第5話 香織の能力

 翌日、開店の準備に香織がやって来た。

「おはようございます」

「おはよう!」

 俺以外の店の者は香織の秘密を知らない。敢えて言う必要は無いと俺は判断した。店長の甘利は特別な問題が起きない限り、香織の扱いは俺に任せると告げられていた。

「厨房のメンバーは料理器具や厨房が使えるように準備をしてくれ。ホールスタッフは店内の装飾や椅子テーブルなどの搬入を手伝ってくれ。それから奥の座敷も準備しておいてくれ」

 俺の指示にそれぞれが散らばって行く。俺は香織には

「厨房でもバックヤードに入ってくれ」

 そう告げていた。行く行くは店に出す方針だが、今のままでは、かなり危険だと判断した。店に出ればお客と会話をすることになる。彼女は、それがどんな場面でもこなせるとは俺は思っていなかった。

「バックヤードに配属されて不満か?」

 香織に直接問いかけると

「いいえ、何事も経験と修行です。今の私では接客の能力に疑問がつきます。それは自分自身の分析でも出ています」

「おい、ひとつ教えておくが、後半の部分は口には出すな。人間なら心に秘めておけ」

「心に秘めるとは、絶えず自分の行動と照らし合わせて行くという行為ですか?」

「まあ、そんなところだ。さあ仕事に掛かるぞ。開店一週間前には関係者を招待して疑似的に営業を行うことが決まっている。プレオープンだ。のんびりとはしていられない」

 俺の言葉に香織は

「了解しました!」

 そう言って作業に取り掛かった。

「了解じゃなくて、普通に『わかりました』でいい」

「わかりました」

 言葉の使い方だけでもこんな感じだ。やはり暫くはバックヤードに居させて、慣れたら店に出すようにしようと思った。

 プレオープン三日前には、営業に向けて食材が運び込まれた。魚介類を初め、野菜、乾物、その他のものが運び込まれた。魚は寿司職人がそれぞれ仕込みにかかる。〆なくてはならないもの。煮たり焼いたりして仕込むもの。それに使うタレ所謂「ツメ」も作らねばならない。

「香織。ツメを作っておけ」

 そう命令をすると香織は頷いて

「普通の割合でよろしいですか?]

そう尋ねて来たので

「ああ、普通の割合でいいよ。割合は知ってるな?」

「はいウチでは醤油と味醂が同割、それに酒が三割。煮立ったら火を落としてザラメを加えて行きます。その量はタレ1000ccに対して200グラムです」

「それだけ判っていれば結構だ」

「ありがとうございます」

 香織はそう言って作業にかかった。

 バックヤードではすることが多い

「ぬか床も作っておけな」

 ツメ作りは時間は掛かるが、ずっと作業をしている訳ではない。吹きこぼれないように見ている時間が長いのだ。その間にぬか床を作るように命じる。これは生の糠を炒って、高濃度の塩水を入れる。全くの新品なら発酵を促す色々なものを入れるのだが、今回はネタのぬか床を前の店から持って来ていた。だから今日から作れば三日後には使えるようになり、プレオープンに間に合う。

「わかりました」

 香織は火に掛けた鍋を見ながらぬか床作りを始めた。俺はそれを横目で見ながら魚を降ろしている所に向かう。そこでは二人の板前が、刀みたいな長い歯の包丁で鮪を降ろしていた。

「どうだ?」

「はい、上物ですね。今日は柵取りはしなくて大きな塊のままにしておきます。明日か当日の朝に柵取りします」

 二人の板前はそう言って嬉しそうな表情をした。バックヤードに戻ると香織が

「どうして鮪を降ろしてる二人は嬉しそうな表情を見せたのですか?」

 そんなことを俺に訊いて来た。まさか……このバックヤードからは二人が降ろしてる場所は直接は見えないはずだった。

「覗き見していたのか?」

 それしか考えられなかった。だが香織は

「いいえ、この店のモニターの画像は私の補助の量子PCと繋がっていますから、私が何処に居ようと店の情報は手に取るように理解出来ます」

 そうか、そんな事も説明された気がしたが眼の前の香織の姿が人そのままなので忘れていたのだ。

「良い食材を扱えるならそれは職人としての喜びだ。そのうち判る。それにしても怖いな」

 そうつぶやくと、香織は

「私は怖くありません。それは躰は強化された義体ですから普通の人間よりタフですし、重い物も運ぶことが出来ます。熱にも強いですし、寒さにも強いです」

 まあ、それは判っていたことだが、ここで疑問が生じた。

「君は食べ物は食べられないのだろう? エネルギーはどうしてるのだい」

 肺と脳以外は義体化されているのだ。何をエネルギーにしているのか三田博士に聞き忘れた。

「はい食べ物は一応人と同じように食べることは出来ます。でも消化される訳ではありませんから、あとで捨てます。それからエネルギーですが、基本は小型の核融合装置が入っています。その他にバッテリーによる電気エネルギーですね」

「つまり充電するのか]

「はいそのため、四十八時間ごごとに充電しなくてはなりません」

「充電が切れると?」

「義体が動かなくなります」

「脳は?」

「それは核融合装置で動いていますから大丈夫です。肺機能が止まらないようになっています。実は脳が一番エネルギーと酸素を使うのです。脳が使うエネルギーの量に比べれば、義体が使うエネルギーの量は問題になりません。三田博士によると次の義体では完全に核融合装置だけで動くようになると仰っていました。勿論脳には酸素が必要です。私は肺は元々ですが、将来は人工的な装置も考えられているそうです」

 説明されて理解は出来たが納得は出来ていなかった。それにしても核融合なんて完成していたのかと驚く。

「じゃあ住んでいるのは、あの研究所なのか?」

「今のところはそうです。慣れたら充電装置を持って住める部屋を探す事になっています。そうなれば研究所には定期点検以外に行かなくても良くなります」

 それを聞いて香織の給料がどうなっているのか気になった。

「給料は?」

「今の所はこれを渡されています」

 ポケットから取り出したのは、世界的な大手のカード会社が発行しているゴールドカードだった。確かこれは無制限に使えるので有名だった。

「それは凄いな」

「でも使い道が今のところありません」

 それを聞いて今度はこのカードを使わせてやろうかと悪い考えが浮かんだ。

「今度そのカードで君の歓迎会をやろうか」

 勿論冗談なのだが香織は

「私が建て替えておいて、あとで割前を取るのですね」

 そんな事を言って俺を呆れさせた。それを見て香織は

「だってそんな言い方が私のデーターベースにありました」

 そう言って少し困った表情の香織は今までより少し魅力的に感じた。それにしても、そのデーターベースを作った奴は落語通なのだと思った。そんなことを言っている間に香織は俺の指示した作業を全て終えていた。やはり只者では無いのだと強く感じたのだった。

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