第57話
覇眼王の屋敷を抜け出し、しばらく歩いてから公園に入る。深夜ということもあり、ひと気はない。電灯だけが、ぽつんぽつんと闇の中にたたずんでいる。負傷した左肩を押さえつつ、公衆トイレに入った。
公園のトイレも掃除が行き届いており、蛍光灯の光を浴びて個室の白い扉が光って見える。当然、誰もいない。奥の個室に入ったところで、今まで発動し続けていたロンギヌスの槍にエコロケーション、そしてエメラルドゴキブリバチの能力を解除。これで、今頃リスカたちに打ち込まれた毒も消えているだろう。同時に三つの能力は使えなくなり、俺の預金から三万円も失われた。憂鬱である。だが、それ以上に憂鬱なことが、まだ待っているのだ。
「やりたくねぇ……」
自然とうなだれてしまうが、未だに左肩は痛んでいる。レーザーで焼かれたせいか、血は流れていないが、かなりの大ケガだ。赤黒く炭化しているし、痛みで涙が出そう。正直、ここまで逃げてくるのもつらかった。本当はもう少しリスカの家から距離を取りたかったが、いい加減、限界である。
だが、そんな痛み以上に憂鬱なのが『プラナリジェネレーション』だ。どんなケガでも立ちどころに再生するという、ある種チート能力ではあるのだが、気が狂うほどの痛みに襲われる。あの痛みを想像しただけで、左肩の痛みを忘れることができるほどだ。
でも、治さないといけない。
ケガしたまま動けないし、そろそろ睡眠時間的にアカシックバレットの使用限界を迎えそうだ。
トイレットペーパーをカラカラ回し、大量に丸めてから噛んだ。
プラナリジェネレーション、発動あああああああああああっ!!
「んーーーーーーあっーーーーーーぎゃあああああぐああああああっ!!」
痛みのあまり、目の前が一瞬白くなる。失神しても、すぐさま痛みが意識を覚醒させる。
「んあああああああっ!! 殺せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! 殺してくれぇぇぇぇぇえっ!!」
火傷している左肩にパンチして痛みをごまかそうとするけど、ごまかせない。最初は便座に座っていたが、すぐさまのたうち回り、扉に何度も頭をぶつける。他の痛みで激痛を忘れようとする自己防衛! 自己防衛っ!! あああああああっ!!
「…………」
今までの痛みが嘘のように消える。この、ただフラットな状態に戻るだけで、今まで生きてきたなかで感じたことのない多幸感と快楽に襲われた。
「へへっ……」
涙と鼻水とよだれをダラダラ垂らしたまま、個室の扉に張り付き、そのままズルズルと落ちていく。
「もうやだ……」
このままジッとしていたい。
でも、そういうわけにもいかない。いつの間にか吐き捨てていたトイレットペーパーの塊をトイレに流して個室を出る。洗面台で涙と鼻水とよだれを洗い流した。
「……がんばれ、俺。うん、がんばる!」
自分で自分を鼓舞しつつ公衆便所を出たところで、意識が一回、落ちかける。そろそろアカシックバレットの使用限界のようだ。このまま落ちれば、ノンレム睡眠に移行するのだが、寝ているわけにもいかないので、意識を覚醒さえ、起きることにした。
ドッと疲れが噴出し、同時にクリアーだった体感が鈍くなっていく。
これからしばらくの間はステージ1の能力で対応するしかない。そのステージ1にしたって使用時間に限界はある。
公園を出て自宅のマンションへと向かって歩いていった。こんな夜中に無人タクシーは動いてないし、動いていても警察に察知されてしまうだろう。ていうか、警備ドローンにみつかった時点でアウトじゃないか……。
幸い、夜中ということもあって、ドローンの数は少ない。頭上を注意し、時には物陰などに隠れつつ町中を進んでいく。リスカの邸宅から自宅マンションのある第七区画につく頃には、空が薄明るくなっていた。辺りをうかがいながらマンションへと近づけば、普段見かけないフルスモークのあやしい車がいくつも路上駐車されていた。
絶対、誰かが張り込んでるじゃん。
警察か十王戦旗の部隊か……どちらにせよ、リスカが言っていた話は本当だったようだ。
連中に俺は黒の福音のメンバーだと思われている。
認識阻害を発動し、足早に自宅から離れていった。距離を取ったところで能力を解除。壁にもたれかかりながら深いため息をつく。
「どないせいっちゅーねん……」
涼葉を助けると息巻いてリスカの元から逃げてきたはいいものの、どうしたらいいのかわからない。俺が犯人じゃないという証拠さえみつければいいのはわかっているのだが、その証拠ってどこにあるのさ? マジわからん。
それに、この後、俺はどうしたらいいんだ? 既に日は昇っており、そろそろドローンの監視カメラにも映りやすくなる。唯一の肉親だった涼葉もいない。
「どうしたらいいんだ……」
言いつつ歩きはじめる。
どこに向かえばいいのかわからない。わからないけど、見覚えのある通りだ。
「携帯端末もないし……」
リスカに捕まった時、没収されている。何一つとして頼れるものがないのに、とりあえず見覚えのある角を曲がった。
「まあ、いいさ……俺一人でどうにかしてみせる……」
クールにキメつつ、ボロアパートの前に立った。
あれ? どこかで見覚えのあるアパートだぞ? いったい誰のアパートだったっけな?
