吸血鬼ハンター1-1

 藍色の空で白銀に輝く満月が、時として赤く染まることがある。

 そんな夜、地上は不気味な赤光に照らし出され、夜空を見上げる人々の顔も血に濡れているような奇妙な色に変わる。

 誰が言い出したのか定かではないが、このような禍々しき夜には、歴史の上から姿を消した吸血鬼が現れると言われている。

 根拠のない噂話のようなものではあるが、かような不気味な夜に外出する物好きはそうそうおるまい。


 今宵の月も、地上を血に染めるが如く、毒々しい赤光を放っていた。

 深夜一時を回って、町は眠りの底へ沈んでいる。

 梟の鳴く声。時折吹く冬の風が、木の葉を揺らすさらさらいう音。深い水底を思わせる静寂がこの町には漂っていた。


 その町から西へ十五キロ進んだところ、人里離れた山の中に古びた廃城があった。かつてこの土地を治めていた、なんちゃら伯爵サマが金に物を言わせて建てた豪邸で、没落後は一気にお化け屋敷の名をほしいままに、何百年もの間、時代に取り残され、人々の口に上る不名誉な噂話の中心にあった。


 そんな不気味な廃城にまつわる噂話というのは、深夜十二時を過ぎる頃、電気など通っているはずのない邸内からは豪奢な灯りが洩れ、大勢の人の話し声や、美しくも不気味なソプラノの歌声が聴こえ、いつ朽ち果ててもおかしくない外観が、かつての絢爛けんらんさを取り戻すかのように煌びやかな雰囲気を醸し出すのだという。


 最初こそ、退屈な日常に刺激を求めた怖いもの知らずの若者が、仲間を率いて遊び半分でやってくることが多かったが、この廃城に噂以上の恐ろしい真実が潜んでいるとわかると、もう誰も足を運ぼうとはしなかった。


 あの廃城には吸血鬼が住んでいて、毎夜毎夜に同胞を集めた夜会を開いているという噂が広まったのも、その頃である。

 本当かどうかはわからないが、怖いもの見たさで足を運んだ若者の男女グループが、その廃城に行ったきり帰って来ないという話しもあった。

 巷の学校を賑わせるトレンドになりつつあるその廃城は、今夜もまた人の寝静まった時刻に、ひっそりと夜会の舞台となるのだ。


       ☆


 ワインの注がれたグラスを手にし、レオン・シェダールは、そっと辺りに視線を走らせた。

吹き抜けになった高い天井からは煌びやかなシャンデリアが釣り下がっている。

 広々とした大広間には、上質そうなテーブルクロスがかけられた丸テーブルが幾つも並び、卓上には豪華な料理が所狭しと並んでいる。

食事をする客人の身を飾る衣装も、シロート目に見ても良いトコのブランドだとわかる。


 レオンは、己の身を包む安物のタキシードを見下ろして眉を顰めた。

 ――なァにが、これで大丈夫、だ。安物押し付けおって。周囲から浮いちまってるぜ。


 脳裏に浮かんだ、人の良さそうなメガネ面に向かって文句を言う。

 魔物が主催する夜会のドレスコードなどようわからん、と匙を投げた末、いつも世話になっている教授に、今夜着てゆく衣装をどうしようかと相談したら、このタキシードを貸してもらえた。渡されたときは気にならなかったが、こうして高級服の群れに紛れ込むと、己の身を飾る布切れの安っぽさがまざまざと明らかになってしまう。


 他人の服など誰も気にしないと思えたらいいのだろうが、彼は他人に舐められるのが我慢ならない性質である。今すぐジャケットだけでも脱ぎ捨てたい衝動に駆られながら、レオンはやけになってワインを一気にあおった。

 ……不味い。

 幼さの残る顔が苦々しげに歪む。

 よく大人が、ワインをグラスの中でゆらゆらさせながら「芳醇な香り」だとか、「深みのある舌触り」などと言うが、この味のどこにそのような褒め言葉が当てはまるのか、レオンには全く理解できなかった。


 それも仕方のないこと。何故なら彼は、まだ酒の味のわからぬ未成年で、いわば学業に専念したい年頃なのだから。

 聖エドアルド・アカデミー。

 レオン・シェダールはそこに通う学生だ。下は十五歳から、上は二十九歳までの学生が、四学年に分かれて在籍している。一学年という括りの中でも学生たちの年齢はばらばらで、レオンは十六歳のときにここの一年生として入学を果たした。


 かつて、吸血鬼という存在に立ち向かった一人の勇敢な青年がいたことをご存知だろうか。名をエドアルド・シェダール。見上げるほどの長身と、鋼のような筋肉を纏い、人知を越えた超能力を武器とした魔物を恐れず、獰猛なまでに敵の血を浴びた戦士。


 どちらが鬼かと問われれば、思わず口を噤んでしまいたくなるような戦いぶりを見せた吸血鬼ハンターである。

 その人となりは戦いぶりから窺えるように、豪快で好戦的。最初は町で幅を利かせていた不良青年だったが、いつしかその名は、宵闇の恐怖から人々を守るための英雄のそれになっていた。


 彼の活躍が目覚しかったのは、今から約百九十年前。かのルーマニアの惨劇以前の時代である。

 人間の身でありながら、その身体と一振りの剣で多くの吸血鬼を屠った。彼の持つ剣は吸血鬼のみを斬り、人間を一切傷つけないと言われる伝説があり、エドアルドの死後、シェダール家に生まれる子らに代々受け継がれてきた。


 そしてその伝説の剣は今、このレオン・シェダールの元にある。

 レオンは、永きに渡って吸血鬼ハンターを生業としてきたシェダール一家の八代目当主となる男なのだ。

 今夜は、政府公認の吸血鬼ハンターになるための試験をパスすべく、普段は着ないタキシードなどを着込んでこんなところにやってきた。

 レオンに課せられた任務は、毎夜この廃城で開かれる夜会の主催者、エディ・ソワーズの討伐である。

 ――エディ・ソワーズ。吸血鬼社会を束ねる三貴族の一つ、ソワーズ家の長男にして、時期当主の地位にある男だ。

 すれ違う女性の全てが、思わず振り返らずにはいられない程の美貌の持ち主で、丁寧で物腰が柔らかい性格の一方、プライドが高く、高飛車で野心家であるという。矛盾した二つの性格が示すところは、このどちらかが偽りの姿であるということ。それはおそらく前者の方で、丁寧なのは外面だけなのだろうと、レオンは考えた。


 エディには、政府が見過ごすことの出来ない、次のような罪があった。

 複数人の女性殺害の罪。


 一件目の被害者は、T通りに住むアメリア・バート(十二歳)。家から遠く離れた雑木林の中で死んでいるのを、狩りをしていた猟師が発見した。


 二件目はイデアル川沿いのアパートに、両親と三人で暮らしていたジェシカ・クレーン(十五歳)。彼女は通っている学校の部室棟の、使われていない一室で死んでいるのを生徒に発見された。


 三件目の被害者は、書店員のグレース・フィンチ(十八歳)。一人暮らしをしているアパートの寝室で死んでいるのを大家が発見した。


 四件目と五件目は、同じ学校に通う友人同士が被害にあった。マイア・ホークとフィービー・ノーブル。共に十六歳で、二人はいわゆる素行の悪い子らであった。その日、友人宅で馬鹿騒ぎに興じ、夜も明けきらぬ深夜四時ごろ家に帰ったという話だが、彼女らは何日経っても家に帰って来なかった。ようやく二人が早朝の路上で発見されたとき、彼女らは既に物言わぬむくろとなっていた。

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