第116話 直轄地オデッセイ

 面会を求める使者は日を追うごとに減り、昨日は誰も訪れなかった。お父様達の言う通りに、本当に収まってしまったのだ。


 ははっ、聖女ブームの盛り上がりは、ほんの一瞬でしたね。


 もしかして、エルフ族の人達は飽きっぽいのかな? あれだけ会わせろと、毎日やかましかったのに、嘘のように静かになっちゃいましたよ。


 メリリアやリリア、使用人達は日常を取り戻し、それぞれの仕事を始めている。自分はその様子を尻目に、車列が無くなった庭を窓から眺めながら、ぼんやり思いに耽った。


 玄関前に六台の馬車が並び、これからオデッセイという場所へ移動するのだ。この世界に来て初めての海ですよ! きっと、今までの人生で一度も目にした事のない、素晴らしく美しい光景が広がっているはず!


 自分の妄想は留まることを知らず、オデッセイから見える海を勝手に想像し始めた。


 太平洋沿岸の逗子海岸とか、九十九里っぽいところかな? 自分が過去に目にした海岸の光景が、パパパッと頭の中でスライドショーのように切り替わっていく。


 うーん、日本海沿岸で考えると、水晶浜みたいな場所だったらいいな。あそこの海は、底まで見渡せるほど澄んでいて、今でも綺麗な場所だったと思い出せますよ。


 妄想がどんどん膨らむ自分は、鼻歌を歌いながら、さらに発想の範囲を広げた。


 そうだ、ヨーロッパ! ヨーロッパはいいよね! 地中海はどうかな? 深夜のエヌエチケーの番組で観た、エーゲ海や白い街並みのある港町なんかお洒落でいいよね! それとも、オレンジ色の瓦の家が建ち並ぶ街とか……そんな場所だったら、陽が落ちるまで、街並みや海を眺めて過ごせそう。


「ふふふ、可愛いお歌ですね。アリシアちゃんには、音楽の才能がありそうですわ。もっと聞かせてくださいまし」


 自分の後ろに、いつの間にかお母様が立っていた。気配に気付かないほど、妄想に浸っていたみたいです。まだ、妄想の世界に意識が切り替えられていない自分。お母様は、そんな自分に期待の眼差しを向け、鼻歌を待っていた。


 うわぁ、口ずさんでいた曲は、ただの海が広い事を讃えている歌なんですけど……そんなに注目されると恥ずかしいです……。


「さぁ、歌ってくださいまし」と言わんばかりの、お母様の熱い視線。自分は、無視する事は出来ず鼻歌を口ずさんだ。目を閉じて静かに自分の鼻歌を聴き入っていたお母様は、ふぅっと息を吐くと少し紅潮した顔で自分を見つめた。


「んまぁ、何て良い曲なんでしょう。まるで歌の妖精が、花畑を楽しく舞っているように感じましたわ。素晴らしい才能です、アリシアちゃん。この才能を伸ばすのは母の勤め、楽器のお勉強を早めた方が良いかもしれませんわね」


 いや、これは小学校で習った歌で、作曲は自分ではないですよ……。


 大ごとになりそうな予感を感じ焦る自分を他所に、何やら息巻いているお母様は、メリリアを呼んで話を始めた。側で、自分の鼻歌を聞いていたメリリアも嬉しそうな表情を見せている。


 あぁ……前世の知識を迂闊に披露するのは危険でした。変に才能があると持て囃された末路を想像し、血の気が引いていく。何処かでこの話が有耶無耶になってくれる事を願い、お母様達から視線を逸らした。


