第63話


 夜になってから動くことにした。

 俺の認識阻害はカメラを通すと作用しないため、監視ドローンが飛び回っている昼間は下手に動くわけにはいかなかった。

 第八区画から学園のある第七区画までは、歩いて一時間といった距離だ。学校に桐ケ谷先生がいるかはわからないし、いなければ住所を調べて自宅を直撃するよりほかない。まあ、あとはなるようにしかならないだろう。


 十九時を越えたところで、俺と八重塚は廃工場から外に出る。まだ夜には早い、うっすら夕闇が空に手をかける黄昏時。監視ドローンの多くは事件が起きやすい繁華街に向かって飛んでいく。


「行くぞ」


 靴紐を結びなおしながら言う。


「承知しました」


 髪の毛をポニーテールに結った八重塚が、刀を腰に差した。和服なら帯に差すのだが、洋服であるため、ベルトの辺りに固定されている。どうやら、そういう小物がエイシアにはあるらしい。ふと八重塚がボストンバッグを俺に放り投げてきた。


「荷物は、あなたが持ってください」

「わかったよ」


 バッグを肩にかけつつ工場の敷地から外に出る。

 瞬間、なにか別の世界に足を踏み込んだ感覚に襲われた。一瞬で背筋が毛羽立つ感覚。ああ、この感じはあの時に近い。


 マンティコアの纏う闇に足を踏み入れた時の違和感。

 覇眼王リスカに視られた時の圧迫感。

 だが、これは、それよりももっと空気が重い。


 風が止まっているのに、不可視のなにかが肌を撫でるような感触。ぞくりと全身が総毛立ち、なにかが脳裏で警鐘を鳴らしている。


「八重塚……」


 俺が声をかけるより早く八重塚は鯉口を切り、刀の柄に手を添えていた。


「何者かのミーム拡散力場に触れましたね。これだけ広くて濃いのは……」


 景色が蜃気楼のように歪んで見えた。分厚い膜のようなもので景色が歪曲している。

 そして、それは曲がり角から、卒然と現れた。


 白い髪にギターのハードケースを背負い、ボロボロのダメージジーンズに古びたパーカー。薄ら笑みを浮かべ、どこか遠くを見ているような瞳は鈍色にくすんでいる。


「鈴木三九郎……」


 不意に絶望が口からこぼれる。

 最も遭遇を避けたかった不確定要素。


 この男と出会った場合、作戦成功確率が五パーセント以下に落ちる。

 隣に立つ八重塚は、柄に手を添えたまま動かなかった。どんな顔をしているか確認する余裕すらない。視線を逸らした瞬間、食いつかれるような剣呑さが、あの男にはあった。


「やあ、神門刀義くん、こんなところで奇遇だね」


 朗らかに微笑みながら、こちらに近づいてくる。口の中が乾いていた。必死に唾を集めてゴクリと飲み込む。


「あんたとの勝負は一ヶ月後じゃなかったか?」

「うん、そうだよ。そのつもりだった」


 肩をすくめてため息をつく。


「でも、もうダメそうだ。十王戦旗内では君を黒の福音のメンバーだと確定した。警察に捕まれば、一生、獄中生活。戦旗にみつかれば、その場で殺害。米軍にみつかれば……」


 クスリと笑う。


「……それはそれで面白そうだ。でも、残念、王の一人である僕にみつかった」

「俺は、もっと強くなるぞ。今よりもっと」

「ああ、そうだろうね。そうなんだと思う。もう少し待てば、君は僕に届いたかもしれない。でも、そんな君と再会できる目は薄そうだ」


 そう言って立ち止まる。


「気に入った物を横取りされるのだけは我慢ならない。そんなことされたら、僕はそいつ悪として根絶やしにする。それを邪魔する悪者も殺す。そしたら、また罪のない人が悪によって滅ぼされてしまう。そうなる前に僕が殺すしかないだろ?」


 論理が独特すぎて一切の共感ができない。要するに問答無用。交渉は不可能。戦闘は避けられない。


 鈴木三九郎に関してわかっていることは、対峙した人間を消失させる異能。更に剣士としても超一流の腕前を持ち、八重塚の家族を皆殺しにした。殺しのプロで、エイシア最強の一角。


