プロローグ(2)


             2


 今年度、公式戦でベンチ入りを果たした一年生は三人いる。さかきばらかえでときとうだかは本日の試合に、攻撃的なポジションで先発していたが、僕、たかつきゆうでベンチにも入っていない。

 十分間のハーフタイム。

 炎天下のくさいきれに包まれながらスタンド観戦をする十七名の一年生は、眼前で繰り広げられた惨劇に、何を思えば良いかも分かっていなかった。

「審判がひど過ぎる。最初のレッドカードはともかく、二枚目は誰が見たってシミュレーションだろ。眼球が腐ってんじゃねえのか。低レベルな主審のせいで試合はぶち壊しだ」

 吐き捨てながら、おりは手にしていた大会パンフレットを地面にたたきつける。

「事実上の終戦だろうな。優雅に頼り過ぎたつけさ」

 眼鏡の下に冷ややかなまなしをのぞかせながら、けいろうさんがそっけなく答えた。

「先輩たちはもう勝負する気持ちを失っている。敗戦を受け入れたチームに声援を送ることほど、むなしいことはない」


 後半戦が始まり、チームが意地を見せたのは、ほんの二、三分だったように思う。

 少ない人数で猛烈なプレスをかけ、開始当初は押し込んだものの、あっという間にその時が訪れた。

 後半開始から、わずか六分。裏に抜け出した敵のエースに、三度ゴールを叩き込まれる。

 それからは、もうみじめなまでに一方的な展開だった。

 何とかして点を取りたいオフェンス陣と、これ以上の失態をさらしたくないディフェンス陣の意思がばらけ、中盤が間延びする。典型的な負の連鎖だった。

 あしざわ監督は最後まで交代のカードを切れず、赤羽高校は屈辱的な大敗を喫する。

 最終的なスコアは〇対六。選手権予選に登場した試合での敗北。それは、監督が指揮した三十二年の歴史の中で、最悪の結果だった。


 試合後には全部員が、ミーティングのためにロッカールームへ集合することになっている。

 無残な終戦を迎え、ベンチ入り出来なかった部員たちの間にも重苦しい空気が流れていた。引退を次年度に控えた芦沢監督は、敗戦の後でどんな言葉を選手にかけるのだろう。

 腕の力を使って立ち上がると、隣から圭士朗さんが松葉杖を差し出してくれた。

 僕は両膝を痛めているため、かんまんな移動しか出来ないのだが、頼まずとも伊織も圭士朗さんも歩みを合わせてくれる。二人はナチュラルにそういう気遣いを示してくれる友人だった。

 仲間たちから遅れて、三人でロッカールームへ向かっていたら……。

「おい、優雅。待てよ」

 不意に声をかけられ、振り返るとかいせい学園に進学したあきらが立っていた。

 中学生の頃は、試合で勝ち進めばかで必ずと言って良いほどに彼の学校とぶつかっていた。必然的にこうてきしゆとして顔見知りになり、会えば雑談を交わす程度の仲になっている。

 偕成学園は例年、王者のなみ高校に全国大会出場を阻まれているが、新潟県の圧倒的二強の一校である。僕らも今年のインターハイ予選では、準決勝で彼らに敗北している。

「偕成が二回戦から偵察に来るなんて意外だったな」

 伊織の言葉に、加賀屋はこつに不満そうな表情を見せた。

「お前らなんか偵察するか。ただの課題だ。どの試合でも良いから、同じブロックのゲームを見て、スカウティングレポートを提出しなきゃならねえんだよ」

「やっぱり偵察じゃねえか」

「だから違うって言ってんだろ。優雅がいないレッドスワンなんざ相手にもならねえ。こいつが怪我をした瞬間に、うちはマークから外している」

 少し前まで加賀屋は膝を故障しており、同じ総合病院に通っていた。そんな事情もあり、加賀屋は僕の怪我の具合を知っている。選手権予選どころか、来年のインターハイ予選にも間に合わない。それが僕の現状だ。

「見るに堪えない試合だった。レポートは適当に書くさ。レッドスワンはこうばかりで前線にアイデアがない。さいはいぼんようでエースがいなきゃ退屈なゲームすら演じられない。そんなとこだろ」

