第29話 魔法使いのお姉様

「お久しぶりですねアリシア様。今日からまたお勉強を始めましょうね」

「ごきげんよう、リッチェルせんせい」


 叔父様の家にいた時にお行儀を教えてくれた先生が新しい家にいる。どうやら先生は、自分の専属家庭教師として契約していて、引っ越しが落ち着いて迎える準備が整った知らせを受けて来られたそうだ。


「お行儀は問題ございませんね。それでは、本日は初日ですので、少し楽しい事をしましょう。書物やお部屋にある物の名前を覚えるお勉強です。アリシア様、よろしいですか?」

「はい。いっぱいおぼえます」


 リッチェル先生は、自分の前に一冊の本を置き表紙を捲る。絵が大きく描かれ、文字がほんの少しだけ書かれている幼児向けの本ですね。文字が少ない本であれば、お姉様に読んでもらっているから、苦労しなさそうです。


 この文字は確か聖杯を意味していたはず。それで、これは剣。あー、これは馬だ。描かれている絵を見て大体イメージできちゃう優しい本です。


「せんせい、これはせいはいで、このえはソード、こっちはホースです」

「アリシア様、素晴らしいです。全部正解ですわ」


 お姉様に教えてもらったおかげで、すらすらですよ! リッチェル先生は驚いてるけど、予習済みなので!


 ひとつ本を見終わると、リッチェル先生は次々と本を見せてくれた。予習済みじゃない本になると、予想通り知らない単語ばかりが目に映る。


「リッチェルせんせい、これはなんですか?」

「これはオルトラーズと言って、ユグドゥラシルを護っているガーディアンですよ」


 リッチェル先生は、先ほどまで見せていた驚きもなくなり、出番を感じたのか、名前だけでなく意味や説明も付け加えて教えてくれた。固有名詞はさすがに予習なしでは答えようがないのです。


 本に書いてある名前を一通り教えてもらい、続いて身の回りの物の名前を教えもらうことになった。


 自分がいつも着ている寝巻きはネグリジェと言うそうだ。膝上まであるズボンのような下着は、ドロワーズだ。ちゃんと名前があるんだね。お母様が身に着けている大人用の下着は、生前と変らないよく知る名称だった。ドレスにも色々種類があって、儀式用とか季節に合わせて身につける上着やらと、数が多すぎて覚えきれない。


 男性が着ている服の名称は、女性は特に覚えなくていいそうで、教えてはもらえなかった。ズボンにトランクス、ブリーフとかその程度だろうけど。


「こちらはチェストと言います。お洋服や髪飾りなどを収納するために使います。クローゼットにはドレスや靴が入ってますよ」


 チェストってただのタンスだね。タンスって言っても通じないっぽいな。ちゃんと覚えていかないと、変な言葉をしゃべる子と思われそうだから、ここはしっかり学んでおこう!


「アリシア様はまだ使用する事はございませんが、お化粧をする際にはドレッサーを使用いたします」


 化粧台、改めドレッサー。はい、覚えました。あとトイレの代わりに便器を使う。馬車に乗った時に、一度使ったことを思い出したけど、ただの簡易トイレと思ったら日常使いなんですね。汚物は肥料になるから大事って、田舎みたいに肥溜めでもあるんですかね、いやたぶんあるんだろう。どこにあるのか聞く必要はないか。臭いだろうから……。


 この家にもトイレを作ろうと、お父様が計画しているらしいので、完成が待たれます。王都にある貴族街の家は、普通にトイレ完備なんだって! ふむ、トイレを持っている家は、お金持ちってことになるのかな? それとも技術的な問題で付いている家が少ない?