 ――オデッセイまでの移動は、王都の街区のひとつなので時間はかからず、お昼前には王様が所有するアレク宮殿に到着した。


 アレク宮殿は、オデッセイの中心街から少し外れた小高い山の上に建っている。馬車から降りて玄関の扉に背を向けると、アルカディアス海岸が一望できる好立地だ。


「うわー、きれいなうみがひろがってます、おねえさま!」

「本当、素敵ですわねー。アリシアちゃん、二階のバルコニーから見てみましょう!」

「はい! おねえさま!」


 お姉様の手を取り、玄関へ向かい駆け出す。


 キキキキ……


 っと、扉がゆっくり開き始め、数人のメイドが現れ出迎える。その後ろからは、小さな背丈の子供が姿を見せ、自分達の前でドレスを摘んで会釈した。


「おまちしてましたわ、エルステアさま、アリシア」

「ええっ! シャーリー? どうしてこちらに?」

「あら、みなさんでバカンスをたのしむのでしょう? わたくし、こちらにはなんどもきてますから、いろいろたのしみかたをおしえてさしあげるためにきましたの」


 シャーリーは手の甲を口に当てて、鼻高々に笑い出す。


 一緒に遊べると思って、先回りしてきた訳ですね……ふふふ。自分は、鼻を上に向けたシャーリーを見て、嬉しい気持ちが込み上げくる。彼女の思いを無下にしてはいけません! 全力で一緒に遊ばないと!


「シャーリー、ここにいるあいだ、よろしくおねがいします!」

「まかせない、アリシア。わたくしがここでしらないことなんてありませんのよ」


 シャーリーがますます鼻を高くし、仰け反っていく。自分は、そんな彼女を愛おしく感じ、お姉様の手を引きながら彼女の下へ駆け出し手を取った。


「では、わたくしがあんないをいたしますわ」


 三人で手を繋いで、シャーリーの案内に従い宮殿の中へ入っていった。


 アレク宮殿の中は、王都にある宮殿や離宮と建築様式が違うようで、幾つもの柱が立ち並び、中央は吹き抜けになっている。何となく南国の家っぽい雰囲気で、風通しが良さそうです。中庭には大きな噴水が置かれていて、涼を取るには最適な感じがした。


「素敵な宮殿ですね、シャルロット王女様。夏の季節はこちらで過ごされているのですか?」

「はい、エルステアさま。まいとし、おかあさまとこちらでバカンスしてますの」


 さすが王族ですねー。毎年、ここで過ごしているのかぁ……って、シャーリーは自分と同い年だぞ? 毎年という言葉にひっかかりを覚え、思わずニタリとしてしまう。


「なっ、なんですの、アリシア」

「なんでもないですよ、シャーリー」

「むぅ、アリシアはいじわるですの」


 頬を膨らませて、プイッと顔を自分から背けるシャーリー。怒った顔も可愛いですね! 自分の笑いに、頭の良い彼女も気づいたのか、しばらく顔を真っ赤にしていた。


 シャーリーに案内された部屋には、大きな天蓋付きのベッドが置かれている。この部屋が自分達の寝室になるようです。バルコニーに繋がっていて、そこからはアルカディアス海岸が端から端まで見渡せ、玄関から見える景色より素晴らしい絶景ポイントだった。


「エスステアさま、アリシア。こちらにおとまりのあいだ、わたくしもいっしょにねむりたいのです」


 バルコニーから見える景色を楽しんでいる自分達に、シャーリーはさっきより顔を紅くし、両手を組んでもじもじしている。耳まで真っ赤になっていて、彼女からすれば思いきった提案なのだろう。


 お姉様に顔を向け、彼女の提案を聞き入れて良いのか様子を伺った。


「ええ、夜は私達と共に寝ましょう。私から王妃様とお母様に相談いたしますわ。アリシアちゃん、よろしいかしら?」


 片目を閉じてウインクして見せるお姉様。自分とシャーリーの願いを聞き入れてくれたお姉様に、笑顔で頷いて見せた。


「エルステアさま、ありがとうぞんじます」


 自分の提案が受け入れられてホッとするシャーリーは、こちらに駆け寄り交互に見て笑顔を振り撒いた。


 バルコニーに出て海を眺めていると、お母様と王妃様もメイドを伴い部屋に入ってくる。


 王妃様のメイドとメリリア、リリアは何やら衣装箱を持ってきて、箱の中から衣装を取り出しテーブルに並べ始めた。


「エルステア、アリシアちゃん。こちらに、海で使用する特別な衣装がございますの。寸法に問題ないと思いますけど、試着してくださいな」


 海で……使用する……特別な衣装ですと?


