第65話


 気づけば真っ黒な世界。メルクリウスが笑いながら立っている。


「君、死ぬよ。さすがに雷は、ほぼ即死だね」

「でも、まだ生きてるじゃん!」

「まあ、まだ意識の欠片は残ってるからね。でも、もって数十秒ってところじゃない?」

「数十秒あれば!」


 黒い世界が掻き消え、演習場の床が目に入る。体が動かない。目の前が真っ赤になる。意識が再び掻き消える刹那。


 ——アカシックバレット!


 シングルバレット・プラナリジェネレーション!!


 言葉が消し飛ぶ激痛。おとなしく死んだほうがマシだったという後悔が脳を焼き切る。死ね、殺してくれ、どうして俺はバカ?

 理性が狂気で壊れる前にステージ1の自己催眠で人格崩壊を遮る。痛みの記憶を消し飛ばした。


 ああ、死んだ。

 俺、一回死んだな、これ。

 タッチの差だわ……。


「——アカシックバレット」


 倒れながらも手を伸ばし、桐ケ谷先生のほうへと向ける。狙うは、あの蝶。

 イルカやクジラはコウモリと同じように反響定位で位置を確認できる。それだけじゃない。彼らは自ら超音波を発して——


「反響定位音響弾(エコロケーションショット)!!」


 音波弾を飛ばし、蝶を穿ちぬいた。虹色の蝶が消し飛んだ瞬間、土砂降りも突風も全て掻き消えた。

 今だ!!


「うおおおおおおっ!!!」


 叫びながら立ち上がり、筋力増加と力の操作で、一気に距離を詰める。桐ケ谷先生が指を弾き、蝶を生み出す。だが、遅い!!


 バタフライエフェクト・メイルシュトロムは、スロースターターの尻上がりの能力だ。あの蝶の羽ばたきを重ねないと、起こせる現象は強くならない。最初はそよ風程度。

 それなら恐れるに足らないっ!!


「ダブルバレット・エメラルドスティング!!」


 エメラルドゴキブリバチの一撃を入れれば、俺の勝ちだ!!

 不意に風の壁が生じ、勢いを殺がれる。


 おかしい……。

 こんなにも早く、ここまでの突風が生じるわけ——


「記憶を失う前の刀義君にも秘密にしてたけど……」


 悲しげに桐ケ谷先生は笑う。

 その横に蝶が舞っている。

 一匹じゃない。


 無数の蝶が——


「具現化できる蝶は一匹じゃないんだ」


 一斉に蝶が羽ばたき、天候が一気に変わる。あと一歩というところで桐ケ谷先生と俺の間に水の壁が生じた。


「君にもらった第七感拡セブンスの名前だけど、やっぱり前のに戻すよ」


 水越しに感情の乗らない顔が見えた。


「——デウス・オティオスス」


 洪水に飲み込まれ、押し戻された。

 水に揉まれながら心の折れる音が聞こえた。


 勝てるわけねー。


 だって、洪水が引いたあと、すぐさま雷攻撃だろ? そりゃあ、やろうと思えば、プラナリジェネレーションで回復できるよ。でも、心がいつまで保つかわからない。今だって、あの痛みを経験するくらいなら、死んだほうがマシだとか思っちゃってる。嫌だ、もう死にたくない。ステージ1の自己催眠で恐怖心消して、痛みの記憶にフタをしてこれだ。


 てか、バタフライエフェクト・メイルシュトロムって名前のせいで蝶さえ消せばどうにかなるって思っちゃったじゃん。いや、攻略法はあってたけど、あんな数えるのも嫌なくらい蝶出すとか、もうチートじゃん。


 そりゃあ、デウス・オティオススって能力名のほうがあってるよ!!


