第58話


 目覚めた瞬間、掛布団をかけられていることに気づく。

 遮光カーテンの足元から差し込む陽光は、橙色にくすんでいた。どうやら、もう夕方らしい。起きたら拘束されていた、くらいの覚悟はそれとなく決めていたのだが、どうやらキリエは俺を警察に売りはしなかったようだ。


 体を起こして背伸びをする。夢すら見ない深い眠りだった。リスカとの戦闘で、かなり消耗していたのだろう。だが、リスカ戦で失った能力を回収しておかないと辛い。今後も戦闘は避けられないのだから。

 トイレの水を流す音が聞こえ、しばらくしてから扉が開いた。現れたのは私服姿のキリエだ。ミニのスカートにヒラヒラしたブラウス。これから出かけるような服を着ていた。


「あ、刀義ちゃん、起きたんだー!」


 舌たらずな喋り方だ。そのままトテトテと俺に近づいてくる。俺の真ん前に座り「えへへ」と笑いかけてきた。違和感しか感じない。


「……えっと、学校は?」

「わかんない! そんなことより遊ぼーよ。なにして遊ぶ?」


 座る俺の足に倒れながら、俺を見上げてきた。絡み方が小さい子供みたいだ。


「ねーねー、刀義ちゃん、どうして急に会いにきてくれなくなったの? あたし、すっごく寂しかったんだよ」

「……それは、その、すまんかったと思う」


 不意にキリエは起き上がり、俺の真正面に顔を近づけてきた。


「頭撫でて」

「はえ?」

「撫ーでーて!!」

「お、おう」


 言われるがまま頭を撫でる。キリエは嬉しそうに目を細めてから「ムフフ」と笑い、そのまま抱き着いてきた。


「刀義ちゃん、大好き!」


 なんだろう? どうしちゃったんだろう? キリエの心が壊れちゃったのかな? てか、俺はどうしたらいいのだろう?

 不意に勢いよくキリエが離れた。俺を見る顔が一気に紅潮していく。


「わ、忘れろー!!」


 ビンタされた。え、理不尽……。


「だから嫌だったの! あんたを家に入れるの!! どうしてよ、もう!!」

「えっと、その、今のなに?」

「うっさい!!」


 目じりに涙を浮かべながら顔を真っ赤にする。会話全てが地雷のように思えてきた。こういう空気の時、どうしたらいいのかわからない。だって童貞だもの……。

 俺が言葉を探している間にキリエは俺に背中を向けて三角座りをしていた。


「……さっきのなに? お前になにがあったの? そういえば、時々、あのテンションになるよな?」


 キリエが「ぐっ」と三角座りしながらうめいた。


「本当に言いたくないことなら、もうつっこまないけど……」

「呪いよ」


 ぼそりとつぶやく。


「……ステージ3の開発中にいろいろ失敗して、ああいうことが起きるようになったの。結果、奨学生なのに筆記試験でもひどい点数になったり散々よ」

「そうなのか……」

「詳しいことはあたしの第七感拡セブンスに関わることだから言えない。でも、あの状態の時に言うことは全部嘘で本心じゃないから。そこは忘れないで……」

「お、おう……」

「で、どうするの? 状況証拠的に刀義がテロリストだと思われてもしかたがないんでしょ?」


 これ以上はなにも聞くなということらしい。俺としても納得できたので、この流れに乗っかる。


「なに、この状況を打開する策なら既に十通り考えてある。いや、今、十一通りに増えたな。やりようはいくらでもあるってことだよ」


 我ながらクールに嘘を言えたと思う。マジかっけー。


「具体的には?」

「それを君に明かせば、君を巻き込むことになる。夜になったら俺はここを出ていくから、その後、警察に通報してくれ。あとはどうにかするさ」


 キリエは三角座りをやめて、こちらへと振り返ってくる。


「本気で言ってるの?」

「本気だよ。誰も巻き込みたくない」


 アンニュイな表情でキリエから視線をそらしたところで、気づいた。

 あれ? この会話の流れって、めっちゃクールじゃない?