不意に、二階の部屋から見慣れた金髪の少女が現れた。同時に俺は認識阻害を解く。これ以上は、体力の消費がきついし、しかたがないよね。ふと、偶然、しかたがないことに、階段を下りてきたジャージ姿のキリエと目があってしまう。
「刀義!?」
「キリエ……あ、そうか、ここは君の家か……」
偶然、来てしまっただけだ。
決して、頼りたいとか、知り合いの中で唯一、自宅を知っている相手だったとか、そういう意味じゃない。だって、こんな孤立無援の状態で、仲間を巻き込むわけにはいかない。
「こんな時間にどうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
力なく首を横に振る。
「なんでもないって顔じゃないわよ? 昨日、学校にも来てなかったし、メッセも返ってこないし、なにかあったの?」
「これ以上は君に迷惑がかかる」
言いつつ踵を返す。でも、歩き出さない。
おい、俺を止めろ! ここは止めるところだろ!!
「……行かないの?」
「靴ひもがほどけてるから……」
しゃがんで靴ひもを縛りなおす。そんな俺の背中にキリエのため息が落ちてきた。
「話を聞くから部屋にあがって。でも、変なことしようとしたら殺すからね」
「いいのか? きっとものすごく迷惑がかかるぞ」
「じゃあ、帰ってよ。これからジョギングしないといけないから」
「……ここはもう少し食い下がってくれないか? お互いのためにさ」
「よくわからないけど、ついてきて。ほんと、顔色最悪だよ?」
「一時間半は眠れたし、問題ないさ……」
そんな具合に寝てないアピールをクールにキメる俺を、キリエは呆れた顔で一瞥し、アパートの階段をのぼっていく。その後ろについていき、キリエの部屋へと通された。キリエは靴を脱いで、廊下にあがってから、三和土に立つ俺をジッと見てきた。
「言っておくけど、あたしは簡単に男性を自分の部屋にあげたりしないんだからね! あんたとは一応、つきあってたからギリギリ人情とかそういうので、許してるだけだから!」
「やっすいツンデレみたいなこと言わなくても、わかってるって」
「誰がツンデレよ!? いい!? あたしはあんたのこと、もうなんとも思ってないんだからね!!」
こちらとしても、神門刀義に惚れていたというだけでキリエは恋愛対象外だ。なので、俺も一応、言っておかねばならない。三和土に立ちながら、腕を組み、キリエを見据える。
「知ってのとおり、俺は紳士だ」
「いきなりどうしたの?」
「だから、俺はお前に対して不逞な行為は一切しないと、ここに誓う。俺は違いのわかる男だ! キリエみたいな女には絶対手出ししない! だって違いのわかる男だからっ!!」
「うん、帰って」
笑顔で言われた。
「なんでだ!? 今、この世界で俺以上に安全な男はいないぞ。だって、お前にだけは絶対手を出さないって天地天命に誓ってるんだから!!」
「なんか言い方が腹立つの!!」
「いや、でも、お前が言ったんじゃん。手を出すなって」
「それはそうだけど、もう少し言い方ってものがあるでしょ!」
「俺は惚れた女にしか手を出さないとか?」
「……やっぱ、手を出す気満々?」
頬を赤らめながらうかがってきた。
「あ? 調子に乗るなよ?」
「ご、ごめん……って、どうしてあたしが怒られないといけないの!? だって、あんたがあたしのこと好きだって告白してきたんでしょ!!」
「知らないこと言われても困る。俺は違いのわかる男だ」
「やっぱり帰って!」
「ここまで入れておいて、帰れとか、お前、それはひどくないかい?」
「言っとくけど、あんたの物言いのほうがひどいからね?」
ため息まじりに「本当に記憶失う前のほうがよかった……」とボヤきながら踵を返し、廊下を歩いていく。俺も靴を脱いで後に続く。間取りは1Kだ。廊下にキッチンがついており、部屋が一つ。
そういえば、俺って女の子の部屋に入るの初めてだ!!
なんだろう? やっぱりパステルカラーなのかな? 人形とかいっぱいあるのかな? そんでもって甘い香りとかするのかな?
キリエが扉を開いた先には、布団とちゃぶ台しかなかった。
「チェンジ」
「ちょっ!! どういう意味!?」
「いや、涼葉の部屋だっても少し女の子っぽいからさ……この部屋、金のない貧乏男子大学生みたいな空気がある……」
「あたしだって実家の部屋は、もっとちゃんとしてるもん! 人形とかあるし!!」
「いや、いいんだよ。君の経済状況は把握してるから……」
「前の刀義は、そんなこと言わなかったのに!!」
叫んだ瞬間、壁が叩かれ「うるせーぞ!!」と野太い声で叫ばれ、そろって「ごめんなさい!」と返す。互いに目を見合わせ、キリエはムスッとした顔で俺を見てから、ため息をついた。
「でも、まあ、今のあんたとは本音で喋れてる感がするし、許してあげる」
「ごめん、俺も期待のあまり、余計なことを言った」
正直、寝てないし、気を使う余裕すらない。
「端的に俺の置かれた状況を説明するぞ」
そう前置いて、覇眼王リスカに拉致され、黒の福音メンバーだと思われ、追われていることを説明した。
「冗談でしょ?」
声がかすかにうわずっていた。
「俺もそう思いたいけど、事実らしい。でも、確証がない限り認めるわけにはいかない。少なくとも涼葉は無関係だ。あいつの無実だけは証明しなくちゃいけない」
言いつつ瞼が重くなってくる。クソ……眠い……。
「俺は……今から……ちょっと寝る……君を巻き込み……たくは……ないから……俺を……信じられないなら……警察に……突き出して……いい」
突き出されたくないのが本心だけど、巻き込みたくないという思いも本心だ。
「あとは……任せる……」
気を抜いた瞬間、意識がシャットダウンされた。
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