 俺の持ってる能力では絶対に勝てない。IQ400の状態でも、鈴木三九郎と出会って、しかも俺が戦うことになった場合は勝率ゼロパーセントという結論に至った。

 不意に八重塚が一歩前に出る。


「……お前は私を覚えていますか?」


 抑揚のない口調でポツリとこぼした。


「さあ、覚えてないな」

「八重塚という名前は?」


 鈴木三九郎は虚ろな瞳でなにかを考える。


「やえづか? さあ? 覚えてないよ」


 そう残念そうにこぼしてから、パッと表情をほころばせた。


「あっ! もしかして敵討ちかなにか? でも、心当たりがありすぎて……うーん、でも、やえづかなんて名前は覚えてないな。印象に残った人のことは覚えてるけど、それ以外は覚えるだけ無駄だし……」

「……そうですか。それはよかった」


 クスリと八重塚が笑う。


「お前が救いようのない外道だと確認できた。ならば、もはや、なんの躊躇もいらない」


 鈴木三九郎が噴き出すように笑う。


「アハハハ、つまらないこと言うね。外道? 躊躇? そんな些事にひっかかるから、君の知り合いは僕に殺されたんだと思うよ」


 スラリと音もなく八重塚は刀を抜いた。対する鈴木三九郎は未だ動く気配がない。


「僕が殺すのは、君のように僕の敵になることを選んだ人。そして、僕が戦いたいって思った強い人。あとは、救いようのない悪人。三つ目の悪人連中は、ほとんど覚えてないよ。雑魚ばかりだから」


 笑みを浮かべたまま鈴木三九郎は続ける。


「だから、君の大切だった連中は、きっと救いようのない悪党だ。なのに、アハハッ! 外道がどうとか躊躇がどうとか、正義を騙るのかい? それは、本当につまらなさすぎる。滑稽だなあ」

「お前は自分が正義だとでも?」


「いいや、僕は正義を騙りはしない。僕は僕の敵と、僕の思う悪を滅ぼすだけだよ。だって、僕はこれだけ強いんだから、弱い人たちに還元しなければならない。弱者や虐げられてる人たちに代わって悪を鏖にする。それが、王様の役割ってものだろ?」


「王になる前からたくさん殺していたじゃないですか?」

「そうだね。王様になる前から人を斬るのは好きだ。うん、大好きだ。だから、好き勝手に悪人をぶった斬れる王様ってのは天職だと思う」


 朗らかになんでもないかのように言う。たぶん、本当に悪意がないのだろう。

 だからこそ気持ち悪い。イカレているし、自分のなかで完結しすぎだ。

 ああ、覇眼王リスカに似ている。独自のドグマとルールを持っていて、それを曲げる気がないし、そもそも曲げ方を知らない。歪に強固な個性と自我を持ち、他者を歯牙にもかけない暴力の体現者。

 八重塚は小さく息を吐く。


「では、イカレた王様、私の勝負を受けてくれますか?」

「好きにしなよ。でも、君程度じゃあ、僕に刀を抜かせることもできない」

「神門、行ってください。この男を殺してから後を追います」


 八重塚の言葉を受けて鈴木三九郎は楽しげに微笑んだ。


「いいよ、行きなよ、神門刀義君。ここまで大言を吐くこの子にちょっとだけ興味が出てきた」


 行けと言われても……。


「八重塚、大丈夫なのか?」

「この身はお前のものなのですよ。許しを得ずに死んだりはしません」


 なにを言っても通じない。そんな声と横顔だった。理解できない。止めたい。力になりたい。そんな気持ちがグルグル回る。


「助太刀はいるか? まあ、一回くらい盾にはなるぞ」

「私の人生を安易な同情で汚さないでください」


 八重塚の力になりたいという気持ちの全てが、彼女にとって邪魔でしかないのだろう。


「……わかった。でも、俺の気持ちは裏切るなよ」

「……ええ、心配無用ですよ、クーちゃん」


 顔の中心に力がこもる。八重塚に言いたいことはたくさんある。でも、きっと届かないし、そもそも伝える術が俺にはない。ああ、そうだ、この女もイカレてる。涙が出そうなほどぶっ壊れてやがる。


 でも、だからこそ、狂った王様に届くかもしれない。

 だったら、俺も、その狂気に乗っかるしかないんだよ!


「がんばれよ、お姉ちゃん……」


 張りぼての嘘だけ置いて、俺は走り出した。


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