シンギュラリティでの大学のありかたは?

経済学者・野口悠紀雄氏は、経済の競争力を高める方策として、大学への支援の重要性を提唱しています。

結論から言えば自分も、これからも社会や人類を発展させていく知識を生み出す場として、大学やそれに相当する何かは必要であり続けると考えます。


まず、人類が技術的特異点(または単に「シンギュラリティ」。テクノロジーの進化が速くなりすぎることで、文明が根底から変容してしまう時代のことです)を迎えれば、教育機関の必要性はなくならないとしても大幅に減少すると思います。

なぜなら、基礎教養という単純な知識やスキルのパッケージは、生徒を十数年も学校という狭い箱に閉じ込めて学ばせなくても、五分で脳にダウンロードできるようになると予想するからです。

そうなれば、単純な知識やスキルを教えていた小学校~高校までの過程の存在意義はなくなるでしょう。


そうなった時代に、大学の存在意義は何かと言われれば、人々の知識の交換を通じて新しい知識を生み出すことだろう、と答えておきます。

自分も大学や大学院を出ていて、特に大学院では半分学生として半分研究者として学びました。

その経験から言うと、小学校から高校までの「勉強」とは違う、大学における「研究」とは、既存の知識を基に新しい知識を生み出すことです。

まさにその研究の場として、大学やそれに相当する何かが未来も必要となるだろうと考えます。

きっと未来には、人類が万能のナノマシン(分子サイズの機械)と融合することで、新しい知識を生み出すためにいろいろな発明を試行錯誤する研究者としての道が、全ての人に開かれるでしょう。

そうなった時、高い授業料を払って通う大学の存在意義がなくなっていたとしても、世界中の人々の試行錯誤の結果を持ち寄るネット上のフォーラムがその代わりを果たしているかもしれません。


今日は、未来の研究のありかたについて論じてみました。

人類が、今後も有意義な知識を生み出し続けることを願っています。

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