第4話:公女とバルカン牛のハンバーグ 〆


 バルカン公国と蛮族王の交渉の宴は終わった。

 公女ミリアは肩を落とし家屋ゲルを後にする。


「ミリア様、元気を出してください」


「ええ、アランありがとう……」


 蛮族王の暗殺が失敗し、ミリアは意気消沈していた。

 初めて口にする不思議な食事に夢中になり、せっかくの好機を逃してしまったのだ。


(これから公都に戻ってどうすれば……)


 蛮族軍からの降伏勧告の返事の期限は明日まで。

 それまでに公国としての対応を決めなければいけないのだ。


 ――――全面降伏か。それとも徹底抗戦か。


(でも徹底抗戦は自殺行為……どうすれば……)


 圧倒的な武を持つ蛮族軍に、公国軍は既に大敗している。

 公女として重圧が、ミリアの華奢きゃしゃな肩に重くのしかかる。


(あと……それよりも……)


 しかしミリアの心の中に、もう一つ大きなシコリがあった。

 下手したら公国の将来よりも、今は気になる問題がある。


(さっきの肉……あれはいったい何だったの……?)


 すべてを食べきったミリアだが、肝心の料理の正体を解明できずにいた。


 味は間違いなく肉料理である。味わいの中には食べたことのある、懐かしい味もあった。


 だが公国の令嬢であるミリアですら、初めて口にした味と旨味。

 いくら考えてもあの謎の料理の正体はつかめなかった。

 何しろ無我夢中で食らいつき、気がついた時には完食していたのだ。


(せめて死ぬ前に……あの料理の名前でも知りたかったな……)


 公女であるミリアはそんな不謹慎なことを、思わず心の中でつぶやく。


 伝統と歴史あるバルカン公国は、蛮族などに降伏などできない。

 ミリアが万が一にその選択をしたなら、公女として厳しく糾弾されるであろう。


 下手したら公国の貴族たちに、暗殺される可能性もある。


(でも徹底抗戦も自殺行為……)

 

 もう一つの選択である徹底抗戦も、敗戦は必至。

 ともなれば統治者は無事ではないであろう。


 どちらにしても公女であるミリアの命はない。

 貴族社会において統治者とは、責任を取らされる過酷な階級なのだ。


「えっ……あれは?」


 そんな意気消沈していたミリアは、何かに気がつく。

 公都への帰還の途中で、見知った人物を見かけたのだ。


「あなたは、さっきの……」


 蛮族軍の陣内にいたのは料理人である。

 死に直面しているミリアが今一番、密かに会いたかった人物。

 先ほどの不思議な肉料理を作っていた黒髪の青年であった。


「あ、あら、奇遇ね……黒髪の料理人シェフ


 ミリアは公女としての虚勢を張る。


 本当は自分でも分かるほど、心の臓が高まっていた。

 だが地位のある公女として、一介の料理人に屈することはできないのだ。


「ねえ、ちょっと……無視しないでくださる?」


 だがミリアは無視をされた。

 青年は彼女に一瞥いちべつすることなく、何かの作業をしている。


「ねえ、ってば……えっ? それは……」


 感情的になったミリアは、青年に詰め寄っていく。

 作業している物体を目にして、言葉を失う。


「それは……さっきの肉料理の……?」


 青年は料理の仕込みをしていた。大きな木の器で肉の塊をこねている。


「凄い……こうやって作るんだ……」


 その作業に、ミリアは思わず見とれてしまう。


 大きな木皿の中には、細かく刻まれた牛肉が入っていた。

 そしてみじん切りの野菜が、次々と投入されていく。


「さっきは本当に美味しかった……名前……知りたかったな……」


 ミリアは思わず自分の本心を、小さくつぶやく。

 死を前にして、年頃の少女としての部分が出てしまう。


「これはハンバーグだ」


 一切反応がなかった青年が、いきなり口を開く。

 手元ではこねる作業をしながら、ミリアに軽く視線を向けてくる。


「えっ……はんばーぐ……?」


 初めて耳にする料理の名前。

 ミリアは思わず聞き返す。


 大陸に伝わる有名な料理の名前は、ある程度は学んでいた。

 だが知識を総動員しても、“はんばーぐ”という単語は出てこなかった。


「みじん切りにした肉と野菜。それを繋いだ肉料理だ」


 首を傾げていたミリアに、調理をしながら青年が説明をしてくれる。


 ハンバーグはこの大陸には無かった料理。

 余った肉や野菜で作れる肉料理だと。

 