 特に意識せずに、こんなクールなことをキメちゃう俺って、マジ、クールだわ。

キリエに視線を戻したら、目じりに涙を浮かべていた。予想外な反応に絶句する。


「どうして記憶がないくせに……同じこと言うの?」


 グスっと鼻をすすりはじめる。


「前もそう言って、勝手に別れを切り出したじゃない! どうして、またそうやって……」


 え? どうしよう? なんか泣かれちゃったんだけど? どうしたらいいの? マジ、テンパるんすけど!?


「いや、あの……ごめん。冗談、うん、嘘、嘘。今の嘘だから泣かないでよ。ねえ? ごめん、ほんと、ごめん」

「そういうのは、もっと腹が立つ!!」


 本気で怒られてしまい「すみません」と小さくなる。

 あれ? おかしいな、クールな会話の流れだったのに、どうしてこんなことに?

 ん? あれ?

 ……前の神門刀義も同じことを言ったのか?


「えっと、俺はキリエと別れる時に、今みたいなこと言ってたの?」

「そうよ! あたしを巻き込みたくないから別れるって!!」

「それっておかしくないか?」

「どこが!?」


 鼻をすすりながら泣かれたので、近くにあったボックスティッシュを差し出した。キリエが鼻をかむのを待ってから、説明を開始する。


「昔の俺が黒の福音のメンバーだったと仮定するぞ。目的は強力な異能力者を仲間に引き入れることだ」


 覇眼王リスカが言うには、そういう目的で行方不明者たちは動いていたらしい。


「となれば、キリエを仲間に引き入れると思うんだよ。だって、お前、強いし」

「だから、巻き込みたくないって言ったんじゃないの?」


 危険な世界に愛する人を巻き込みたくないという理屈だろう。でも……。


「一般的なテロリストって、自分の信じる理念のために行動するだろ? 狂信者だ。むしろ自分の思想こそ正しいから、仲間に引き入れることこそ正義なんじゃないか? 神門刀義が本気でキリエを好きだったら、絶対に仲間に引き入れるはずだし、好きじゃないなら、キリエがどうなろうと知ったこっちゃない。なにも考えず、仲間に引き入れるはずだ」


 どちらにせよ、キリエを仲間に引き入れるよう行動するのが正しい気がする。


「なんか、すごく引っかかる言い方だけど……たしかにそうね」

「……テロリストにしては、前の神門刀義の行動には矛盾がある。本気のテロリストじゃなかった? いや、それなら逃げてるはずだ」


 腐っても神門家の人間だ。テロリスト仲間の情報を売って逃げてしまえば、どうとでもなると思う。


「そもそも秘密結社のテロリストってイメージと神門刀義が重ならないんだよな。そもそも行動が派手すぎる。エイシアに来た時点で要監視必要者だったって言ってたし……」


 そんな人間がテロリストになるか? だいたい裏の仕事の斡旋もするなんて、警察とか十王戦旗に目をつけてくれと言っているようなものだ。


「じゃあ、刀義は黒の福音のメンバーじゃないってこと?」

「いや、それにしてはピンポイントで黒の福音メンバーと接近しすぎなんだよ。そのうち一人は恋人だったわけだし……」


 わからん。

 マジで神門刀義という人間がわからなくなってきた。


「なあ、キリエ、君とつきあってた時の神門刀義って、なんかテロリストっぽいところとかあったりした?」


 キリエは「うーん」とうなりながら考え込む。


「普通に優しかった。引っかかることって言えば、デートはほとんど公園かこの部屋だったってことかな? 別にそれが嫌だったってわけじゃなかったけど。話をしてるだけで楽しかったし」


 俺は女の子とつきあったことがないからよくわからないけど、デートプランを考えたり、金のかかるデートをしたくなかっただけではないだろうか?


