第109話 暴走魔力の共有
宮殿の礼拝堂で行われた葬式から七日間。
一度も目を覚ますことなく、自分は眠り続けていた。
この身体で飲まず食わずで、およそ1週間……。普通の幼児だったら、衰弱死しているか生きていても脳に障害を受けていてもおかしくないのに、何の後遺症もなく自分は生きていて、今はお母様のおっぱいを吸っている。
目覚めた時、自分はバスタブのような水の張られた容器の中にいた。
水の中に沈んでいることに気付いた時には、溺れると感じ、ゴボゴボと口を開き、手足をバタつかせて必死に足掻いた。何とか容器の中から這い出ると、今後は、肺の中まで水が入っていたせいで、凄い勢いで咽せたのだ。
背中をお母様がトンと叩いてくれなければ呼吸が出来ず、危うく窒息していたかもしれない……。
同じような事をいつの頃だったか、誰かにしてもらった記憶が頭に過ぎったが、直ぐに靄がかかりそれ以上過去の事は思い出せなくなった。目覚めた自分を、笑顔で見つめるお母様やお姉様。何となく、こんな優しさに溢れた雰囲気を感じた事がある気がする。
ぼやっとした記憶を頼りに、もう一度思い出そうと掘り返そうとしたけど、混乱した思考では上手く引き出せず、結局考えるのは諦めましたけどね。
過去の事に思いを馳せてもしょうがないので……それよりも、今の自分の頭は、謎の力を礼拝堂で使ったのに前回とは異なる点があった事に気を奪われている。
これこそ、考えても解決しようがない事なんだけど、一度は、この意識は元の身体には戻れないと覚悟した身としては、ほっとくわけにはいかないのだ。
何故、例の呪文を唱えたのに、傍観者の視点ではなく自身で力を行使しているような感覚があったのか。お母様に魔石を握らせてくれたから? それとも、あのステッキを使ったから? 魔法のような言葉に秘密があった? お母様のおっぱいに添えていた右手を、グーパーさせながら当時の様子を思い出し考えていた。
「アリシアちゃん、もうお腹いっぱいですの? 少しお口から溢れてますよ?」
考え事をしながらお母様のお乳をいただいていたので、集中が削がれていたようです。お母様の指摘で胸元を見ると、だらだらと口の下からお乳が漏れ、べっちょり濡れていた。
あぁ、なんて勿体無い事を!
「んー! んーんーんー」
まだお腹を満たすには十分ではない。もう少しだけお乳を飲む必要があったので、おっぱいから離されないように口を当てたまま上目で懇願した。
「ふふ、可愛いこと。もう零しちゃうだめですよー」
「んー!」
ありがとうございます、お母様!
もう零したりしませんよ!
自分は、お母様の問いかけに答えると、両乳房をしっかり掴み、お乳を口いっぱいに含んでから喉に一気に流し込んだ。解決しようもない問題は、この命の源を飲んでから……何れどこかで……。
眠っていた時間に飲めなかった分を取り返すように、お乳をお腹いっぱいになるまでいただいた。
「アリシアちゃんは、すっかり元気になりましたのね。お姉ちゃん安心しましたわ」
必死にお母様のお乳をいただいていると、お姉様が寝室を訪れ自分の様子を伺う。自分は、おっぱいから口を離さずに、お姉様に視線を向け、手をパタパタ振って返した。
「んー! んー!」
自分、全然元気ですよ! 謎の容器のおかげだと思うけど、何ともないです! おまけに、ずっと続いていた胸の痛みも全くないし、逆にスッキリしちゃってますよ!
手を振る自分に、お姉様は笑顔を向け、髪の毛に触れてくれた。
「ニューレルスの湯に浸かり、眠る姿をただ見ているだけの時は、本当に心配しましたのよ。こうして元気な姿が見られて、本当によかったですわ」
髪の毛に触れてくれているお姉様は、指先で目尻を拭い、再び自分に微笑んだ。
あぁ、心配かけてごめんなさい……でも、もう大丈夫ですから、お姉様……。
本当に、この妹はお姉様に心配かけ過ぎですね。
ちょっと反省です。
「エルステアも見て分かったと思いますが、アリシアちゃんは、魔力が突然溢れる体質みたいですの。まだ制御ができる年齢ではないので、また暴走してしまうかもしれませんわ」
「お母様、アリシアちゃんが可哀想です。何か方法はありませんでしょうか?」
お姉様は眉を吊り下げて、悲しそうな顔でお母様を見ている。
「方法はありますの。エルステア、お姉さんとして力を貸していただけますか?」
「はい、お母様。アリシアちゃんの為なら、私、何でもいたします」
お母様の一言で、お姉様の表情はパッと明るくなり、少し興奮した面持ちに変わった。即座に返事をすると、お母様の言葉に耳を傾け始める。
えーっと……お葬式で、金の枝から部屋中に光をぶち撒けた事かな? あれは魔力の暴走なのか……謎の力が、どれほどの魔力を使ったのか推測出来ないけど、死んだ人が生き返ったくらいだから、普通ではないのは理解できる。
改めて振り返って、自分はとんでもない事をしたと思い始めた。
「お母様、協力とは何をすればよろしいのでしょうか?」
お姉様はそわそわしながら、お母様の言葉に待ちきれないのか質問を投げかける。自分の事でもあるので、聞いておかないといけない。そう思って、お母様に視線を向けると、そこには笑顔はなく真剣な面持ちだ。その表情を見て、思わずおっぱいから口を離し、背筋を伸ばしてお母様を仰ぎ見た。
「とても簡単な方法で解決できますのよ。アリシアちゃんの溢れた魔力を、私とディオス、そしてエルステアに分散させますの。普通は、他人の魔力を身体に入れてしまうと反発して強い痛みが襲って来ますけど、同じ血、家族であればそのような事は起こりませんのよ」
「魔力を分けるのですか? そんな事が出来るのですか、お母様?」
家族で自分の漏れた魔力を共有ですか!
