第一話 赤白鳥の絶命(2)-2


 世怜奈先生の問いに先輩たちの表情がゆがむ。答えはゼロだった。

「……あんたが赴任して来る前にベスト4まで残ってるよ」

「道化でいるのは可哀想だから、はっきり言うね。ベスト4に残ったのは『君たち』じゃない」

「意味が分かんねえ。ネットで大会の記録を確認してみろよ」

「私は赴任する前からレッドスワンの公式戦を、会場でチェックしていたの。だから気持ちは分かるよ。七年振りのベスト4進出、嬉しかったよね。古豪の復活だって盛り上がったよね。でも、残念だけどそれは君たちの力じゃない。ただ、このチームにてんそうのスーパールーキーがいただけ。それだけのことだよ」

 そう言って、世怜奈先生が見つめたのは僕だった。

「年代別の日本代表候補、たかつきゆう。全国大会に出場したこともなければ、クラブチームのユースでプレーをしているわけでもない。それなのに代表合宿に呼ばれたいつざい。優雅が十年に一人の天才であることは、一緒にプレーをした君たちが一番よく分かってるでしょ?」

 世怜奈先生はかなしそうに笑う。

「勝てるに決まってるじゃない。優雅さえいれば大抵のチームは勝ち進めるよ。小学生の試合に、大人を放り込んだようなものだもの」

 ……ああ、まただ。そう思っていた。

 世怜奈先生は今、ほかならぬ僕の話をしている。視線でも強く僕を射貫いている。

 それなのに、まるで他人事のように聞いてしまう。いつもそうだった。どれだけめられても、責められても、心にさしたる実感が湧かない。映画でも眺めているみたいな、そんな感覚でしか現実を捉えられない。

「県総体で君たちが戦ったのは五試合、チームの総得点は十六点だった。そのうち九点が優雅のゴールで、アシストも三つある。左右のコーナーキック、長短のセットプレー、すべて優雅が蹴っていた。その彼が怪我で離脱し、チームはどうなった?」

 答えられない先輩たちに、世怜奈先生は現実を突き付ける。

「準決勝、残り十分までリードしていたのに、優雅が怪我で交代した途端、逆転負けを喫したのは誰? 選手権予選、その最初の試合で一点も取れずに大敗したのは誰? そんな君たちに本当に県ベスト4の実力があるなんて言える?」

 どんな顔でこの話に耳を傾けるのが正解なんだろう。

 肯定と共に居心地の悪さを感じれば良いのか。先生の言葉を否定して憤りを見せれば良いのか。話題の中心は間違いなく自分なのに、そんな問いの答えさえ分からない。

 鬼武先輩が拳の底で机を強く叩く。

「……そりゃ、俺たちは優雅の離脱に対応出来なかったですよ。でも、監督は間違っていない。準決勝でかいせいに負けた試合だって、ポゼッションでは勝っていた。パスをつないで、皆で連動して、監督が目指したのは、そういう美しいサッカーだった!」

「負けた試合を誇るのは格好悪いよ」

「女のあんたに何が分かる。俺たちのポゼッションサッカーは、全国でも通用したはずだ!」

 小さくためいきをついて、世怜奈先生は視線を宙に移した。

 告げるべき言葉を探すように一度、小首をかしげてから、

「君たちは本気であんなサッカーに誇りを抱いていたんだね。可哀想」

 あわれみの眼差しで、世怜奈先生ははっきりそう言った。ポゼッションとは『所有』、『占有』を意味する英語で、サッカーでは『ボール支配率』を指す。カウンターを犠牲にしてでもボールを繫ぐことを目指す。それが監督の目指したサッカーだった。

「哲学のないさるは憐れだよ。君たちがやっていたのは、ポゼッションサッカーなんかじゃない。だって、ただ逃げていただけだもの。後ろにボールを戻してばかりなんだから、ある程度は繫がるよ。オフェンスを立て直すために、そういうプレーを入れなきゃいけない時もある。でも、君たちのプレーは大半がそうだった。少しでもプレッシャーが激しくなると、ボールを前に運べる選手が優雅一人だけになってしまう」

