本質的なコミュニケーションを求めてない人たち
今まで両親を観察してきて、気づいたことの一つが、
「この人たち、本質的なコミュニケーションを求めてないんじゃないか?」
ということです。
どういうことかと言うと、まずコミュニケーションの本質とは、
「互いの言い分を出し合ってすり合わせた上で、相手と新しい共通認識を作ること」
であると、自分は考えています。
もちろん両親だって、社会の中で仕事したり、家庭生活を営んだりする中で、少なくとも実務上最低限必要な範囲ではそれができているはずです。
しかし、彼らが普段からそれをできているか? と言うと、疑問符が付きます。
例えば最近、自分は夕食の時間帯に母から話しかけられても、「うん」とか「なるほど」とかおざなりな返事しか基本的にしていません。
そんな適当なリアクションを受けても、母はよく、一方的に楽しそうに話し続けます。「最近不愛想だけどどうしたの?」とか、全然聞いてきません。
そんな母を観察していて、
「この人、自分が一方的に話したいこと話してれば満足なんだな」
と気づきました。
父なんてもはや、コミュニケーション自体を怠ってます。
例えばテレビを見てる間、父は隣にいる人と話すより、ひたすら画面に向かって独り言言ってることのほうが多いです。
また母によれば、父は先日、家の裏にある蜂の巣を独断で壊したうえ、事後報告も誰にもしませんでした。おまけに壊した蜂の巣はそのまま地面にほったらかしで、そのことでも母が困っていました。
今日書いたのは最近の話ですが、きっと昔から同じだったのだと思います。
そういう人たちからは、上に書いたコミュニケーションの本質はとても学べませんでした。
問題が雑談や日常生活レベルにとどまるなら、まだいいです。しかし、仕事や人生のレベルでも一方通行の命令や叱責ばかり受けてきたため、自分自身、
・他人と仕事するためには、仕事相手を論破して従えるしかない
・自分の言い分は一発で理解してもらわないといけないし、相手の言い分も一発で理解できないといけない(分かってもらえなかった場合のさらに噛み砕いた説明や、理解できなかった場合の聞き直しはNG)
などの、有害な思い込みを植え付けられてきました。
その呪縛を自分は、両親以外の人たちからコミュニケーションを学ぶことで解いてきました。
この記事が、コミュニケーションの反面教師のお話としてお役に立てば幸いです。
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