか先にやっておきたいことがあるんだよね。だから、試合のことも練習のことも今週は仕切りを誰かに任せたいんだ。二年生は三人しかいないから……」

 世怜奈先生に視線を向けられ、森越先輩は慌てて首を横に振る。

「俺は無理です。だって公式戦でベンチ入りしたことすらないんですよ」

「だよね。将也はさすがに厳しいとなると……」

 続けて先生は葉月先輩を視界に捉える。

「ティーチャー、そいつはノーサンキューだ。俺は自分のこと以外に興味を持てない。他人のために割く時間があるなら、鏡で俺という存在を見つめ直したい」

 すがすがしいくらいの屑だが、彼が重度のナルシストであることは周知の事実である。実力に疑問はないし、輪を乱すわけでもないので、放置するのが最善だろう。

 葉月はサッカーを好きな自分が好きなのだ。そんな風に揶揄されているのを聞いたことがあるけれど、あながち的外れでもない気がしてしまう。

「うん。葉月はそういう子だよね。残ってくれただけで嬉しいよ。となると……」

 二年生は残り一人、世怜奈先生に絶対の敵意を向ける鬼武慎之介のみである。

「慎之介、私は君が適任だと思う。木曜日までチームのまとめ役を任せても良いかな?」

「つーか、慣れ慣れしくファーストネームで呼んでんじゃねえよ。全国大会に出場しない限り、芦沢監督の無念は晴らせねえ。俺は練習方法を変えるつもりはない。それでも良いのか?」

「チーム練習は二時間以内に収めること。その条件を守れるなら、好きにして良いよ」

「ふざけるな。今までの半分以下じゃねえか。ウォームアップにもならねえよ」

「それはメニューに問題があるからだよ。プロでも練習は二時間程度なのに、高校生がそれ以上の時間をかける必要はない。大切なのは時間じゃなくて質と密度だしね。自主練習は止めないわ。有限な時間を効率良く使う術を考えて、練習をまとめてね」


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