 青年は料理のことが好きなのであろう。

 先ほどまでの無口から一変して、饒舌に料理について語り出す。


「肉はバルカン牛と大森林の獣肉。合いきだ」


「えっ、バルカン牛が……この中に?」


 聞き覚えのある自国の特産牛。

 ミリアは思わず聞き返してしまう。


 そして疑問が浮かび上がる。

 なぜ蛮族軍の料理人をしているこの青年が、攻め込んできた敵領地の特産品を知っていたのか?


「ここの領地の村人から、交換で貰ったものだ」


 青年は作業をしながら語る。

 広大なバルカン公国領内を通過してきた蛮族軍は、各地の村々も併合してきたと。


 その中に疫病に苦しむ辺境の村があった。

 村を救った礼として、バルカン牛を貰ったと語る。


「えっ……疫病で苦しむ辺境の村を……救ったの?」


 攻め込んでいる敵国の村を救う軍など、ミリアは聞いたことがない。

 常識外れのことばかりに聞いているミリアは、更に混乱する。


 ――――そんな時だった。


「今日の料理。はんばーぐ。アレ、美味かったな」


「ああ。そうだな」


 ミリアの耳に誰かの声が聞こえてくる。

 彼らは蛮族の戦士たちだ。


 青年が先ほど作ったハンバーグについて、仲間同士で語っていた。


「バルカンの牛肉。美味かった」


「ああ。あんな美味い肉は初めてだ」


 彼らはバルカン牛のことを、口々に褒め称えている。


 自然豊かなバルカンの土地で育った、牛肉の旨味について。

 野性味と肉汁があふれる良肉に、賛辞を送っていた。


「それにバルカン戦士。肉と同じで凄かった」


「ああ、この前の戦だな」


「バルカンの戦士は、勇敢だった」


 蛮族の戦士たちは、バルカン公国の騎士たちのことを、称賛していた。

 先日の平原での決戦の話だ。


 バルカンの騎士の勇敢な戦いぶりを、彼らは口々に称賛している。


「あとバルカンのかしらの戦士。強かった」


「ああ。たかの紋章の男。あれほど勇猛な戦士は、大森林でも数少ない」

「部下のために。その命を賭けていた」


 蛮族の戦士たちに、平地の兵は体格や身体能力で劣る。

 だが最後まで一歩も退かなかった、そんなバルカンの男たち。


 彼らが戦士宮殿ヴァルハラにたどり着けるように、蛮兵たちは祈っていた。


(“バルカンの頭の戦士”……たかの紋章の男……お父様のことだわ……)


 彼らの賛辞と祈りを聞きながら、ミリアな今は亡き父を思い出す。

 バルカン公国での随一の騎士だった父は、誰よりも強かった。


 そして誰もよりも民の事を想っていた。

 時には騎士の誇りを捨てて、苦渋の選択をしながら、多くの民の幸せをいつも願っていた。


(それに比べた……私は……)


