第7話 小さな冒険

 お母さんの名前はフレイで、お姉さんはエルステア。


 毎日のお姉さんが一生懸命教えてくれたおかげで、人の名前はかなり覚える事ができた。エルステアといつも一緒にいるメイドエルフさんはリリアで、他にもマチルダ、メルティ、エリル、ニナと、かなりの人数のメイドさんがこの家にいるのだ。お金持ちの家みたいですね。


 あと、同じくらいの子供でグレイオスがいる。


 今のところ覚えたのはこのくらいで、お父さんらしき人は見かけないので、いるのか分からない……。


 自分の成長具合と言えば、最近では何とか物を伝って立つことさえできれば、二本足で千鳥足ではあるが、前に進めるようになった。


 たまにふらついてグレイに寄りかかり、そのまま押し倒す事はあるけど、まぁ不可抗力ですよ。潰されてすぐ泣きだすから、後が面倒なんですけどね。


 今日もエルステアお姉さんとグレイと遊んだ。


 グレイは以前と違って、いつの間にか自分のやる事を真似するようになり、乱暴な事はしなくなったのだ。今日も部屋の探索で歩きまわると、後ろから、金魚のふんの様に付いてくるくらいの関係になった。


 この部屋は、自分が寝ている巨大なベッドの他に収納箱なのかタンスっぽい物が二つに、ガラス付きの書棚が一つとガラスの付いてない書棚。あと、鏡が付いている化粧机に小さい机と椅子が二つ。それと、メイドさんが運んでくる銀色のカートが一つある。床はふかふかのカーペットでゴミひとつ無い。


 窓は大きく陽の光がたくさん取り込めるようになっていて、日中はとても暖かく部屋の中は明るい。子供心に、日差しの差し込まない場所は、鬱蒼としていて近寄りがたかった。


 お母さんやエルステアお姉さん、メイドさんが出入りする扉があるのだが、しれっと出入りする瞬間を狙って、後ろをついていこうとすると……見つかって止められるので、今だに扉の向こうがどうなっているのか分からない。


 今日も試みたが、お姉さんが部屋に常駐していたので、失敗に終わった。


 お母さんのお乳をグレイと分け合って飲んだ後、しばし体力回復のため就寝モードに入る。甘い匂いに包まれながら、ふわふわの毛布にくるまって、エルステアお姉さんと一緒に眠りに落ちた。


 眠りに落ちてからしばらくして、外が何やら騒がしい。バタバタ音を立て走り回っているようだ。こんなに騒々しいのは初めてですよ。薄目を開けて、横にいたエルステアお姉さんを見ると、姿が見えない。いつも側にいるメイドのリリアもいない。


 ここにいるのは、自分とグレイだけだった。


 慌てて二人は部屋を飛び出していったのか、扉が開きっぱなしである。


「これは! チャンスなのでは?」


 そう呟いて、ベッドから抜け出そうとする。


 とは言え、ベッドの高さは自分の身長の三倍以上ある。このまま飛び降りると怪我をする可能性が大きい。しかし、ここは知恵の出し処。自分がくるまっていた毛布と、グレイの毛布をひっぺがし下に降ろした。落ちた時にケガをしないように、クッション代わりだ。ついでに枕も落としておいた。


 そして、エルステアお姉さんの毛布を半分くらい下に落として、準備完了!


 エルステアお姉さんの毛布の上からしたに滑り落ちるのだ。ふふふ、小さいころ布団であそんだ経験がここで活きるとは。


 下に置いておいた布団と枕が、いい感じに滑らかさを作ってくれたおかげで、シャーっとベッドから下に降りられた。自分天才ですね!


 降りてから周囲を見回し、誰もこの部屋に来ていない事を確認し、扉に向かって歩き出す。


 一歩、二歩、三歩、途中与太ついて這いずったりしたが、扉前まで到着する。


 空いている扉から、その先をちょっと警戒するように覗き込む。


 誰もいないようですね。しかし、少し先がやたら騒がしい。声のする方へ行くべきか、それとも反対の方へ行くべきか迷う。とりあえず、声のする方の様子を見てから考えようと思い、壁を伝いながら移動を始めた。


 歩けど、歩けど、声のする方に辿り着けない。思った以上に距離がある。この家は広いんだなぁとぼやきながらも歩みは止めない。しばらく歩いて、ちょっと壁に寄りかかって休憩する。ちょうど棚があるので、その陰に隠れるように休んだ。


