吸血鬼ハンター1-2
以上の被害者に共通していた死因は、現場の綺麗な失血死であった。そしてこの殺人が、人間の仕業でないと決定付ける点があったのだが、もうお分かりであろう。遺体の全てに吸血痕が存在したのだ。彼女らは吸血鬼に血を吸われて死んだ。
犯人が人間でないとなると、警察は一切手が打てない。吸血鬼を屠る権利があるのは、政府公認の吸血鬼ハンターだけだからである。よって、今回の一連の事件は警察の手を離れ、政府の特別組織、特殊犯罪対応課に回ってきた。
政府が抱える、吸血鬼情報のプロフェッショナルが総出で事件の犯人を探り、浮上した名前が、エディ・ソワーズであった。
このような重大事件が一介の学生、しかもまだプロの仲間入りすら果たしていない若輩者に回ってきたのは様々な理由があるのだが、それはおいおい理解してもらうこととしよう。
名門・シェダール家の出で、頭脳明晰、スポーツ万能、やや協調性に欠けるところがあるが、絵に描いたような文武両道たる成績を収め、学校中の期待の星。エドアルド・シェダールの再来と名高いこの若者は、自分を賛美する数々の言葉をシャワーの如く浴びながら、心の中でいつもこのように呟く。
――エドアルドの再来? そんなすげーもんじゃないわよ。僕はただ、欲張って生まれてきただけだ。
レオンが今夜のエディ討伐に際し選んだのは、敵の懐に潜り込んでターゲットを暗殺する方法だ。夜会の喧騒に紛れて、エディ・ソワーズの首を狙う。
周囲は皆、吸血鬼。正体がばれてしまえば、袋叩きにあうのも免れないフィールド上で、このような大胆な作戦で挑むとは。
レオンは、やや鋭利な犬歯を唇の端にちらつかせながら、夜会の客人の中にざっと視線を走らせる。
ここにいる全員が手にした透明なワイングラス。その中に入った赤いものが単なる赤ワインなのか、そうでないのかは一目で判断できた。
テーブルの上に数多く並んだボトルの半分はワインだろう。だが残りの……金色のポットの中身は、おそらく彼らの主食。丁度、今夜の月と同じ色をした――。
レオンは路上に散らかった生ゴミを見るような面持ちで、そっと金ポットに手を伸ばした。
「お客人」
と、不意に背後から声をかけられて、思わず肩を飛び上がらせた。いくら成績優秀な期待の星でも、命すら危ういプロの試験には緊張せずにはいられない。
レオンは冷静なふりをして振り返る。少し表情が強張っていたかもしれないが、「なんだ」と問うた声は、自分の中で作り上げた吸血鬼像となんら遜色なく振舞えただろう。
声をかけてきた給仕は、ピカピカに磨かれたグラスを載せた盆を差し出し「お取替えしましょうか?」と訊ねた。今しがたレオンが空にしたグラスに、赤ワインが入っていたのを見ていたのだろう。別に、同じグラスで違う飲み物を飲むのが嫌というわけではないが、断るのも不自然か、と思い、「ああ、そうしよう。ありがとう」
にっこり微笑んで、さっき使っていたグラスと交換する形で、新しいものを受け取った。
軽く会釈をした給仕が去った後、あらためて問題の金ポットに手を伸ばす。
ずっしりと重いそれを持ち上げて、ほんの少量、中身をグラスに注ぐ。
――やはり。
透明なワイングラスの中にドロリと滴ったのは、赤ワインより真っ赤な、血だ。しかも、人間の。
毒々しいほどに赤黒く、やや粘り気のあるそれを、レオンは飲むふりをして匂いをかいだ。
その瞬間、様々な感情が、全身を虫のように這い回った。思わずグラスを遠ざける。
――やばい。
眉根を寄せてグラスをテーブルに置くと、深緑の双眸は「それ」から視線を逸らすように、広間の正面を睨みつけた。
見据える先では、目的のエディ・ソワーズが客人と談笑を交わしている姿が確認できた。
白ワインの注がれたグラスを持つ優美な指先、身長百九十を超えようかという痩身を白いタキシードに包み、昼下がりの陽光を思わせるブロンドヘアは、ゆるやかにウェーブを描いて背中に垂れている。
やや目尻の垂れた優しげな印象のある瞼に沿って、長い睫毛が揺れる。白い唇が緩く弧を描き、形よく跳ね上がった眉尻が、彼を