 午前中に身の回りにある物の名前を一通り教えてもらえた。前世で目にしていた物の名前は、日本語読みでは通じない言葉が結構ある。うっかり言葉に出さないようにしよう……変人扱いは御免なのだ。


「それでは、今日のお勉強はここまです。アリシア様、よく頑張りましたね」


 リッチェル先生についてまわりながら名前を覚えていく、シンプルなお勉強だったけど面白かったです。


 無事に勉強時間が終わった事をお母様に報告するため、その場でくるりと回って振り向く。


 お勉強をしている間は、お母様はテーブルで刺繍をしながら見守ってくれている。ときどき、お母様に視線を向けると、自分に気づいて笑顔で返してくれのだ。


「おかあさま、おべんきょうおわりました。おしっこでました」


 お勉強中に、数回おしっこをしていたので、既におむつはぱんぱんなのです。このまま遊ぶと横漏れする危険もあり、ちゃんと報告してお利口さんをアピールした。


「アリシアちゃん、お勉強に夢中でしたものねー。こちらのいらっしゃい。おむつ取り換えてさしあげますわ」


 メリリアからおしめの代えを受け取ったお母様は、自分を抱き上げてからベッドに寝かせ、サッサッと汚れたおむつを取り出してから温かいタオルで汚れている下半身を拭いてくれた。


 自分で尿意や便意に気が付いたら、おむつにおしっこをしないように頑張ってはいるけど、なかなかこれが難しい。夢中になっている時や、寝てる時は制御不能で、しっかりおしめを湿らせてしまっている。


 しょうがない。こればっかりはしょうがない。


 まだまだ、小さな幼女ですから……。


 自己弁護をしてみたけど、早くおむつ外れるといいね、自分。もうちょっと大きくなったら……きっと出来るようになるよ。


 ――昼食を終え、今日はお母様が先生になり、お姉様に魔法を教えるそうです。エルフ族は、五歳前後から魔力の使い方や、簡単な魔法を教えていく慣わしがあるらしい。


 お姉様も五歳の誕生日が近いので教えてもらえるようだ。残念ながら、自分は小さいので教えてもらえない。


「おかあさま、まほうみたい! わたし、みていいですか?」


 見るだけならどうでしょうか? と、お母様におねだりしてみたけど、首をかしげて考え込んでいる。


 やっぱりダメ? 危ないだろうし、断られちゃうかな?


「今日は魔力の流れを掴む練習ですし、使用する魔法も問題ないでしょう。そうねー、アリシアちゃん、見学だけでしたら許可しますわ」

「やったー! ありがとうぞんじます、おかあさま」


 うほほー! お母様の許可が得られましたよ! 魔法を使う勉強の見学できる! 見学者らしく、お姉様が上手に魔法が使えるように応援しよう!


「おねえさま、まほうがんばってください!」

「アリシアちゃん、ありがとう。お姉ちゃん、がんばりますわね!」


 表情がやや強張ってる気がするけど、お姉様もやる気に満ち溢れていた。どんな魔法が見られるのか楽しみですよ。


「それじゃ、エルステア演習場に行きますわよ。メリリアは、アリシアちゃんをよろしくね」

「はい、奥様。アリシア様が安全な場所にお連れいたします」

「攻撃系の魔法は使いませんけど、万が一を想定しておいてくださいまし」


 お母様とお姉様が演習場に向かい、その後からメリリアに手を取ってもらいついて行った。


 まずは、魔力の流れを身体に覚えさせる練習をする。身体の奥から指先に徐々に魔力を集めていくのだ。


「身体の奥にある魔力を感じてごらんなさい。貴方にもちゃんと魔力がありますから落ち着いてやるのですよ」

「はい、お母様」


 お姉様は、目を閉じて集中し始める。


「そうよー。いいわよー。指先を意識してごらんなさい。魔力が身体の中を移動し始めてますわ」


 お姉様の指先が、徐々に光を帯びてくる。ほほぅ、これが魔力ですか? どんどん魔力が集められ、自分は、その様子を固唾を飲んで見守った。すると、何の前触れも無くお姉様の指先から光の塊がぽぅっと浮かんだ。


「エルステア、ゆっくり目を開けてごらんなさい。貴方の魔力が出てきましたわ」


 ゆっくりとお姉様は目を開け、自分の指先に視線を合わせる。


「集中を切らしてはダメですよ。魔力が散ってしまいますから」


 自分の指先から出た、魔力の塊を見つめるお姉様。お母様の助言に従い、集中を切らさないように真剣な表情を見せていた。


「たいへんお上手ですよ。エルステア。まだ五歳になってませんのに、一回で出来たのは素晴らしい素質ですの。さすが私の娘ですね。ふふふ」

「お母様、私上手くできたのですね。これが私の魔力。とても暖かくて綺麗です」


 お姉様の指先から現れた、眩い光を放つ魔力の塊。傍から見ていても、暖かみを感じた。お姉様の本質が魔力で現われているのかな? 自分だと複雑な色になりそうですよ……とどめ色とかになったらへこみそうだ。


