第51話


「おい、できたぞ」


 俺と八重塚が調理を終えて、振り返る。


「え!? ちょっとこっち見ないで!」

「ボクは見られてもかまわないよ! 好きなだけ見抜きしたらいいよ!」


 涼葉は下着姿だし、キリエはブラウスにパンツという姿で格ゲーをやっていたようだ。涼葉の下着姿は、嫌が応でも見慣れてしまったが、キリエは別だ。ここは紳士らしく、すぐさま後ろを向く。


「早く服を着ろよ! 涼葉はともかく、キリエまでなにやってんだよ!!」

「だって、負けたら服脱ぐルールじゃないと涼葉、勝負してくれないって言うんだもん」

「さすがにチョロすぎだろ!」

「チョロくないもん!」

「いや、キリエたんはチョロいよ。たぶん、ゲームが強ければ、ワンチャンあったと思うし、ボクが男だったら、孕ませてたよ、ガチで」

「そんなことないもん!」

「だって、土下座しなくてもパンツ見せてくれるんだもん。はあ、ボクが保護してあげないとキリエたんは大変なことになるよね?」

「ならないもん! それに、涼葉なんてもう下着しか残ってないじゃない!」

「まだ靴下ありますが?」

「どうして靴下残ってるの!? 普通、靴下から脱ぐでしょ!?」

「だって、兄ぃ、全裸じゃなくて靴下だけ残すのが好きだから」

「え!? そうなの!?」

「一言も言ってねーだろ、そんなこと!」


 思わず振り向いて叫んでしまう。


「こっち見ないで!!」


 キリエが半泣きで騒ぐので再び目をそらす。


「騒いでないで、いい加減、服を着てください。はしたないですよ」


 八重塚がため息まじりに料理をダイニングへのテーブルへと運んでいった。いつも以上に騒がしい神門家の夕飯である。


 涼葉リクエストのチーズインハンバーグは大好評だった。

 食べる前は半泣きだったキリエだが、ハンバーグを口に入れた瞬間、表情がパッとはなやいだ。チョロい烏がもう笑ったという具合に、おいしそうに食べてくれる。


「ごちそうさまでした。本当においしかった」

「ええ、お前の料理は癖になりますね」

「兄ぃは料理だけは昔から上手だったしね」


 こんなに褒めてもらえるのなら、俺はもっと料理の腕を磨くしかない。


「材料費くらいは払うね」


 キリエの物言いに「気にするな」と答える。


「リーダーだし、これくらい俺が払うよ」

「さす兄! 五千万借金してるのに今日も太っ腹だね」

「借金のことは言うなよ!!」


 八重塚が「五千万?」と疑問を呈し、涼葉が経緯を説明。そして、キリエと八重塚二人そろってドン引きした目で俺を見ていた。昔の俺じゃないと言っても、事実は事実なので消せず、せっかくいい気分だったのにぶち壊しになってしまう。

 ともあれ、夜も更けてきたので解散だ。


 さすがに妖害の多いエイシアに女子二人をそのまま帰すわけにはいかない。涼葉一人を家に残し、俺たちはマンションの外へと出た。八重塚が無人タクシーに乗り込むが、キリエは乗らない。


「乗らないのですか?」

「あたし、歩いて帰る。その……タクシーはお金かかるし……」

「そうですか」


 八重塚はそのままタクシーで帰り、キリエは歩いていく。


「家の近くまで送るよ」

「別にいいのに」

「さすがに簡単に脱がされる子を一人歩きさせるほど、クズじゃないよ」

「チョロくないから!」


 苦笑いで受け流した。キリエは不承不承そうに口をへの字に曲げる。


「けっこう歩くけど?」

「腹ごなしにはちょうどいい。あと、放っておけないし、マジで」

「本気のトーンで言わないでよ……」


 へこんでいた。


「なんか悪かったな、今日、後半、そこそこ出費があって」


 カラオケもゲームセンターも金がなければ楽しめない。キリエが質素倹約に勤しんでいることは知っていたが、今日はそこまで気が回らなかった。

 キリエは不機嫌そうに俺を見る。


「あのね、あたしは代替可能なものに対してお金を使うか迷うの! さっきのタクシーだって歩いて帰ればいいから使わなかっただけ。でも、今日のカラオケとかゲームセンターは代わりが効かないでしょ? だからいいのよ。楽しかったんだし」


