第8話 想像を超える酒の味
俺と香織は腕を組んで繁華街を歩いている。俺の左腕にはしっかりと香織の腕が絡みついている。
「何か奢ると言っても何が良いんだ。何か食べるか?」
そう尋ねてみると香織は
「お腹は空いていません。さっき店で賄いを食べたので、それが残っています。後で処理しないとなりません。どっちかと言うとお酒が飲みたいです」
そう言って俺の肩に頬を寄せて来た。これでは知らない人が見たら、恋愛関係のある男女に見えてしまう。そう考えていたら
「親子には見えませんよね」
そんな冗談を言って俺を笑わせた。ひょっとして真実を語ったのかも知れないと思い直した。
「酒か……酒も後で捨てるのだろう?」
「そうですけど、お酒を飲む雰囲気は味わえます」
「なるほど、それをデーターとして残す訳か。じゃ俺の行きつけの店でいいな」
「はい。それで結構です」
「そういう時は、お願いしますとか言うんだぞ」
香織の言葉に注意をすると
「確かに硬いですね」
そう言って笑った。少しづつでも微妙な感情がコントロール出来ているのかも知れなかった。
俺は繁華街のある店に入って行った。そして香織に
「この店はカウンターにオヤジが一人居るだけの店だが、バーテンダーとして良い腕をしてる。大抵のカクテルなら作れるから好きに注文しれば良い」
そう言って店の中に入って行く。趣味の良い作りの店だ。
「いらっしゃいませ。今日はお珍しいですね」
バーのマスターはそう言ってニコッと笑った。総銀髪に黒い縁のメガネを掛けた品の良い人物だ。当初、店に来たては黒縁だと思っていたメガネだが慣れて来ると藍色である事が判る。だが香織はすぐに
「藍色の眼鏡が素敵ですね」
そう言ってマスターを驚かせた。
「初対面で眼鏡の色を当てたのは貴方が初めてですよ。これは凄い。良い眼をなさっていますね」。
マスターはそう言って驚いた。まあ香織なら容易だろうと俺は思う。
俺と香織はカウンターに座る。するとマスターが
「高梨さんはいつもので宜しいですか」
そう尋ねて来るので
「ああ、それでお願いします」
そう言って注文をした。
「こちらのお嬢様は何になさいます?」
今度はマスターが香織に注文を訊く。
「何が良いか判らないのでマスターにお任せします」
香織はそんな事を言う。この辺りはちゃんと弁えているのかと思った。するとマスターは少し考えてから
「ではオレンジブロッサムなど如何でしょう」
そう提案そする。香織の容姿を見てオレンジブロッサムを勧めるなど、やはりマスターは一味違うと思った。このカクテルは、ジンにオレンジジュースを配合したカクテルだが、その配合が難しい。ジンの爽やかさとオレンジのフルーティーさが特徴でもある。
「ではそれをお願いします」
香織はそれを飲んでみたくなったのだろう。
「おまちどうさま」
俺の前にジン・ライムが、香織の前にはオレンジブロッサムが置かれた。グラスの縁にライムが乗せられている。香織の注文したオレンジブロッサムにはカクテルグラスの縁にオレンジのスライスが乗せられていて、そのオレンジの皮にナイフが入っていて捲れ上がっていて、その皮の先端にチェリーが刺さっていた。マスターの趣味の良さを感じた。
「こんな洒落た飾りもあるんですね。きっと味が何倍も美味しく感じますね」
「乾杯!」
静かにグラスを合わせてカクテルを口に含む。ジンライムはシェイクせずオン・ザ・ロックのスタイルにする。すなわち、氷を入れたオールド・ファッションド・グラスに、まずドライ・ジンを、次にライム・ジュース注ぎ、ステアすることで完成となる。普通はシェイクしない。するとギムレットという別のカクテルとなるのだ。辛口の心地よさが広がる。
オレンジブロッサムはやはりジンベースのカクテルで、禁酒法時代のアメリカで誕生したといわれている。当時の粗悪なジンの香りを誤魔化す為にオレンジジュースを入れたと言われている。だから今のジンなら味は当時とは比べものにならない。
「美味しいです」
その後おかわりをして、店を出た。表に出ると香織はまた腕を組んで来た。
「酔わないはずなのに、何だか酔った気分になりました不思議です」
そう言って少しトロンとした眼をしていた。
「雰囲気に酔ったのか?」
そう問いかけると香織は嬉しそうに
「そうかも知れません。これでまた近づいた気がします」
その言葉で香織に訊いてみたいことを思い出した。
「なあ、今日だけどクレーマーの客の手を握ったろう。あの時は何を考えていたんだ」
俺の質問に香織はいたずらな目をして
「手が暖かいというから、握らせてあげたのです。多分冷たさに驚いたと思いますよ」
そんな事を言って俺の腕を自分の胸に押し付けた。
「そうそう、あの時、胸の谷間も見せたのだろう」
あれが意識してやったのか、意識せずにやったのかだ。
「ああ、あれは意識していました」
「わざと見せたのか」
「はい。駄目でしたか?」
「いや駄目というより大胆だと思ってな」
そう告げると香織は
「私の義体は実は秘密があるのです」
そう言って俺の目を見詰めた。
「秘密?」
「はい。知りたいですか?」
そう言われてしまえば上司として知っておきたい。
「出来ればな」
時計はかなり遅い時刻を指していた。
「今日は研究所に帰らないとバッテリーが足りなくなります。明日、高梨さんのお部屋にお邪魔しても宜しいですか?」
「は、俺の部屋、知ってるのか?」
「はいデータベースに住所が入っています」
香織はそう言って笑った。その笑顔が俺には何やら意味深に思えたのだった。
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