第64話


 ひたすらに駆けた。


 認識阻害と自己催眠と筋力増加、ステージ1の三重使用。監視ドローンの視線をかいくぐり、がむしゃらに走る。八重塚のことを振り切るように。考えないように。きっと死なない。善戦してる。もしかしたら、勝っているかもしれない。だから、ほら、現に鈴木三九郎には追いつかれないじゃないか!


 悲劇的な結末は、常に脳裏をかすめている。でも、そんなの、絶対じゃない! あいつは死なない!! 俺が信じなきゃ誰が信じるって言うんだ!!

 だから、もう振り返るな。考えるな。

 俺は俺のやるべきことをしたらいいっ!!


 異能専の校門についた頃には、既に日が落ちていた。当然、生徒の気配は校舎にはなく、一部の部屋に光が灯っているのが見てとれる。


 桐ケ谷先生は数学の教師だ。

 数学準備室に彼女の机があり、帰宅していなければ、まだそこにいるだろう。

 深呼吸をして覚悟を決めた。


 夜陰に紛れ、校舎に忍び込む。夜の廊下は、ほの暗く、非常出口の緑色の明かりが不気味に映る。教師は残っているのだから、もう少しひと気があってもいいはずなのに、ひっそりと静まり返っていた。


 数学準備室の扉を開くと、一番手前のデスクに桐ケ谷先生は座っていた。栗色のショートカットのまま、パソコンを前にキーボードを叩いている。他には誰もいない。

 認識阻害を解除したところで、桐ケ谷先生が微笑んだ。


「来ると思ってたよ、刀義君」


 キーボードを叩いていた手が止まり、椅子の背もたれがギシリと鳴る。そのまま微笑を携え、俺へと視線を向けてきた。


「いろいろと大変みたいだね。大丈夫なの?」

「……その件に関して話があります」

「うん、先生も刀義君に大切な話があります」


 桐ケ谷先生が立ち上がる。教師とはいえ、見た目は普通の女子大生にしか見えない。美人だと思うし、とにかく雰囲気が明るい。こんな人がテロリストの関係者だなんて、どうしたって思えない。


「安心して。他の先生がたは帰ってるから。学校には私と刀義君、二人だけ」


 艶のある物言いと試すような視線。昔の俺なら、こんな大人な女性に、嫣然と微笑みかけられたら、ドギマギしていただろう。

 でも、今の俺には、そんな余裕はない。


「先生は黒の福音のメンバーなんですか?」


 桐ケ谷先生は微笑を崩さず、しばらく無言のまま俺を見てから小さなため息をつく。


「演習場に行こうか?」


 桐ケ谷先生は椅子から立ち上がった。構える俺に苦笑を浮かべ、なにもせずに数学準備室を出て行く。その後ろを俺も無言でついていった。二人分の足音だけが、夜の廊下に響く。

 演習場の前で「電気つけなきゃね」と、桐ケ谷先生が明るい声音で笑いかけてくる。同時に、演習場に明かりが灯った。がらんとした人の気配のない、白くて窓のない部屋。


「さてと」


 桐ケ谷先生は演習場の中央辺りで立ち止まり、俺へと振り返った。


「いやー、驚いたよ~。刀義君が記憶喪失で倒れたって聞いた時はさ、どうなるものかと思ったんだけど……」

「やっぱり知り合いだったんですね?」

「知りあいというか仲間だよ」


 その言葉の意味を、一瞬、素直に受け止められなかった。

 仲間……この単語の意味することは、すなわち……。


「……俺も黒の福音のメンバーってことですか?」

「うん、そうだよ。末端構成員との橋渡し役。一応、私が君のボス」


 IQ400の時に想定していた可能性ではあるが、改めて突きつけられると、それはそれで厳しいものがある。この場合、俺が元の生活に戻れる可能性は、5パーセントを切ってしうまうからだ。でも、まだゼロじゃない……。


