第5話【閑話】欲望のための覚醒
バルカンの公女ミリアは、蛮族遠征軍に合流していた。
蛮族軍の幹部から、新たなる役職に任命される。
「バルカンのミリア。お前に、次の国との外交使節、任せる」
役職は、敵国への降伏勧告の使者である。
「外交使節ね。ええ、わかったわ」
任命されたミリアは、快く承諾する。
蛮族の遠征軍内では礼節が不要。
彼女も虚勢を張った貴族口調から、普段の素の口調に変えていた。
「ミリア様……大丈夫ですか?」
横に控える近衛騎士アランは、心配の声をかける。
何故なら戦時中の外交使節は、危険な任。
逆上して敵国に斬られることも、多々あるのだ。
「特に次の敵国、商国サガイは厄介な相手です」
蛮族軍が次に攻め込むのは、商国サガイである。
大陸でも有数の貿易都市であり、堅牢な城塞都市
アランが指摘した通り、国を治める者は一筋縄ではいかない、曲者揃いである。
「大丈夫よ、アラン。一度は捨てた、この命。何とかなるわ」
ミリアは腹をくくっていた。
今から数日前、バルカン公国は蛮族王に降伏している。
その時に彼女は『ミリア・レン・バルカン』という自分の名を捨てていた。
今は“蛮族軍のミリア”……ただそれだけだ。
「さすがです。ミリア様。私も死地までお供いたします」
アランは主の決断に従う。
たったこの数日間で、人とて大きく成長したミリアに、最大級の敬意を払う。
「ところで
蛮族軍の幹部に、ミリアは尋ねる。
数日前の宴でハンバーグを作った、黒髪の料理人の所在を。
この遠征軍に合流してからあの青年とは、まだ一度も顔を合わせていないのだ。
「サエキ、いつも、いない」
「えっ……いないですって⁉」
幹部の説明によると、あの料理人の所在は誰も知らないという。
大遠征しているこの軍列のどこかにいる。
だが正確な所在を知る者は、いないと語る。
「宴の時だけ。サエキ、戻ってくる」
彼は蛮族王と他国の使者との会食の時だけ、調理のために必ず戻ってくるという。
噂では侵攻先の国に向かい、その土地の食材を探しているらしい。
「えっ、それって、どういうこと⁉」
幹部の説明を聞きながら、ミリアは驚愕する。
何しろ戦乱の吹き荒れるこの大陸の、治安は悪い。
蛮族軍の向かう先の国は、異様なまでに殺気だっている。
そんな中、単身で食材集めに出ているなど、自殺行為にも等しい。
普通に考えらあり得ない行動なのだ。
「サエキ、謎多い。我らが王しか、本当のこと、知らない」
蛮族軍の幹部ですら、メシ番の正体を知らない。
この大遠征の始まる少し前から、いつの間にか蛮族王の側に控えていたという。
「そんな……それじゃ、どうしよう」
ミリアは思わず落胆する。
何故ならあのハンバーグという肉料理。
この遠征軍に合流したら、再び食べるチャンスがあると思っていたからだ。
でも当事者である黒髪の料理人(シェフ)が、いつもいなければ話にならない。
「ん? でも、待って……『交渉の宴には必ず戻ってくる』……のね?」
そして何かに気がつく。
あの青年の料理を、再び口にする機会の可能性を。
公女として英才教育を受けた頭脳、がフル回転する。
「アラン、急いでバルカン騎士団に戻って、作戦会議を開きましょう」
「はい、ミリア様。しかし急に、いかがなさいました?」
ミリアたちは自国のバルカン騎士団と共に、この遠征軍に合流していた。
『蛮族軍に降伏をした国は。遠征軍への軍役の義務が生じる』という決まりに従ったものである。
バルカン騎士団員は、国に残る家族のために、蛮族軍の一員になったのだ。
「きまっているでしょ。次の敵国、商国サガイを……さっさと攻め落とすための作戦会議よ!」
フル回転したミリアの頭の中には、妙案が浮かんでいた。
鉄壁の城塞都市サガイを、短期間で攻め落とす策略だ。
自分でも恐ろしいくらいに、今のミリアは冴えわたっている。
「あの堅牢なサガイを短期間で? 本当ですかミリア様?」
「ええ、そうよ。私は“鷹公王”セバス・レン・バルカンの娘よ。任せてちょうだい!」
今は亡きミリアの父は、大陸東部でも誉れ高い公王。
長女であるミリアにも、その軍略の才能が開花しようとしていた。
(サガイを短期攻略したら……そうしたら、また、あの男……サエキの料理が食べられる!)
自分の食への欲望に基づく覚醒。ミリアには確信があった。
サガイを落とした後には、必ず交渉の場がある。
つまりメシ番である黒髪の料理人(シェフ)の料理を、口にするチャンスがまたやってくるのだ。
「ミリア様、少し変わられましたね……」
主ミリアの急激な成長を、騎士アランは喜んでいた。
同時に少しの不安も覚えている。
だが今はあえて口にしないでおく。
「さあ、いきましょう、アラン!」
こうして蛮族軍は新たなる叡智(えいち)なる者を得て、次なる戦いへと突入していくのであった。
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