 とか考えてたら、水ごと壁に叩きつけられる。洪水が引いていき、床の上に倒れることしかできない。いや、立てないわけじゃないんだよ。でも、もう立ちたくないっていうか、立っても勝てないっていうか、もう、マジ、神様みたいな力じゃん。スルト並みじゃん。天空神じゃん。勝てる気しねー……。


 そもそも<デウス・オティオスス>って名前がもう神の力ですって言ってんじゃん。

 デウス・オティオススってのは<暇な神>という意味で天空神を指す。

 いらねーよ、こんな中二知識さ!


 知ってれば知ってるだけ絶望感マシマシ敗北カタメじゃん。

 あー、ラーメン食いたい。ステージ1使うと腹減るんだよなー。


 まあ、無理だよな、俺、死ぬし。てか、異世界転生して一ヶ月でチートクラスの敵と遭遇とか終わってんじゃん。俺の能力も、そこそこ強めではあるけどさ! 神には勝てませんわ!!


 そりゃ、こんだけデタラメな力なら天空神に比しますよ。あー、やっぱりレーヴァテインとか持ってこないと勝てないんだよ、こういうチート能力にはさ!! こっちは虫とか動物の力だけだぞ!! メルクリウスにはムシキングとか動物の森とか言われてバカにされるしよ!! はあ、クソゲーっすわ。


 ほら、天空神よろしくで積雷雲が頭上でゴロゴロ言ってるじゃん。また即死級の雷攻撃じゃん! 卑怯! クソガチャ! マジチート!!

 神様が人間に勝てるわけ——


 ——なくもない。


 あれ? なくもないぞ。


「…………」


 第七感拡セブンス自体は<暇な神>という名前がついている。

 実際、神様みたいなデタラメな力だ。


「さようなら、刀義君」

「お別れを言うには、まだ早いですよ、桐ケ谷先生……」


 桐ケ谷先生の顔が悲痛そうにゆがんだ。


「どうして諦めないの? 無駄だってわかるでしょ? 君がどれだけあがいたって私には勝てない。せめておとなしく死んで」


 足に力を込めて嵐のなか立ち上がる。


「俺は死なないっ!! 俺が目指す男は諦めないし、負けない。負けても負けることにだけは負けない。なにより、俺が諦めたら、俺のために戦ってくれた奴らを否定することになる!!」


 突風に吹き飛ばされた。それでも俺は立ちあがる。


「いいぜ、この展開!! クソ燃えてくる!! 仲間のために命を賭けて戦うなんて、マジかっけーし!! 重くもなんともねー!! 俺は俺の正義を貫く!! だから俺はクソピンチでも笑ってやらー!!」


 体中痛いけど、桐ケ谷先生に向けて、勝気な笑みを浮かべてやった。


「でも、あんたはさっきからずっと辛そうな顔してるじゃないか!! 重いんだろ? 背負ってるもんがさ!! わかるぜ、その年で黒の福音の幹部だ。責任もある。やりたくない汚れ仕事もやらなきゃいけない」

「あなたになにがわかるの!? 勝手にいなくなったあなたに!!」


 頭上で雷鳴が轟く。


 ステージ3は認知的等価交換。

 能力者の認識によるリスクとリターンによって形作られる。それが根本ルール。

 バタフライエフェクト・メイルシュトロムには、神殺しのスキルは効かない。


 でも、神を称するデウス・オティオススならば、あるいは——


「トリプルバレット・外典ロンギヌスの槍!(ロンギヌス・オブ・アポクリファ)」


 耳を劈く痛みより早く、目の前が暗闇に覆われた。だが、死んではいない。これは、盲目の世界だ。

 何度も何度も雷鳴が轟くが、ロンギヌスの槍が神殺しの力で無効化している。イルカのエコロケーションショットは、コウモリのエコロケーションほど正確ではないが、それでも反響定位で周囲の状況は把握できる。