 しばらく休んでいると、聞きなれない息を吐く音が自分に近づいてくる。


「はっはっはっはっ」


 獣のような息遣いだと気づいた時には、目の前に白い狼がいた。


 おいおいおいおい! なんで狼がここにいるのよ。これは食べられちゃうコースですか? と、恐怖を感じたが、白い狼はベロりと自分の顔をなめ出した。


 よだれで顔がべっちょり。おまけにちょっと臭い。


「お肉のテイスティングか何かですか? 勘弁してつかぁさい」


 涙目になり悲鳴のような声をあげる自分をよそに、白い狼は自分をくるむように座りだした。


 どうやら今は食べられないようだ。と思い、何とか脱出する術を考える。とりあえず、害意がない事を感じさせて油断を誘い、活路を見出す事にした。


「食べちゃだめだよー。自分美味しくないよー」


 と、白い狼の頭を撫でて鎮める事にした。


 白い狼は気持ちよさそうにしている。もう少しすれば眠るのではないかと思い手を休めず撫でる。しばらくすると白い狼は眠ったように動かなくなった。


 今しかない! そう思い棚に手をかけ立ち上がる。ちょっとずつ、ちょっとずつ、白い狼から離れようとする。


 もう少しで白い狼から抜け出せると思った瞬間、奴の目が開きこっちを見る。


「ひやぁ!」


 起きてしまった、まだ寝ていていいんですよ。おやすみなさい。


 と願うも、白い狼は自分から視線を外さない。完全にロックオン状態である。


 大人しく部屋にいれば、まだ長生きできたかもしれないのに、こんな狼の餌で終わる人生になるとは思いもしなかったよ。と諦めかけた時、身体が中空を舞った。次の瞬間には、ふわっとした毛皮に包まれたのだ。


 ふわふわな手触りに目を向けると、さっきの白い狼の背中に乗っている。何が起きたか分からないが、まだ食べられていない事だけは知った。


 白い狼は自分を背に乗せ、さきほどまで想像したかった場所へ歩き出す。


「もしかして、自分をそこまで連れてってくれるんですか?」


 白い狼の耳にそう問いかける。


「ガゥッ!」


 白い狼の返事を聞いて、すこし安堵した。だけど、そこにお母さんやエルステアお姉さん達がいたら……仰天する事だろう。なんとか留まるようにお願いしたが、白い狼さんは聞き入れてくれない。ここの人達、獣を含む……は、自分の話なんか聞いちゃくれないのだ。


「アリシアちゃん!」


 エルステアお姉さんの声が聞こえる。あー見つかったよこれ。我の冒険はここまですよ。オワタァ……。


 そう思った時に、ガクンと身体が落ち始めた。ガクンガクンガクンと、どんどん下に降り始める。首が上下に揺れ、必死に白い狼の毛を掴んだ。


「おっ落ちる、狼さん落ちそうです!」


 振り落とされそうになるのを必死に堪える。最後に大きくガクンと下がった時に、掴んだ手が離れた。浮遊感を感じた。あぁ落ちました。これ間違いなく大けがしたな。と悟った。


 「痛いのはちょっとやだなぁ」と、目を閉じる自分。


 しかし、落ちる衝撃が一向に無い。むしろ、なんかさっきより柔らかな感触を受ける。恐る恐る目を開けると、そこには綺麗なエルフ美女が映った。


 お母さんとは違うエルフ美女は、自分を見ながら猛烈な勢いで涙を流している。また、自分は女性を泣かしてしまったのかと、慌てふためいた。


 エルフの美女は、涙ながら自分を抱きかかえる力を緩めず、さらに優しく包むように抱きしめてきた。


 さらに、ちょっといかついおっさんが、エルフの美女さんの横から覗いてくる。こいつもまた、めちゃくちゃ涙を流している。いったい何事ですか。自分の顔になんかついてます?


 戸惑う自分を他所に、エルステアお姉さんもお母さんも、あと見慣れないおっさん達も涙している。


 自分を取り巻く周囲の状況に付いていけないのだけど……。


抱きしめてくれているエルフの美女からは、とても懐かしい匂いがして、脱走して来た事を誤魔化すために、黙って身を委ねることにした。

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