 何やら嫌な予感がして、冷たい汗が背中を伝った。


「シャルロット、貴女もこちらにいらっしゃいな。新作を手配しておきましたわよ」

「おかあさま、わたくしのねがいをききとどけてくださいましたのね。ありがとうぞんじます」


 お姉様とシャーリーは、喜び勇んでテーブルへ駆け寄る。


 自分は、テーブルに置かれている物を凝視し固まっていた。


 あれは……間違いない……この世界にも、女性が海で着る衣装は同じなのか……。


 それは想像していなかったよ……パンツだけじゃなかったのか……。いや、そもそもまだパンツを克服していない自分には、難易度が高すぎる。


「アリシアちゃん、どうしましたの? 早くお母さんに着せて見せて欲しいわ。とてもお似合いだと思いますわよ」


 固まる自分を心配したお母様は、こちらに向かってくる。自分は、テーブルの上に置かれた衣装に目を逸らし、身体を強張らせた。


 しょしょー


 ブルっと身体が震え、おむつに勢いよくおしっこが掛かる。


 あぁ……しまった。これで脱がされる口実を作ってしまったよ……。お母様は、自分がおしっこをしている事を察し、抱きかかえてソファまで連れて行く。


「ちっちが出てましたのね。ちょうど良かったですわ、ふふふ」


 お母様は、自分のおむつをサッと取り濡れたところを拭き取ると、メリリアから手渡された物を自分の前に広げて見せた。


「ほーら、どうですか、アリシアちゃん? とても可愛い水着でしょう。この日のために、シャルドゥーアの街で仕立て他のですよ。アリシアちゃんによく似合う水色の水着ですの」


 綺麗で光沢のある水色の生地に、胸元と腰付近に大きなフリルが付いていてひらひら揺れている。花柄のカラフルな刺繍が可愛いですね!


 あぁ……自分の事をよく見てらっしゃるお母様ですから、間違いなく身に付けたら似合うと思いますよ……。


 お母様は、目の前で自分が興味を持つように、ワンピースの水着を左右に揺らしている。


「まだ、ひとりでは着られませんものね。お母さんが着せてあげますわね」


 ソファに寝そべったままの自分の脚を取り、片足ずつ着せていくお母様。スルリと両足に水着が掛かり、そのままお尻まで一気に上げる。


 キュッと太ももの付け根が締まり、お尻が上にグッと上がった。ピタッと下半身に水着が張り付いてくる。


 そのまま、自分の脇に手を入れ立たせると、右肩から順に水着を掛けていく。


「はい、出来ましたよ、アリシアちゃん。お母さんによく見せてくださいな」


 満面の笑みで自分を見るお母様。物凄く満足そうな顔をしています……。


 身体にフィットした感触が、妙な心地良さを感じさせる……。何の覚悟も無く、女性用の水着を纏った自分は、腰が砕けたようにその場に座り込んでしまった。


「あら、アリシアちゃん、どうしちゃったの? どこか具合が悪いのかしら」


 お母様は、すぐに自分の額に触れて癒しの魔法をかける。


 いや……あの……身体は何とも無いです……。


 心が、意識が……整理出来ていないだけなんです……。


「アリシアちゃん! 大丈夫ですの?」

「まぁ、どうしちゃったの、アリシア?」


 水着を着たお姉様とシャーリーが近づき様子を伺ってくる。


 二人の姿が嫌でも目に入り、自分の今の姿を想像して絶句した。

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