「でも、時々一緒にショッピングとかもしたわよ。あたしが選んだ服を刀義が着てくれたりしたし」

「ごめん、奢らせてごめん」

「だから気にしなくていいって。あたしが似合うって言ったんだから。ほら、刀義の家にお邪魔した時、着てくれてたでしょ? あれ、ちょっと嬉しかったし」

「ごめん! 知らなくてごめんっ!!」


 これ以上、二人の思い出を聞き出すのは、俺のメンタルが崩壊しそうだ。でも、聞かなければならない。そこに重要な何かがあるかもしれないから!!


「ほ、ほかには?」

「うーん、ほかには……あ、そうそう……」


 結果、重要な情報はなにも得られず、キリエが楽しげに語る過去の思い出が、俺のメンタルをゴリゴリ削るだけだった。キリエのチョロさをいいことに、いろいろ利用し、貢がせていたという事実を確認するだけなのだ。

 やはり神門刀義はクズだと思うし、中身が俺じゃなければテロリスト扱いされて捕まればいい。


 そんな話をしているうちに窓の外には夜のとばりが落ちていた。キリエは「夕飯作るね」と言って、キッチンへと消えていく。一応、辞去したのだが「いいから食べていきなさい」と返されてしまう。しばらくしてから、オムライスが二人分、運ばれてきた。オムライスにはうるさい俺だが、素直においしいと思った。

 食事を終え、改めて「迷惑かけたな」と頭をさげる。


「それで、迷惑ばかりかけて、どこ行くつもりなの?」

「とりあえず、八重塚に会ってみようと思う」


 キリエが一瞬だけ、口を真一文字にむすんだ。


「どうして?」

「あいつも昔の俺のことを知ってるみたいだし、いろいろ聞けたら、なにかわかるかもしれないだろ」

「じゃあ、あたしも一緒に行く」

「いや、いいって。もうこれ以上は迷惑かけられない」

「でも、淡海の家の場所、刀義は知ってるの?」


 知らない。無言の解答を得たキリエはため息をつく。


「乗りかかった船なんだし、最後まで面倒見る」


 困った困ったみたいな顔をしているが、声と口調は乗り気である。俺は深いため息をついてからキリエをしっかり見据えた。


「俺はお前が好きだった神門刀義じゃないんだぞ」

「……今の刀義がなんであれ、あたしが面倒を見るって決めたから面倒見るの! あんたは覚えてないかもしれないけど、仕事のこととかお世話になったのも本当なんだし。その恩義くらい返させなさいよ」


 まくしたててから「言っとくけど、もうぜんぜん好きとかじゃないから」と念を押される。情け深いというか、チョロいというか……だからこそ、巻き込みたくない。ここで彼女の善意にすがったら、それこそクズになってしまう。

 そう思った瞬間、呼び鈴が鳴った。


「こんな時間に誰かな?」


 キリエが小首をかしげた瞬間、最悪な展開が脳裏をよぎった。


「……たぶん警察だ」

「え?」


 言いつつ認識阻害で姿を消す。


「待って! あたしも一緒に!!」


 トンとキリエの眉間に指を添え、ステージ1の催眠術で意識を奪う。


「と……うぎ……」

「ごめん」


 倒れたキリエを床に横たえつつ、彼女の携帯端末を顔認証で開く。すぐさま八重塚のメールアドレスと住所など個人情報をゲットした。


「もし、また会うことができたら、その時は、改めて謝るよ」


 そうクールに言い、キリエが隠していた靴をつかむと、窓を開けて外に出た。瞬間、数名の警察やら、顔を防護マスクで隠した特殊部隊を確認。その中の一人と目が合う。


「いたぞ!! 認識阻害で姿を消してる!!」


 気づかれた!!

 舌打ちを鳴らしつつ筋力増加をし、駆ける。響くサイレンに怒号を背にし、ただひたすら走ることしかできなかった。


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