 世怜奈先生の穏やかなきゆうだんは続く。

「ピッチの縦幅は大抵、百メートル強。素早くボールを回せば、十秒もかからずにゴールまで迫れるの。DFデイフエンスが揃う前に攻めた方が効果的なのは分かるよね? パスの本数が多くなるほどゴールが遠ざかるなんて小学生でも知ってるデータじゃない。どうして疑問を抱かないの?」

 ただ若くてれいなだけの副顧問。誰もが今日まで先生のことをそう思っていたのに。

「芦沢先生は目指すサッカーを体現するための哲学を持っていなかった。パスサッカーを成功させたいなら、ピッチを横方向に広く使わなきゃいけない。相手の守備陣形を広げなければ、パスを通すための道が出来ないからね。意識してプロの試合を見てごらん。ポゼッションを好むチームは、白線を踏むくらいの気持ちでサイドを利用しているわ。だけど、芦沢先生はボールを失わないために、出来るだけ近い位置でプレーするようかたくなに指示していた。そういう練習しかしていないからボールを運べない」

 正論には言い返せない。正しい言葉の前には沈黙するしかない。

 ここに至り、僕らはようやく悟り始めていた。この若くて美しい先生は、ただのお飾りや接待でチームにいたわけではない。彼女はずっと、ゲームの本質を見つめていたのだ。

「このチームには前のプレイヤーを追い越す選手が少な過ぎるんだよ。だから横パス、バックパスが続いてしまう。理由は分かるよ。同情もする。だってボールを失ったら罰走を命じられてしまうもんね。後輩の前でみじめに正座させられて、延々と説教を受けてしまう。ボールを失った選手を、あんな風に叱責し続けたら、誰もチャレンジなんて出来なくなる」

 それは、僕らにとって当たり前の風景だった。

 試合後の罰走、居残り練習、そんなのは日常茶飯事だった。

「君たちは監督に異論を唱えられない。だって言うことを聞かない選手は、チームから追い出されてしまうから。思い出してみて。一体、何人の仲間がこの部から去っていった?」

 サッカー推薦でも選手を集めているサッカー部には、毎年、三十人以上が入部する。しかし、この場にいるのは一年生が十九人、二年生が十二人、引退となる三年生が十四人である。

 一年生はまだ半数が残っているが、先輩たちを見れば残っている人間の方が少ない。

「辞めていく生徒の方が多いなんて異常だよ。監督に忠誠を誓えない者は残れない。間違いを指摘する者も残れない。我慢するしかない。ひたすらに耐えるしかない。そういう人間しか残れない。それが、レッドスワンを巣食う根深い愚かさの本質だ」

「強くなるために厳しくして何がいけないんすか。全部、チームが勝つためだ!」

 今にも泣き出しそうな顔でキャプテンが叫ぶ。

「辞めていった奴らなんて、ただの根性無しじゃないか! 弱いから逃げ出すんだ。俺たちは違う。どんなにきつい練習にも耐えてきた。そうやって成長してきたんだ!」

「でも、君たちは強くないじゃない。二回戦で敗退したことを忘れたの?」

「運が悪かったからだ。汚いチームに当たって、審判の誤審にやられただけだ」

「どうしてそんなに自分たちが強いって信じられるの?」

「俺たちはどんな学校よりも沢山練習をしてきた。なみ高校にも、偕成学園にも、練習量なら負けていない。誰よりも走ってきたし、毎日、吐くまで練習してきた」

 練習量はどんな学校にも負けていない。それは多分、レッドスワンの一番の誇りだった。

 監督のインタビューを僕も読んだことがある。うちのチームはどんなチームよりも走っている。沢山、練習している。それが出来る精神力が最大の武器です、と。それなのに……。


「そんなことをやっているから弱いんだよ」


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