「エルステアの魔力は光属性が強いみたいですわ。お父様も貴方と同じく光属性が強いようです。私の血も引いてますから、所有属性は全属性ですわね」

「私、お父様とお母様の属性をちゃんと引き継げているのですね。お母様、すごく嬉しいです!」


 お父様とお母様の魔力が引き継げている事に、お姉様は感激の声を上げ目に涙を浮かべた。よかったねお姉様! 間違いなく、お姉様はお父様とお母様の娘ですよ! 


 魔力の属性って継承されていくものなんですねぇ。ますます自分の魔力が心配になってきたんですけど。


「エルステア、まだですわよ。まだ、心を大きく揺らしてはいけません。魔力の塊が暴走して大変な事になりますわ」

「はい、お母様。この魔力はこの後どうすれば良いのですか?」


 お母様は、宝石のような青い結晶を取り出してお姉様に差し出す。


「このお家に至るところにありますから、見たことはありますわね。これは空魔石といって、魔力を貯めたり取り出したりできますの。この空魔石に、貴方の魔力の塊を吸い取らせてくださいな」

「どうやってやったらいいのですか? お母様」

「ふふふ、これはねすごく簡単なの。魔力の塊をこうやって近づけると、ほらっ」


 お姉様の作った魔力の塊に魔石が近づくと、スッと塊が吸い込まれた。一瞬の出来事だったけど、掃除機のように魔石が吸い込んでいったのだ。ダイ●ンもびっくりの吸引力ですね!


「すごいです、お母様。魔力の塊が吸い込まれちゃいました」

「貴方の魔力の塊は、この魔石の中にちゃんと存在してますのよ。魔力が足りない時や、魔道具を動かす時に、この魔石を使いますの」


 そう言うと、お母様は魔石をお姉様に手渡した。


「この空魔石は、貴方の魔力に染まったので差し上げます。まだ魔力で満たされてはいませんから、すこしずつ魔力を込めていきなさい。貴方がこの先、魔力を本当に必要とする時に役に立ちますわ」

「お母様、ありがとう存じます。いただいたこの魔石、ずっと大事にいたしますわ」


 お姉様は、もらった魔石を大事に胸に抱きしめる。初めての魔法の練習で緊張していたが、無事に終われた事に安堵した様子を見せた。すると、強張った表情が解けると共に、眉を下げ、潤んだ瞳から大粒の涙が頬を伝っていく。


「あらあら、エルステア。お姉さんなのにそんなに泣きません事よ。よしよしー頑張りましたわねー」


 顔が涙でくしゃくしゃなお姉様を、お母様は優しく抱き寄せて背中を摩ってあげた。


「私、魔法が使えないかもしれないって不安でしたの。でも、ちゃんと使えて、うれしくて」


 そっ、そんな不安があったのですね、お姉様! 魔法の練習と聞いて、顔が強張ってたのは、「使えなかったらどうしよう」って、思ってたせいなのね。もともと魔法が使えない世界にいた身からすると、この世界では、魔法が使えないと落ちこぼれみたいなレッテルを貼られちゃうのかな?


「おねえさま、まほうつかいおめでとうです。」


 お姉様の不安な気持ちに気付いて上げられない不出来な妹。せめて何かしてあげたいと気持ちが焦る。言葉では足りないと思う、だけど何をしたらいいのか分からない。


 無意識に身体がお姉様に向かって動き、気がつけば抱き着いていた。自分も感情が揺さぶられてしまい、目にいっぱい涙が溢れていく。


 いつも優しく笑ってくれるお姉様に甘えてばかりだ……。


 今日、お姉様の普段見たことのない感情を目の当たりにして、胸がしめつけられた。自分は何をして上げられるかな、お姉様を助けてあげられるようになるにはどうしたらいい?


 今日から、お姉様は魔法も使えるようになって、どんどん成長していく。


 お姉様に置いてかれないように、頼ってもらえるように……。


 前世でも持った事の無いこの感情が、自分の心が満たされていくのを覚えた。

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