まるで天上に咲く一輪の花の如く、孤高の風情を匂わせたその美丈夫は、さながら神の
遠くからでも目を引く秀美な所作は、さすが夜会好きの御仁、とても様になっていた。
奴はなかなか一人にならなかった。レオンは、目当ての本を探しに来た書店で、目的の棚の真ん前を立ち読み客に邪魔されている時のような苛立ちを覚えた。
だが彼はこの夜会の主催者なのだから、招いた客人へのもてなしや挨拶を一通り終えるまで暗殺の機会は訪れまい。
レオンは深く息をつくと、目の前の豪華な料理の数々をぼんやり眺めた。
腹が減った。空腹に
レオンは、ローストビーフや魚介のムニエルの乗ったオードブルから視線を逸らし、ジュースでも飲むか、と先程とは別の給仕に新しいグラスを貰った。その直後、レオンは正面からやってきた男に、声をかけられた。
「見ない顔ですね」
血の満たされたグラス片手に、にこにこと微笑いかけてくるその男は、人間の年齢で三十前後の、落ち着いた物腰の紳士だった。
燃えるような赤い髪を緩く首の後ろで括り、女性的で柔らかい印象の面差しは、相手を安心させるような風情があった。
声も男性にしてはやや高めで、普通に喋っていても、歌っているような響きがある。
レオンは緊張をおくびにも出さず、にっこりと微笑み返した。
「先日、人間に正体がばれて国を追われまして。この地に辿りついたところを、ソワーズ家のご子息に世話になったのでございます」
「まあ、国を追われたと。それはさぞ大変な旅であったことでしょう」
彼は眉尻を下げて、心底心を痛めたように表情を曇らせた。
レオンは、エディの動向を気にしながら「ええ、まあ」と、痒くもない頬をかく。
悠長に世間話に興じている暇など無いのだが、「すみません、今忙しいので」なんて言えるはずも無い。
内心で焦りを感じているレオンとは裏腹に、吸血鬼は、
「わたくし、レイナード・アンバーと申します」と、のんびり自己紹介した。
レオンはこんなときのために、予め用意しておいた口慣れない偽名、
「私は、アンビシオンと申します」と名乗った。
「アンビシオン君、我らは同胞を歓迎します。さあ、乾杯しましょう。ここにあなたの敵はいないのです」
レイナードはそう言って、金ポットを手にした。自分のグラスに継ぎ足すのかと思いきや、その中身はなんと、レオンが手にしていた空のグラスに注ぎ込まれた。
ぎくりと心臓が跳ね上がった。額にじわりと冷や汗が滲み、なみなみと注がれる濃い赤を見つめていると、ぞくぞくとした言い知れぬ感情に胸が高鳴るのを感じた。
「さあ」
彼は自分のグラスを、レオンに向かって傾けた。乾杯だ。
「……恐れ入ります」
レオンはグラスの縁を、彼のそれに軽くぶつけた。涼しげな音が二人の間に響いた。
レオンは、口元までグラスを近づけたが、中で揺らめく新鮮な血を見つめたまま、これ以上は動けなかった。
まるで首の後ろに氷の鏨でも差し込まれたみたいに、全身が冷えてゆく。
飲まねば。飲まねばならぬ。飲まねば怪しまれてしまう。
飲めぬ。飲みたくない。僕は人間だ。人間の血など、飲む必要ない……。
「どうかしましたか?」
そう言ったレイナードの声が一瞬、深海を漂う水のように冷たく感じた。ぞっとして視線を上げると、そこにあった化け物の赤い瞳と視線が絡んだ。
「いや、その……」
レオンは慌てて取り繕うと口を開いたが、その台詞を遮るようにして、彼は言った。
「飲めませんか、
刹那、レオンは髪の毛が逆立つのを感じた。
――こいつ、僕の正体に気付いたか。
ざわめく金髪の隙間から、射るような視線を覗かせたレオンは、周囲に悟られぬよう声を潜める。
「なんのことですかね?」
吸血鬼はその問いには答えず、冷笑を浮かべたまま、と
「少し外へ出ませんか? ほら、そこに庭があるでしょ?」
柔らかな口調の中に、どこか有無を言わせぬ雰囲気を滲ませて言った。
レオンは内心で舌打ちしながらも「ええ」と一つ頷き、手にしたグラスをそっとテーブルの上へ置くと、先を歩きだした彼の後ろについてゆく。