「その重荷、全部、下ろしちまえよ。俺がどうにかしてやる!!」

「どうにかできるわけないっ!!」

「テロリストをやってても、いずれ不幸な結末になる」

「そんなの、わかってるわよ!! でも、もうどうしようもないっ!! 逃げられないのっ!! 今さら、後戻りできないんだよっ!!」


 ロンギヌスの槍を振るい、迫りくる突風を切り裂いた。


「刀義君だって同じでしょ!! あなたは死ぬ。殺される。私がそうなるように誘導した」

「俺は死なない。あんたに殺されないし、十王戦旗にも誰にも殺されずに生き残って、元の生活に戻ってみせる!!」

「そんなことできるわけないっ!! 十王戦旗はあなたをテロリストと認定したわ!! それを覆せるはずないっ!!」

「諦め癖のついてるあんたにはできなくても、俺にはできるんだよ!」


 叫びながら嵐を薙ぎ払い、雷を穿ちぬく。


「逃げられない? 後戻りできない? そんなの誰が決めたんだよ!! もう嫌なんだろ? 逃げたいんだろ? その心が赴くままに行動したのかよ!?」

「うるさいっ!!」


 雷鳴が轟くも、ロンギヌスの前に霧散する。


「なに、その槍……どうして私の第七感拡セブンスが消えるの!?」

「あんたが強いからだよ、それこそ神様並みに……」

「君だって大概だよ。死んでも死なないし、生き返るしさ。知らない間に、こんなに強くなってるなんてデタラメだよ」


 苦しげに言い、パチンパチンと指を鳴らす音が響いた。蝶の数を増やしているのだろう。竜巻が生じるが、俺を飛ばす前にロンギヌスの槍によってかき消された。


「そっか、こりゃあ勝てないな……刀義君に殺されるなら、それもアリか……」


 とうとう俺は先生の前に立つ。


「どうして、こんなことになったんだろう……」

「俺のこと、頼ればいいんですよ」

「頼れないよ。私にだって守らなきゃいけない人がいるから」


 既に暴風雨は消えていた。これ以上の抵抗は無駄だと悟ったのだろう。


「ねえ、最後に教えて。私、どうして君に負けたのかな?」

「先生の敗因は、心のなかで俺を完全に切り捨てようとしたからです。俺を忘れようとしたから、そうしないと辛いと思ったから、あなたは第七感拡セブンスの名前を変えた」


 ステージ3は認知的等価交換。だからこそ能力名を口にして認識を強めることで、効果はアップする。バタフライエフェクト・メイルシュトロムからデウス・オティオススへ名前を変えたことで能力効果を向上させる意図もあったのだろう。だから俺も能力名を叫ぶし、場合によっては詠唱も使う。そっちのほうがかっこいいし、気持ち強くなるからな!


「ロンギヌスとか言ってたもんね。そういう力か……まさか、能力名を変えただけで逆転されるなんて思わなかったよ」


 悲しげな声で、そう言った。


「ねえ、さっき刀義君を頼ればいいって言ったけど、頼ったら、本当にどうにかなるの?」

「どうにかしますよ。先生が助けてくれって言うならね」

「助けて」


 すがりついてくる。その瞬間、腹に激痛。

 あ、刺された。


「あれ? どうして? なんで君を……」


 自分で自分を理解できないと言いたげに泣いていた。


「違う。そうじゃない。私はこんなこと……」


 演技とは思えない。となれば、誰かの第七感拡セブンスで操られているとか、そういう類のアレだろう。もしくは完全なる嘘という可能性も否定できないが……。


「嫌、嫌、どうして!?」


 言いつつ、ナイフをグリグリと動かしてくるから超いてー!!


「……先生が守りたいって思ってる人は誰?」

「私が守りたいのは……宗ちゃん……」


 木村君か……。

 よろめきながらも、先生を人差し指で突いた。桐ケ谷先生は虚脱し、同時に無数の蝶が消えていく。エメラルドゴキブリバチの麻痺毒だ。

 腹のナイフを引き抜きながら覚悟を決める。


 あー、プラナリジェネレーションの激痛はほんと嫌なんだよな……。


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