「SHE」

@aikonism

「SHE」





彼女は生まれながらにして歌姫であった。




幼少の頃からその歌声は格別で、

口ずさむ声は聴く者すべてを虜にし、心を動かした。

彼女はまごうことなき歌姫としてこの世に生を受けたのである。



高音は涼やかに空気を震わせ、低音は厳かに地を揺らす。

心地よく耳を貫き響く、伸びる声は澄んでいて、それは並みの才能ではなかった。



教育熱心だった親は、我が子の才能をひどく喜び、彼女の明るい未来を確信した。

物心ついた頃から彼女には多くのレッスンが用意され、その歌声は期待通りに磨かれていった。

周りの人間はその成長を悦んだし、栄光を称えたが、それが実際誰にとっての幸せであるかは次第に見失われていった。



ルックスさえも恵まれた彼女を離すまいと、芸の世界もその才能を欲しがり、

「SHE」と名乗った”天才”は、若干10歳にして世界を圧倒した。


「SHE」という歌手は愛された。

リリースする楽曲はいつだってランキングや賞を総なめしたし、その歌声を聴いて不快に

なる者はいなかった。

20代にして莫大な財産を手に入れ、名誉も次第に積み重なった。


人々は「SHE」を「何物も持つ奇跡」と絶賛し、その背中は常に憧憬と羨望と嫉妬を一身に浴びていた。



「私は幸せ者です」


「SHE」は口癖のようにそう言う。

だが、誰も「何が?」とは聞かない。

聞かれないことは答えない。

答えないことは知られない。

それは「多くを語らない」ミステリアスさとして売りになり、

「本音」は「多くを語らない」という表の裏に追いやられた。

誰も本当のことなど知らなかった。



でもそれで世界は成り立っていた。

「SHE」は歌声を求められているから。

「SHE」は「聞かれる」のではなく「聴かれる」存在だからこそ価値があった。



「多くの方に「SHE」の楽曲が愛されて嬉しいです」

「応援してくださる方への感謝を込めて歌います」

「いつもいろんな方に支えられています」

「「SHE」は…」

「「SHE」が…」




そしていつしか誰もが「SHE」の本当の名前を忘れた。

親ですら。

生まれたときに付けられた何よりも特別な名前は行き場を失った。




  「私「SHE」と同中で、こないだ街で見かけたから声かけたんだけど名前思い出せなくて

  正直に「ごめん苗字なんだっけ」って聞いたら数秒考えて「忘れた」って笑ってたwww

  私が申し訳なく思わないようにフォローしてくれた優しい可愛いし神」



とある日のSNSでこんな投稿がバズった。

「なにそれかわいいw」

「フォロー神か」

「歌上手くて天才なのにやさしいとか神様不公平か」

微笑ましいエピソードに皆が拡散を重ねた。








その次の日、「SHE」は死んだ。




一人で住むには広すぎた部屋で、一人で。

自死以外の可能性など考えられない状況で。

歌手にとって一番大事な部分をめちゃくちゃにして。




部屋の壁は黒いスプレーでこう書かれ汚されていた。






「Who Am I ?」







おびただしいニュース報道に、世界中の悲嘆と落胆。

例のSNSや親のことも多く議論されたが、すべて憶測に過ぎなく。


誰も本当のことなど知らなかったことを、誰もが知った。






のちに本人のパソコンから本人作と思われる曲が発見された。

たった4小節の短い、鋭い、メッセージ。




そして本当のことを誰もが知った。






『私は、私でしかなかったのに

 私は私のものではなかった

 すべて手に入れただなんて

 私はあなたがいればほかには何もいらなかったのに』






―fin―














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