 そういうポリシーらしい。


「まあ、仲良くなれてよかったよ。正直、俺といろいろあったみたいだし、なんか距離感よくわかんなかったし……」

「あんたとのことは終わったことだし、気にしなくていい。まあ、今日一日を通して、刀義って本当に変わったんだなって思ったけど……」

「ほぼ別人だからな」

「そうね、ぜんぜん違う。でも、前の刀義だっていいところたくさんあったよ」

「だからチョロいって言われるんだよ」

「チョロくないもん! あのね、前の刀義を悪く言う人はたくさんいたけど、あたしの前だとそうじゃなかったんだから」


 本当にチョロい。


「たしかにデートの時とか、あたしが奢ることが多かったし、学校では話しかけてくるなとか言われてたけど……」

「完全に浮気してる奴の物言いじゃん」

「でも、別れた後、知らない口座からお金が振り込まれてたのよ。刀義なのか誰なのか聞けなかったけど……」

「どういうこと?」

「あたし、家計簿つけてるから、自分の支出と出費は把握してるの。振り込まれた金額は刀義に奢ったのと同額だった。たしかに三千円だけ、それ以降に奢ったけど」

「結局、奢らせてるじゃん」

「でも、そうしたほうがいいって。あたしのこと巻き込みたくないからって言ってたし」

「騙されてるんじゃない? その金だって俺が払ったとは言えないだろ?」


 他の女に払わせるくらいのことはする。


「でも、刀義、優しかった。遊び人だって噂されてたけど、そんな感じじゃなかった。あたしと二人の時は、いつも静かだったし、むしろ、今の刀義のほうが、たくさん喋ってる」


 意外な人物像だ。


「でも、俺、涼葉に『ごめりんこ』とか媚びた謝罪したり、八重塚のことをお姉ちゃんとか言って甘えてたんだぞ?」


 しかも桐ケ谷先生に毎月五万貢がせてるんだぞ? これは言わないけども。


「ぜんぜん想像できない。それこそ別人よ」

「……昔の俺って、よくわからん奴だな」


 クズだったのは間違いない。十三番区画で出会った友人・末次耕大の口とはよく一緒にナンパしていたそうだし、危険な裏の仕事を他人に斡旋したり、涼葉の前では負け犬のクズらしく振る舞ったり、八重塚には弟の振りをしてメンタルケアに勤しんでいた。そのくせ、キリエのことを、なにかから守るとか言いつつ紳士的に振る舞う。


 神門刀義には正体がない。


 あるいは、女性の求めるキャラクターを演じていたのかもしれない。十二股をするからには、それ相応の能力は必要だと思う。

 そんなことを考えつつ歩いていたら、キリエが「あ、ここがあたしのアパートだから」と言った。目の前にあるのは、幽霊屋敷と見間違うほどに古びた木造のアパートだ。二回建てですらない。うら若き女子高生が暮らしているとは思えない建物で、それこそ人生失敗した小汚いおっさんが出てきそうなアパートである。


「ボロいって思ったでしょ?」


 ムッと口をとがらせる。


「……防犯とか大丈夫? キリエってチョロいから、心配になってくるんだけど?」

「チョロくないもん! しかたがないでしょ! お金ないんだし!」

「でも、妖害討滅のアルバイトとかしてたんだろ? どこに消えるんだよ?」

「……事情があっていろいろ大変なのよ」


 これ以上踏み込んでくるな、と言いたげに視線をそらされた。


「苦労してるんだな」

「他人事みたいに……」


 なにかつぶやいたのだが、聞き取れず「え?」と問いかける。


「なんでもない。とにかく、私はいろいろ大変なの。そこんところ、あんたもしっかり把握しておいてね」


 ビシッと指さされた。


「ああ、わかったよ」


 キリエには神門刀義が迷惑をかけまくってしまっている。


「なにか必要なことがあったら言ってくれ。可能な限り力になるから」

「ありがとう。だったら、一つだけお願いしてもいい?」


 おずおずと言ってくるので「いいぞ」とうなずいた。


「また刀義の作ったハンバーグが食べたい。すごくおいしかったから」

「そのくらいなら、いつでも食べにきてくれよ」


 キリエがニコリと微笑む。


「ありがとう。またね、おやすみなさい」

「おやすみ。戸締りには気をつけろよ」


 小走りでアパートへと去っていくキリエの背中を見送ってから、踵を返す。どうせだから歩いて帰ろう。タクシーを使ってもよかったが、キリエが言うように代替可能なことなら、多少の倹約をするのも悪くない。