 父のことを思い出しながら、ミリアは自分の愚行を恥じる。


 蛮族軍に大敗をきっして、冷静さを失っていたことを。


 個人的な復讐心から、蛮族王の暗殺を画策していたこと。


 ルカン家の名誉だけを優先して、民たちの暮らしを忘れていたことを。


「お父様……私はいったこれから……」


 心の迷いのあまり、ミリアは思わず言葉を発する。

 懐に隠してある父の形見のナイフに、手をあてる。


 だがもちろんナイフは答えてくれない。

 万を超えるバルカンの民の運命。

 ミリア自身が決めなくてはいけないのだ。


 ――――そんな時だった。


「料理に、失敗はつきものだ」


 誰に向けた訳でもなく、作業しながら青年は語りだす。


「オレも試行錯誤の末に、このバルカン牛と獣肉の出会いを見つけた」


 手元の合い挽き肉を見つめながら、青年は運命のはかなさを口にする。


 大森林の野獣とバルカン牛の組み合わせなど、これまで誰も考えたことはなかった。


 だが食べるべき相手のことを、考える。

 試行錯誤の努力の道には、終わりはないと


 青年は自分自身に戒めるように、静かにつぶやく。


「今日は特別だ。もう一枚だけ焼いてやる」


「えっ……?」


 青年は何を思ったのか、また肉を焼き始めた。

 突然のことにミリアは唖然とする。


「その代わり今度、この土地の珍しい食材を教えてくれ」


 そう言いながら青年は、バーグの乗った木皿をミリアに渡してきた。


 バルカン牛と森の獣肉。

 二つの異文化の融合で作られた、新たなる確信の肉料理だ。


「この土地の……」


 青年の言葉に、ミリアは思い出す。


 幼い頃に野山を駆け回ったことを。

 美しい風土に暮らす民たちの幸せそうな姿を、心に思い浮かべる。


 誇りでも名誉でもない。

 自分が守るべき一番大事なモノを、思い出す。


「ええ、分かったわ。バルカン公国の……いえ、このバルカンの民たちが誇るべき食材を、たっぷり教えてあげるわ!」


「ああ、助かる、バルカンの公女」


「わ、私の名は……ミリア・レン・バルカンよ」


「ミリアか。オレはサエキだ」


 そう名乗りを終えると青年……サエキは再び口を閉じる。

 真剣な表情で、また料理の仕込み取り掛かる。


(サエキ……不思議な響きの名前……)


 料理に集中しているサエキの目に、部族や国の境目はない。

 ひたすらに食べる相手のことだけを考えた、真剣な職人の姿。


 これまでミリアが忘れていた、相手を想う一心な姿であった。


「ミリア様……」


 サエキの姿に見とれていたミリアに、静かに声をかけてくる者がいた。

 護衛として同行してきた、近衛騎士アランである。


 その視線は無言で問いかけていた。

 これから公都に帰還して、公女としての選択をどうするべきかと?


「ごめんなさい、アラン。今すぐ公都に戻って、母上と家臣たちを説得しましょう!」


 ミリアは自分の心変わりを、騎士に詫びる。

 蛮族王の暗殺を諦めた。


 更に強硬派の家臣を一人ずつ、これから説得していくつもりなのだ。


「ミリア様……それは……」


 蛮族軍に全面降伏をすること意味していた。

 伝統あるバルカン公国の名が、大陸上から消えてしまうのだ。


「承知いたしました、ミリア様。彼ら蛮族……いや森の民は亡き公王に対して、最大の賛辞を送ってくれました」


 アランはミリアの決断に賛同してくれた。

 何故なら彼も感じていたのだ。


 蛮族の民は野蛮ではあるが、真っ直ぐな心の持ち主であることを。


「我らバルカンの騎士として、これ以上の賛辞はありません。それに彼らは何かを変えてくれそうな予感がします」


「そうね。私もそう思うわ……」


 アランとミリアは、何かを感じ取っていた。


 戦乱が続き破局に向かっているこの大陸。

 彼ら蛮族の遠征軍が、なにか大きなことを起こしてくれる可能性を。


「アラン……ありがとう。でも、公都に戻る前に、貴方の口元の肉汁を拭いていかなとね」


「ミリア様もソースが付いています。淑女としてマナー違反でございます」


「あら本当ね。無我夢中で気がつかなかったわ……」


 そうつぶやき、ミリアは視線を向ける。

 視線の先に、多くの者のために、一心不乱に調理をしている黒髪の青年がいた。


 自分が見失いかけていた大切なこと。

 料理を通して気がつかせてくれた、青年の顔を見つめていた。


 ◇


 この翌日。

 バルカン公国は蛮族軍に完全降伏をする。


 二百年を超える歴史を誇ってきた国が、消滅した。


 ――――だが即時降伏を選択したバルカンは、その後も長い間、自治を認められていく。

 公国時代以上の繁栄をしていくのであった。



 ◇




「ではアラン。急いで遠征軍へ合流するわよ!」


「はい、ミリア様」


 ……『降伏をした国は大森林遠征軍への軍役の義務が生じる』

 

 公女ミリアは自ら名乗りをあげて、直属の騎士団と共に、森の民の遠征軍に加わる。


(はんばーぐ……あのサエキの側にいたなら、また……)


 忘れられないハンバーグの味を再び求めて、試練の道を選んだのであった。

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