【単行本の文庫化決定】「レッドスワン」シリーズ

綾崎 隼/メディアワークス文庫

レッドスワンの絶命 赤羽高校サッカー部

プロローグ

プロローグ(1)


 天に掲げられた悪夢が、無色であるはずもない。

 背景の赤い白鳥が崩れ落ちた時、僕は下された裁きが死刑宣告だったことを理解した。


 八月三十一日、日曜日。

 テレビ中継もされる高校サッカー界、最大の祭典、冬の『全国高校選手権』を目指すための県予選に、私立あかばね高等学校は二回戦から登場した。

 舞台は新潟市、とうかいスポーツセンター人工芝サッカー場。

 キックオフからわずか十五分、赤羽高校には二枚目のレッドカードが突き付けられていた。

 試合中に二枚提示されることで退場となるイエローカードとは異なり、レッドカードはおんじようき一発退場を意味している。ゲームはまだ六十分以上残っているのに、早くも九対十一という数的不利が生じていた。そのプレーで与えてしまったPKペナルテイキツクにより、あっさりと先制点が生まれ……。

「納得いかねえよ。あんなのどう見たってダイブじゃねえか」

 きりはらおりの唇から、不満がこぼちる。

 僕らが座っているのは、試合に直接関わることを許されないスタンドだ。

 目の前の光景にどれだけのふんを感じていても、抗議の声さえ届かない。

「主審はそう思わなかった。フットボールの世界じゃ、それがすべてさ」

 そっけなく答えたのは、右隣に座るじようけいろう

 ベンチ入り出来なかったメンバーは、スタンドから声援を送ることしか出来ない。

 赤羽高校サッカー部、通称『レッドスワン』に入部し、五ヵ月がったけれど、これが今の僕らに突き付けられている現実である。

 理不尽な惨劇に伊織は怒りを隠せずにいたが、対照的なまでに僕の心はへいぜいのままだった。チームメイトが苦境に立たされているというのに、いきどおりも、悔しさも、沸き上がってこない。今日も現実は、ただの事象でしかなかった。

 センセーショナルな場面に直面した時、僕はいつだって自分が『可哀かわいそうな子ども』だったことを思い出す。

 感情が壊れた欠陥品。

 それが、十六歳のたかつきゆうという人間だった。


 赤羽高校は九度の全国大会出場経験を持つごうであり、五月におこなわれたインターハイ予選では、県ベスト4まで勝ち残っている。

 試合が始まる前から、二回戦なんて突破して当たり前という空気がまんえんしていたし、目標ははるか高い位置に設定されていた。

 三年生と二年生には、チームを長く指揮してきたあしざわへいぞう監督を崇拝している者が多い。

 定年が迫る監督に花道を用意するため、もう一度、全国へ行く。先輩たちの、この大会にかける気迫は迫るものがあった。

 進学校である赤羽高校では大半の生徒が大学進学を希望するが、今年度はほとんどの三年生が部に残っている。

 毎日、一番遅くまで残って練習していたのがサッカー部だ。走り込んだ量だって、どんなチームにも負けないはずだったのに、今、目の前で起きている惨状は……。


 対戦相手の長潟ながた工業高校を、新興勢力とあなどっていたのだろうか。

 キックオフの前から嫌な予感はあった。長潟工業の応援席からは品のないが飛び続けていたし、ウォームアップの段階からハーフウェイラインを挟んで低俗な挑発行為が散見されていた。

 最初に頭に血を上らせたのはキャプテンだ。キックオフからわずかに五分、失ったボールを奪取するために、スパイクの裏を見せてスライディングにいったキャプテンに主審が提示したのは、問答無用で退場を意味するレッドカードだった。

 キャプテンはディフェンスの要、CBセンターバツクである。審判に対する抗議で、もう一人のCBもイエローカードをもらってしまい、赤羽高校の守備陣形はいきなりずたずたになってしまった。

 数的不利に追い込まれたのであれば、引き分け狙いでPK戦に持ち込むのも一つの戦術だ。インターハイ予選で大会得点王だった僕は、現在、まつづえ生活をなくされている。退場者を出した上、攻撃までわないのであれば、守備に重きを置くべきだろう。

 しかし、死神が振るうかまは、レッドスワンの首元にすぐに突き付けられることになる。


 キャプテンの退場から、わずか十分後。

 守備陣が相手の二年生エース、へびしまそうすけに突破され、GKゴールキーパーとの一対一を作られる。

 絶対に先制点を許すわけにはいかない。

 三年生、副キャプテンでもあったGKが一気に前へ走り出す。距離を詰めれば、シュートを打てる角度を狭めることが出来るからだ。

 GKを避けるため、ドリブルで突っ込んできた蛇島はボールを右にずらし、反応した副キャプテンが、横っ跳びでボールに食らいつく。そして……。

 悲鳴にも似た笛の音が、フィールドを切り裂いた。

「ダイブだ! ボールにしか触ってない!」

 隣の席で伊織が叫んだように、僕の目にもそう見えた。

 蛇島の倒れ方は不自然なものだった。人間はあんな風にバランスを崩したりしない。審判をあざむく行為、シミュレーションで間違いないだろう。ゴール前で犯されたファウルには、決まる確率の高いPKが与えられる。彼はわざと転倒したのだ。

 シミュレーション行為には、イエローカードが提示される。当然、蛇島にカードが提示されると思ったのに……。ホイッスルの後で主審が指差したのは、ゴール前方、PKを蹴るためのボールをセットするペナルティスポットだった。

 主審はズボンのポケットに手を伸ばし、何かを宙に提示する。

 その時、一瞬、僕には主審が何も持っていないように見えた。

 赤羽高校サッカー部は、赤い白鳥『レッドスワン』の愛称を持っている。審判が掲げた手の背景に、赤と白を基調としたユニフォームを着用するチームメイトがいたせいで、カードの色が見えなかったのだ。

 しかし、いつだって真実なんてものは、見えなくともそこにげんぜんと存在している。

 得点機会の阻止に対して下される判決は、ルールで決まっている。キャプテンに続き、提示されたのは、本日、二枚目のレッドカードだった。


「悪い夢でも見てんのかな」

 力の抜けた声で、左の席から伊織がつぶやいた。

 僕らは全国大会出場を目指していたはずだ。芦沢監督に花道を用意するため、先輩たちは受験勉強も二の次にして、を吐くまで練習を繰り返してきたのに……。

 二人の選手を退場で失った上に、PKで先制点まで許してしまった。

 サッカーは一つのチームが、十一人で構成されるスポーツである。退場者を出したチームの結束が固まり、予想外の方向にゲームが転ぶことも珍しくないが、二人が退場した以上、パワーバランスは大きく崩れることになるだろう。

 今後は残り時間で何度もきゆうおちいるはずだ。退場した二人はキャプテンと副キャプテンであり、守備の要でもある。チームのかいは容易に予測出来た。

 一年生の僕にインターハイ予選で与えられた背番号は、エースナンバーの10だった。そういう信頼を預けてもらえていたのに、今はスタンドから観戦することしか出来ない。

 こんな場面でもごとのように世界を見つめてしまう自分に、吐き気さえ覚えた。


 先制点が生まれて以降、レッドスワンは自陣にくぎ付けにされ、残りの時間、一方的な攻撃を受け続ける。

 相手コートまでボールを運ぶ余裕がない。このきゆうじようを跳ね返す力が、チームには残っていなかったのだ。

 そして、致命的とも言える二点目が生まれてしまう。

 前半戦の終了を告げるホイッスルが鳴り響いた時、顔を上げていたチームメイトは、フィールドに誰一人として存在していなかった。




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