 今日一日でチーム全体の友好関係は向上したよな……。


 などと考えながら閑静な住宅街を歩いていたら、不意に音が消えた。


「ん?」


 今まで風に乗って自動車の走る音やサイレンが聞こえていたのだが、不意に無音になる。つい最近、同じような感覚に襲われたような気が……。


「これって……」


 マンティコアと遭遇した時と同じだ。


 警鐘を鳴らすように心臓ががなり声をあげる。すぐさま自己催眠でメンタルを戦闘モードに移行。鼓動が落ち着いてきたので、俺は冷静に周囲を見回す。


 ねっとり絡みつくような空気が、周囲をゆがめているような気さえした。

 ああ、この絡みつくような違和感の正体は、きっとミームだ。


 第七感拡セブンスを発動するのに必要な未知のエネルギー。粒子と波と穴の性格を持ったミームに働きかけることで異能力者は第七感拡セブンスを使うことができる。


 だが、もし、これがミームだとしたら、不快感はマンティコアの比ではない。肌の上を蠕動感が走り、第七感拡セブンスによって塗布されていた安心感が剥ぎ落とされていてく。発動していたはずの筋力増加もレジストされ、無効化された。それどころか、俺の精神に作用する自己催眠さえレジストされている。精神系の能力は他者への効果は薄いが、自分自身への効果は強く、自己催眠を他者にレジストされることなど、ありえないはずなのに……。


「誰かいるのか?」


 乾いた口で、どうにか声を発する。


「やっと気づいてくれたのね、刀義……」


 ねっとりと耳朶にからみつくような女性の声。瞬間、宵闇に金色の目だけが浮かぶ。その視線を見た瞬間、体が空間に固定された。目さえ閉じることができない。


 闇に浮かぶ目からじょじょに広がるように人の体が浮かびあがってきた。


 月明かりを浴びて燐光を発する銀髪に、真っ白な肌。精緻に計算しつくされたかのように配置された顔のパーツは、見る者の目を奪うには充分だ。妖精とかエルフとかがいるなら、きっと彼女のような姿をしているのだろう。明らかに日本人ではない。


 そんな銀髪の妖精は異能専の制服を着ている。もしかして、同じ学生?


「すごいね、魅了と麻痺の魔眼をかけてるのに、まだそうやって自意識を保てるんだもの。それでこそ、私の半身、比翼の片割れ……」


 蕩けるように目を細め、俺を見てくる。じょじょに体の自由を取り戻していき、まばたきくらいはできるようになった。


「君は誰……?」

「ふふっ、あなたは本当に素敵。前よりも見えなくなっているだなんて……」


 どうしよう? 話が通じない系だ。

 この感覚も、以前、感じたことがある。

 そうだ、鈴木三九郎を前にした時に感じた違和感に近い。


「私はずっとあなたの傍にいたの。でも、気づいてくれないから、こうして出てきてしまったわ。もうこれで、あなたの視線を切ることはできなくなるけど、あなたに見てもらえないのも耐えられない」


 自分の胸元をかきむしるようにつかみ、辛そうに俺を見てくる。


「……本当に誰ですか?」

「あなたは知ってるはずよ。名前は知らなくても、きっと魂が知ってる。だって、あなたは私という存在について、きちんと手が届いていたもの」


 やはり話が通じない系だ。勘弁してほしい。


「私は顔合わせの時からずっと一緒にいたのよ」

「まさか、五人目の……」


 チームメンバー? でも、たしか名前は……。


「立花リスカ? でも、日本人だったはず……」

「ふふっ、本当にそう? そう見ていただけじゃないかしら?」


 体が勝手に動き、ポケットに入っていた携帯端末を取り出す。そして、チームメンバーが記載されたメールを確認する。そこには俺たち四人のほかに「立花リスカ」と書かれていた。いや、文字が溶けるように変化していく。


「リスカ・ミリアム・イリアステル……」


「やっと、私の名前を呼んでくれた……」


 蕩けるような笑みを浮かべ、俺に近づいてくる。


「愛してるわ、刀義。たとえ、あなたが変わってしまっていても……」


 その両腕を俺の首にかけるように回し、密着してくる。吐息のかかる距離感に違う意味で胸が爆音をあげはじめた。


「あなたは私にとって連理の枝。孤独な王を癒やす止まり木よ」

「王……?」


 疑問を封じるように唇を重ねらた。目を見開く俺の前には全てを見透かすような金色の瞳。目を細め、唇を放し、代わりに抱擁を強くしてくる。


「あなたにもわかりやすく自己紹介するわね。私はリスカ・ミリアム・イリアステル……」


 妖艶な声が耳朶に触れる。


「魔眼を統べる者。全視全能の魔女。獅子円卓十王戦旗・第六位——」


 視覚を介して脳髄に黄金の瞳が刻まれた。


「——<覇眼王はがんおう>」


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