BEATLESSはシンギュラリティの本質を捉えていない
技術的特異点(または単に「シンギュラリティ」。テクノロジーの進化が速くなりすぎて、文明が根底から変容してしまう時代のことです)を扱った物語の一つに、長谷敏司氏の小説「BEATLESS」があります。
ずいぶん前に読んだので内容は結構忘れているのですが、覚えている概要をざっくり説明すると、
・AIの知能が人類の知能を超え、社会のすみずみまでアンドロイドによる自動化が進んだ二十二世紀初頭の世界で、とある人間の少年が五体の少女型アンドロイドの戦いに巻き込まれる
という話です。
同作の根底には、
・人間はテクノロジーの進化のスピードについていけなくなる(サイボーグ化した人間は出てきますが、あくまで一部の軍人だけで、一般の多くの人たちがテクノロジーと融合しない生身の人間として生活しています)
・AIが魂を持つことはない(アンドロイドたちは、どんなに賢くなっても最後まで「モノ」として書かれています)
という二つの主張があります。
そこが、タイトルに書いたように、シンギュラリティの本質を捉えていないと自分は考えるのです。
シンギュラリティの概念を世に広めた実業家・レイ・カーツワイル氏は、「シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき」において、
・人間はテクノロジーと融合することによって、自らの進化を加速させることができる
・機械の知能は、それが人間らしい意識(つまり魂)を持っていると説得できるほどに知的になり豊かな感情を持つ
と論じています。
つまりシンギュラリティにおいて、人間と機械(AI)の区別はなくなるのです。
「シンギュラリティは近い」の英語での原著の刊行は二〇〇五年、初の日本語版である「ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき」の刊行は二〇〇七年です。
一方、「BEATLESS」の初出である雑誌での連載は、二〇一一年から二〇一二年にかけて行われました。
だから、世に出たのは「シンギュラリティは近い」のほうが「BEATLESS」より先です。
もっとも、「ポスト・ヒューマン誕生」が日本でも売れ出したのは、二〇一四年頃だそうです。
だから、長谷氏が「BEATLESS」を書く前に「シンギュラリティは近い」を読んだのかどうか分かりません。
長谷氏が「BEATLESS」を書く前に「シンギュラリティは近い」を読んでいて、その主張に納得していたら、「BEATLESS」は全く違う物語になっていただろうと自分は考えます。
今日は、日本SF史上に残る小説の一つを批判しました。
この記事が、シンギュラリティのビジョンを広める手助けになれば幸いです。
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