「どうしたの? いきなり元気なくなったけど?」

「いや、まさか昔の俺が、ただのクズじゃなくてテロリストだったってことに絶望してるんですよ。はあ~……マジか~……あ、じゃあ、なら、あの五万円は……」

「そう、君の活動費。対外的には私が若い燕に貢いでいるってことにしてもらってる。ほら、君って、たくさんの女の子と悪いことしてるでしょ?」


 ただの報酬だと思いたかったが、正式な活動費だったわけだ。


「いろいろ訊きたいんですが、どうして俺に出会った時、事実を伝えなかったんですか?」

「そんなの当たり前でしょ? もし、君が十王に追われてない状況で私の正体を知ったら、君はどう動いてるかな?」

「普通に通報しますね」

「でしょ?」


 ニコリと微笑まれた。こんな状況でも愛嬌のある年上のお姉さんにしか見えないのがすごい。


「なら、どうしてあんな課題を俺に与えたんですか?」

「末端の構成員が消えた理由を知りたかったから」


 テロリストたちは、自ら消えたりエイシアから逃げたわけではなく、誰かに消されたということになる。


「君を動かすことで、十王戦旗の動きを探ってたってわけ。結果的に連中が動いたから、いろいろ見えてきたよ。ありがとう、役に立ってくれて」

「いい加減、全容を話してください」


 桐ケ谷先生は肩をすくめた。


「まず、私たち黒の福音は末端構成チームをセルと呼んでるの。細胞のセルね。で、そのセルはまとめ役の人間、セルリーダーを含めて五人で1セル。そして末端構成員の四人は、まとめ役を知らない。なぜなら、刀義君のような連絡員が末端構成員とセルリーダーの間にいるから。これで、実際に行動する末端構成員が捕まっても、簡単にはリーダーのもとに情報は伝わらない。そして、私たちセルリーダーの上にはエイシアを統括する幹部がいる。この幹部が誰なのかも私は知らないし、他のセルの情報も知らない」


 ピラミッド型の組織ではなく、いくつもの小さな細胞が独立して活動している組織体系なのだろう。

 あれ? ひっかかるものがある。


「桐ケ谷先生を含めて五人で一つのセルだとするなら、俺の元カノで失踪した津崎美知留は黒の福音じゃないということですか?」


 五人×三つのセルで十五人。そこに桐ケ谷先生を入れると十六人となり、数があわなくなる。


「津崎美知留なんて知らないよ。君の本物の彼女じゃないの?」

「なるほど……そういうことか……」


 余裕を装ってみたものの、テンパっていた。IQ400の時でさえ出てこない状況だったので、この時点で俺の未来予測は全て役に立たなくなってしまった。どうしたらいいのだろう? で、でも、大筋は変わらないはず!!


「先生が行方不明者を探させるために俺を動かしていたのは理解しました。では、なぜマンティコア討滅も課題に加えてたんですか?」

「あれは人体実験用のモルモットを手に入れるため、妖害と詐称して行われた人為的な犯罪だから。しかも、能力者をターゲットにしたね。そんなの、見過ごせないでしょ?」


 要するに黒の福音と敵対的な組織の犯行だということだ。おそらく十王戦旗のどこか。

 まさか、そんなエイシアの暗部に踏み込まねばならない問題だとは……。

 俺が元の生活に戻れる確率が、どんどん落ちていっている。

 とはいえ、ここまではありうる可能性の一つに含まれていた。想定の範囲内。


「俺をテロリスト失踪事件の件で動かすことで、警察を含んだ十王戦旗の目を俺に向ける。そのうえで、マンティコア事件にも首をつっこませる。自然と俺を監視していた連中の目もマンティコア事件に向けられる。そういうわけですね」

「よくできました」


 ニコリと微笑む様は、生徒を褒める教師にしか見えない。


「二つの事件と神門刀義君に対するアプローチの仕方で、不透明だったものが鮮明に浮かび上がってくるんだよ」


 俺に対する逮捕拘留の動きは、かなり急だった。その黒幕が俺を消すことで全ての事件をもみ消そうとしたのだろう。


「で、どこが俺を消そうとしてたんですか?」

「米軍。マンティコアによる拉致を行ってたのも米軍だろうね。どういう経緯でか知らないけど、被害者の多くに黒の福音メンバーがいるし」

「……いなくなった十五人もですか?」

「そういうことになります。よくわかったね」


 なるほど、そういう流れか……。


「……俺が米軍に情報を売ったと考えてるわけですか?」

「正解。花丸だよ。そもそも君は私でさえ知らない他セルの構成員のことを知っていた。他のセルの橋渡し役まで君がしているのは機密保持の観点でありえない」


 それは俺も気になってたし、その引っかかりがどの答えに行きつくのかも理解できる。


「刀義君は、どこか別の組織から私たち黒の福音の情報を手に入れていたってこと。最初から裏切者だったんだよ。要はスパイだね」


 張り付けたような笑みで俺を見ているのが怖い。


「粛清しようにも下手に動けば、また芋づる式だし、こういう回りくどい方法になったってわけ。そのまま黒幕の米軍に粛清されてればよかったのに、ここまで来ちゃうんだもん」


 ため息をついていた。


「知らないので答えようもないのですが、もし俺が先生を裏切ってたのなら、先生がこうして自由にしてる理由にはならないでしょう?」

「そうだね、私の情報はね……」


 桐ケ谷先生が右手でパチンと指を鳴らすと、弾かれた指から粒子が煙のように立ち上る。そのモヤはやがて虹色に輝く蝶の形となって、パタパタと飛び始めた。

 風が吹いた。

 締め切られた屋内で、どうやって風が?