大勢の吸血鬼の合間を縫って行った先に、広い庭が解放されていた。外には、繊細な彫刻が施された一組のテーブルと椅子が置いてあった。芝生や垣根も小奇麗に手を加えられ、まるで廃城とは思えない。
レイナードは、テーブルに手を付いて振り返ると、表情を固くした少年に向かって「そんなに警戒しないでください」と苦笑した。空々しい笑顔だ。
「……君は、レオン・シェダール。ですね」
レオンは黙ったまま、隙を見せぬ鋭い眼光で彼を睨みつけていた。
吸血鬼は一切怯まず、続ける。
「エドアルド・シェダールの再来と詠われた若者は、その文句に引けをとらぬ腕の持ち主。金髪
レオンは肩を落した。
「やれやれ、有名人もなかなかに大変なものです。プライベートも何もあったものじゃない」
「おや、プライベートでこのようなところへ?」
「はっはっは」レオンは渇いたように笑い、「そんなわけありますかい」
その瞬間、レオンの右手が素早く腰の辺りを探った。微かに銀の残像を引いて抜き放たれたそれが、赤光放つ夜空の下で不気味に閃くと、目の前の吸血鬼に突進するように距離を詰め、その懐に潜り込んだ。
レオンの右手で煌いた銀のナイフは、吸血鬼の心臓を確実に貫いた――はずだった。
「レオン・シェダール……噂通りの美麗な青年だ。その身を流るる血も、さぞ甘美なることだろうぜ」
まるで別人かと紛う程、豹変した声音。
レイナードの冷たい手が、懐に飛び込んできた青年の両手首を掴む。
おかしい。至近距離で外すはずのない一撃に、全くと言っていい程手ごたえを感じない。この手の内にあるナイフは、間違いなく奴の胸を刺した。それなのに、胸の肉を穿った感覚が全くない。
ふと、手元を見てレオンは息を飲んだ。
「霧……!」
思わず舌打ちが洩れる。
吸血鬼の首から下が白い
レオンが腰のベルトからナイフを抜く直前、奴は両手と頭部以外を霧状にしていたのだ。想像とはかけ離れた手ごたえのなさは、タキシードとブラウスだけを切り裂いたものだった。
「畜生……」
静かに吐き捨てたレオンは、奴の手から逃れようと後退るが、吸血鬼は物凄い力で、自分の方へと引き寄せる。
――まったく、やれやれだ。
レオンは気だるそうに溜息をついた。焦った風でも、怯えている風でもない。むしろ、その表情には余裕さえ窺える。
彼のそんな態度に、吸血鬼は、一瞬、たじろいだように顎を引いた。
「やっぱり、奴の事件と直接関係があるわけではないお前を殺すのは、間違いだってことか」
そう言ったレオンの深緑の瞳の中に、ゆらりと別の色が混ざったように見えた。鮮やかな……しかしどこか毒々しい雰囲気を持った色が。……と、その時だった。
「おおい、あんたら何やってる?」
という声と共に、別の吸血鬼が現れたのと、
「僕の仕事が終わるまで、大人しく寝ておけ」
レオンの長い脚が、実体を持ったレイナードの頭部に上段蹴りを炸裂させたのは同時だった。
レイナードは、第三者から急に声をかけられたことで注意がそちらへ逸れたのと、死角からの攻撃にあっさりとノックアウト。声を上げる暇もなく、目を回してその場にひっくり返ってしまった。
大広間の喧騒をバックに、三者の間を、水を打ったような静寂が漂う。
レオンは、庭の入り口で、何が起こったのかと目を丸くしている黒髪の吸血鬼に視線を向けて、ふんと鼻を鳴らす。
「何を見ている」
黒髪の吸血鬼は、ムッとしたように眉を吊り上げると、「何でもねィ」とそっぽを向いた。
レオンはナイフを、ベルトに挿したレザーの中にしまうと、ちら、と黒髪の吸血鬼の方を気にしながら、大広間に戻った。
――まずいな。
頭の中で数々の不安が頭を擡げる。
――レイナードの他にも僕のことを知っている奴がいるだろうか。あいつ、気さくなフリして近付いてきやがって。灰にしてやりたいところだが、周囲の目に付いたら厄介だ。奴と争っているのを見られてしまったし……。もっと慎重にならんとな。
なにせ、ここにいるのは全員が吸血鬼なのだから。
――ここにいる奴ら、みぃんな現代まで生きてきた、吸血鬼なんだぜ。
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