本当にそんな事が出来るのかな……自分もお姉様と同様に半信半疑な気持ちだが、お母様が言うのだから出来るのだろう……。
そもそも、暴走の原因になる、魔力が溢れるって分かるものなのかな? 素朴な疑問が湧き、お母様に顔をまじまじと見つける。
「おかあさま、まりょくがあふれるってどんなときになるのですか?」
自分では、魔力が溢れるという感覚がそもそも分からないので聞いてみた。
「アリシアちゃん、こちらの魔石とステッキは覚えてますか? その前にも、ずっと胸が痛いと感じてましたでしょう? 魔力が身体の許容量を超え始めると、身体のどこかに異変が起こりますの。アリシアちゃんの場合は、胸に痛みを感じるようですわ」
あの胸の痛みは、魔力のせいだったのね。
今、痛みがほとんど無いから、出し切ったって事か。うーん、もうあの度々、強く痛む思いは懲り懲りだ。
「こちらの魔石は、アリシアちゃんの魔力が限界まで入ってますのよ」
「お母様、こちらの魔石からとてつもない魔力を感じますけど、本当にアリシアちゃんの力ですか?」
お姉様の問いかけに、お母様は黙って頷く。
「まぁっ! 極級魔法を何度も使えそうなほどですわ……」
手を口に当てて驚くお姉様。
自分は、お姉様の驚きの声を聞いて、お母様の持つ魔石をまじまじと見つめた。これが、自分の身体から溢れた魔力が詰まっているのか。キラキラと魔石の中が輝いていて綺麗な石にしか見えないけど、この中にはとてつもない力が詰まっている事になる。
全然、自分の力が篭っているとは実感できなかった。
「こちらのステッキも、私も見た事のない形状まで変化させましたし、アリシアちゃんの力は、今の段階では測ることはできませんの。そこで、アリシアちゃんの魔力暴走を抑えるために、こちらをエルステアも付けてくださいまし」
お母様がメリリアを呼ぶと、小さな箱を持ってやって来た。
箱の中から、小さな腕輪をメリリアが取り出すと、そのままお姉様の足首に装着する。
あの足輪には見覚えがある……視線を自分の足下に向けると、サイズは違うが同じ物が付いているのだ。葬式の日も、入学式でも付けていた装飾品。
ちらりとお母様を見ると、真剣な面持ちから笑顔に変わっていて、自分に視線を向けている。
そのまま、お母様は視線を足元に向け、ネグリジェの裾を少し捲って見せた。お母様の足首には、自分やお姉様と同じ足輪を装着している。
三人ともお揃いの足輪。ペアルックですね!
こんな装飾品で、何をするのか想像がつかないです……。
「こちらで、アリシアちゃんの魔力を制御してましたけど、私ひとりでは、暴走を止められるまで、魔力を吸収する事は出来ませんでしたの。エルステア、貴女の魔力容量は、既に私達に引けをとりません。アリシアちゃんの溢れた魔力を吸収するのを、手伝ってくださいまし」
「お母様、これを付けると先日のように、アリシアちゃんから膨大な魔力が吹き出すことはなくなるのですか?」
「ええ、アリシアちゃんの中から溢れた魔力が、こちらを通して自分の魔力の器に流れて込んで来ますの。自身の魔力として使う事も出来ますから、溜まる前に魔法を使って消費するだけで良いのです」
もしかして、あの謎の力を使っても、この意識が飛んで行かなかったのは、お母様が自分の魔力を吸い出してくれていたから?
そうだとすると、この足輪は今の自分にとっては、この意識を救ってくれた凄く大事な物に……。
知らないうちにお母様が、これを用意してくれていた事に感謝の気持ちが込み上げ、胸が熱くなっていった。
「お……おかあさま……ありがとうぞんじます」
声が思う様に出なくなったが、振り絞ってお礼を口に出す。涙で目が霞みお母様の顔がよく見えない。すぐ近くにいるのは分かるけど、見えなくなった事で、感情が制御できなくなってしまった。
「うぁーん、おかあさまー」
ぼたぼたと落ちていく涙。顔をお母様がいた方向に向けたまま、自分は口を開けて泣き出した。
「お母様、アリシアちゃんの魔力が流れて来てますの! 感情の変化だけで、これだけの魔力が流れて来てしまうなんて、信じらせませんの!」
「ふふ、お分かりいただけたようですわね、エルステア。アリシアちゃん、もう苦しい思いをしなくて良いのですよ。お父さんもこれを付けたら、アリシアちゃんの魔力が貰えたと言って、きっと大喜びしますわ。」
お母様は、優しく自分を抱き寄せると、ゆっくりと背中を摩り「大丈夫、大丈夫」と、何度も言葉をかけてくれる。
自分は、お母様の気付かなかった優しさと、お姉様の自分のために動いてくれた事に、感情が極まりさらに涙が溢れ泣き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます