第9話大商人とサガイ風お好み焼き その4

「さあ、できたぞ」


 黒髪の青年の不思議な料理が、完成した。

 料理を乗せた皿が、青年から差し出されてきた。


 鉄板の最前列に並んでいた、カネンへのご褒美である。


「カ、カネン様はお前たち、蛮族軍の飯など、食べない!」


 カネンを守るために、リットンは虚勢を張る。


「早く食え。熱い方が美味い」


「ひっ……」


 だが青年から差し出され、料理の皿に腰を抜かす。


「リットンよ。ここは相手のお手並み拝見といきますか」


「は、はい……カネン様が、そうおっしゃるのなら……」


 カネンは辛うじて残る理性で平静を装う。

 大商人としてのプライドが、彼を支えていた。

 この奇妙な料理の味を、品評してやろうと提案する。


(これのデキたてを食べて、早くこのソースの味を!)


 だが内心ではカネンの欲求のダムは、崩壊寸前だった。

 目の前の木皿の上の料理を、凝視しかできない。


(早く! 早く!)


 口の中で洪水のような唾液だえきが、あふれていた。


 大頭の地位に就いてから、カネンは飽食な食事の日々だった。

 そんな自分が久しく忘れていた、大きな欲望。


“食欲”という人の巨大な欲求の、激しい津波にカネンは襲われていた。


「それはフォークだけで食べられる」


「そ、そうですか。なら、いただきますか……」


 カネンは青年の言葉に従って、フォークの側面をおそるおそる押し当てる。

 その言葉の通り、表面はほどよく焼け、中はふんわり柔らかい。


「なら、いくぞ、リットン」


「はい……カネン様……」


 二人は切り分けた料理を、口に入れる。

 褐色のソースがたっぷり塗られた料理を、一気に食す。


「むむむむ!?……こ、これは⁉」


 料理を一口食べたカネンは、またもや言葉を失う。


 ――――いや口を開きたくても出来ない。


 ソースと料理が口の中で絡み合い、言葉を発することができないのだ。


(熱い!……だが、美味しいぞ! 美味いぞ……具材とソースが!)


 カネンは心の中で叫ぶ。

 料理の美味さに絶叫していた。

 

 鉄板で焼いていた料理は絶妙であった。

 食感と味わいが、見事なハーモニーを奏でている。


(特別な食材を使っていた訳ではないのに、なんや、この美味さは⁉)


 先ほど見た感じでは、野菜と肉しか入っていなかった。

 だが食べてもなお、カネンには分析不可能であった。


 生地にはしっかりと味が仕込んであり、野菜の甘みとマッチしている。


(このソースか⁉ このソースが美味さの原因か⁉)


 そして、あの褐色のソースだ。

 この濃い味が決め手。

 複雑でありながら一体感のある味が、口の中で弾けるのだ。


 もはやカネンは考えることを止めて、ひたすら皿の上の料理にかぶりつく。

 

「はふ……はふぅ……美味かった……実に美味かったぞぉお……」


 気がつくとカネンの手元から、料理はあっとう間に無くなっていた。

 何とも言えない満足感に、カネンは茫然自失ぼうぜんじしつとなる。


「次は豚肉をたっぷり使った、豚玉ぶたたまだ」


 青年はお替わりの料理を、差し出してくる。

 カリカリ焼かれた豚肉が、表面に乗っていた。


 もちろんあの褐色のソースが、たっぷりかけられている


「なんやてぇぇ⁉」


 茫然自失となっていたところに、まさかの追撃。

 サガイ語を全開で絶叫してしまう。


 こうしてしてカネンの理性と記憶は、この瞬間に吹き飛ぶのであった。


 ◇


「……カネン……様……カネン様……」


 気がつくと、カネンは立ち尽くしていた。

 従者リットンに揺さぶられて、ようやく意識を取り戻す。

 

 その左手には何回もお替わりして、空になった木皿があった。

 そ調理した黒髪の青年は、既にどこにもない。


「ワシは一体……?」


 カネンは記憶の一部を喪失していた。

 青年の料理に一心不乱に食べすぎて、記憶障害を起こしていたのだ。


「では、食事の時間。ここで終わる」


 その時、蛮族の外交官が口を開く。

 商国サガイからの客を招いての食事の時間が、終わりだと宣言する。


「なん……やて……!?」


 食事の宴が終わり、蛮族王は警護と共に立ち去っていく。


 つまりカネンの作戦は失敗。

 持ってきた高級食材と料理で、蛮族たちを上回る秘策。

 その第一の策を出すタイミングを、いっしたのだ。


「まさか……この料理が蛮族軍の……策だったのか……?」


 カネンは呆然としながら、その場でしばらく立ち尽くすのであった。

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