「……どちらにせよ、君はもう用済みなんだ、刀義君」


 悲しげに微笑む。


「さようなら。君のこと、好きだったよ」


 突風に突き飛ばされる。咄嗟に身をかがめて踏ん張った。


 なんだ、この風!?


 すぐさま横殴りの風に倒れて転がる。立ち上がろうとしたら、足元の水に滑ってしまう。水? どこから水が? 不意にどしゃぶりに襲われた。


 ——室内なのに!?


「私の第七感拡セブンスの名前、憶えてるかな? 本当は別の名前にしてたんだけど、君が考えてくれたものがあるんだ」


 土砂降りと突風が縦横無尽に襲いかかってくる。


「バタフライエフェクト・メイルシュトロム。けっこう気にいってるんだ、こっちの名前——」

「クールじゃないか!」


 賞賛は暴風にかき消された。

 突風に豪雨が四方八方から襲ってくる。それこそ足元から嵐が生じ、体がちょっと浮かんだ。

 想定以上にヤバい能力だ。死ぬかもしれない。すぐさま自己催眠で恐怖心を鈍磨化。突風に飛ばされないよう這いつくばる。叩きつける土砂降りに目を細めながら桐ケ谷先生を見た。ヒラヒラと蝶が羽ばたく度に風や雨脚の強さや方向性が変わっている。しかも、先生の周りに雨や風は発生していない。たぶん、任意で効果範囲を変えられるのだろう。


 ステージ3は個人的等価交換。自分の認知が能力に大きな影響を与えるため、名称も超重要だ。名前を叫んだり能力情報を開示することで、その効果があがることさえある。


 バタフライエフェクトとはカオス理論の単語だ。


 ブラジルで起きた蝶の羽ばたきがテキサスで嵐を作り出すかもしれないという考え方で、カオス運動の予測はほぼ不可能だということの例えだ。

 能力の名称とこの状況から察するに、気象を操る……いや、気象現象を限定的に具象化する第七感拡セブンス。しかもメイルシュトロムって、大海嘯とか大渦とか、そういう意味の単語だ。たぶん、天候だけじゃなくて、その気になれば津波とか起こせるんじゃないのか?

 あってよかった中二単語に関する知識。そのおかげで能力の推測ができる。


 風が強くなってきた。

 這いつくばっていた俺の腹の下から突風と豪雨。


「地面から雨とかデタラメすぎんだろ!!」


 叫んだ瞬間、体が浮かびあがった。すぐさま横殴りの風に吹っ飛ばされる。ステージ1の自己催眠と力学操作の二重使用。壁に叩きつけられる直前、衝撃をベクトル操作で分散させた。それでも痛い。


 考える間もなく突風が押し付けるように吹き付けてきた。まずい。呼吸ができない……。考える余裕さえ……。筋力増加で地面を蹴って、暴風域から逃げ——


 目の前に水の壁?


 叩きつける大水に呑まれる。体がグルグル回り、状況の把握が追いつかない。いや、追いついた。やっぱりできるじゃねーか、洪水とか津波とかまでさ!


 洪水が過ぎ去った時には、足に力が入らなかった。溺れかけて水を飲んだし、命を賭けた戦闘でのステージ1の使用が、ここまで体力を削るとは思わなかった。土砂降りのなか倒れることしかできない。


 デタラメすぎんだろ——


 気象を操るとか、ほぼ神様みたいなもんじゃん。


 ああ、嫌な音がする。

 ゴロゴロって音が聞こえる。


 これって、アレだよな?

 天候を操るってなると即死級の攻撃方法だって、当然あるよな。


 どうにか顔をあげ、頭上を確認。真っ黒な雲が俺を見下ろし、世界に入ったヒビのように雷鳴が轟いている。思わず吹き出した。一切の手心がない全力じゃん。普通、レベルが段違いの強キャラって慢心して負けたりするもんじゃない? 桐ケ谷先生、殺意高すぎんだろ……。


 瞬間、目の前が光り、衝撃に意識が消し飛んだ。


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