「わざわざ他人の試合をけん売ってんのか?」

「喧嘩を売って欲しいなら、まずはゲームに出ろよ。ベンチ外」

「てめえもレギュラーじゃねえだろ。控えが偉そうにえてんじゃねえよ」

 加賀屋は舌打ちをした後で、再び僕を見据える。

「優雅。俺は中学時代の借りを、高校で返すつもりだったんだ。怪我も治ったし、ようやくスタメンを勝ち取れそうだってところまできたのに、今度はそっちが離脱かよ」

「望んで怪我をしたわけじゃないよ」

「お前を見てると、マジでいらいらするぜ。インハイ予選でうちが勝ったのは、優雅が怪我でベンチに下がったからだ。適当な生き方ばかりしやがって。本当にサッカーが好きなら少しは執着しろよ。何でそんなに淡泊なんだ。俺にはお前が欠陥人間にしか見えねえ」

 僕らの間に身体からだを割りこませ、伊織が無理やり会話をさえぎる。

「てめえに何が分かる。優雅の人生を知らねえやつが、好き勝手にほざいてんじゃねえぞ」

「分かるわけねえだろ。こいつは何も言わねえじゃねえか。しやべらない奴をどうやって理解しろって言うんだ。大体、お前がかばってるのがこつけいなんだよ。伊織、俺はお前のことを絶対に許さねえ」

「意味が分かんねえ。何で俺が恨まれなきゃならねえんだ」

「説明なんかしてやるかよ。お前は何も知らないまま、の外でいらってりゃ良いんだ。レッドスワンのFWフオワードはゴミばかりだ。優雅がいなきゃ何にも出来やしねえ。そんなFWにすら勝てないのが、今のお前じゃないか。負け犬には吼える資格もねえんだよ」

 挑発に乗った伊織が、加賀屋につかみかかろうとしたその時、

「そのくらいで良いだろ。ミーティングが始まる」

 圭士朗さんの眼鏡の下に覗くれいな瞳が、二人をいた。

「加賀屋晃、君が言っていることはおおむね正しい。だけど、負け犬と言うなら君だってそうだ。トップクラブが存在する街では、才能がある人間は高校サッカーなんてやらない。俺たちを見下したいなら、せめてクラブユースに所属してくれ。同じ舞台に立っている間は、君のレベルも俺たちと大差がない」

 圭士朗さんの正論を受けて加賀屋は口をつぐむ。

 本当に才能がある者は、設備も指導も優れているクラブチームのユースに所属するため、そもそも高校サッカーの舞台には出て来ない。

 Jリーグの下部組織で経験を重ね、十六歳にもなれば、トップチームの試合に出場する者だっている。十代を待たずに、レアルマドリードやバルセロナといった海外トップクラブと契約する日本人だって存在する時代だ。

 高校サッカーはユース年代が目指す最高峰の舞台ではない。そんな時代はとっくの昔に過ぎ去っている。

「俺はいつかプロになる。夢を諦められねえから偕成に進学したんだ。優雅、お前はくずだよ。それだけの才能がありながら、すべてを無駄にしたどうしようもない屑だ」

「行こう。これ以上、相手にしなくて良い」

 圭士朗さんにうながされ、ロッカールームへ続く廊下へと入ったけれど、加賀屋の憎々しげな眼差しが、いつまでも背中に張り付いているような気がした。


 四十五名の生徒が集まっているのに、ロッカールームは静まり返っていた。

 徹底的にじゆうりんされた後では涙も乾くのだろう。

 おのようなロッカールームに、泣いている者は一人もいなかった。誰もが悲壮な顔でぼうぜんと立ち尽くしている。

 監督はパイプ椅子に座り、真っ赤な顔で宙を見据えていた。その唇が小刻みに震えている。

 怒りか、ショックか、心中は監督が口を開くまで分からない。

 赤羽高校は三十年以上、監督がたった一人で指導してきたチームであり、アシスタントコーチが存在しない。強豪校では異例ともいえる体制で全国大会へ勝ち進んだしゆわんは、当時、驚きと共に各方面から賞賛されたと聞く。

 チームにはサポート役の副顧問が一人いるだけだ。インターハイ予選に敗退した直後の六月に、前任の副顧問が体調を崩して休職し、以降は常勤講師としてにんしてきたまいばらという女性が後任を務めている。

「芦沢先生、全員が集まりました」

 いつまでも口を開かない監督に業を煮やしたのか、世怜奈先生が言葉を促す。

 聞こえているのか、いないのか。真っ赤な顔で芦沢監督はゆっくりと立ち上がり……。

 次の瞬間、監督は冗談みたいに仰向けに倒れていった。




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