第3話 秘密

着替えて、店長の甘利と共に表に出るとタクシーを拾う。乗り込むと甘利が

「橘町の林田第二ビルまで」

 そう告げた。俺の記憶が確かなら、そこは本社の入っているビルのはずだった。

「本社に行くのですか?」

 俺の質問に甘利は

「本社である人に会ってその人と一緒にある場所に向かいます」

 随分と手の込んだやり方だと思った。更に甘利は

「これから見聞きする事は絶対に口外無用です。向こうで誓約書に署名と拇印を押して貰います」

「言うなと言われりゃ、いいませんよ」

「鉛を流しこまれてもですか?」

「それ落語でしょ」

 甘利が落語好きとは思わなかった。もっとガチガチの仕事人間だと思っていたからだ。

 そんな事を考えていたら、タクシーは本社の入っているビルの前で停まった。甘利がチケットを渡して降りる。俺もそれに続く。甘利がスマホで誰かと連絡を取った。

「今、本社の前です。はい……判りました。そちらに向かいます」

 甘利は通話を切ると俺に

「地下駐車場で酉井専務が待っています」

 酉井専務だと。創業時から社長とコンビを組んで、取るに足らない居酒屋だった店を、日本有数の飲食チェーンに育てた人物だ。次期社長は間違いないとも言われている。

「酉井専務とは……これはどのような事ですか?」

「それも含めて今夜判ると思います。実は私も全容は知らないのですよ」

 つまりトップシークレットという事か

「今夜、これからですか?」

「そうです。楽しみでしょう。私は楽しみです」

 恐らく甘利は現場の管理の範囲で知らされているのだろう。俺は今は全く知らない。俺達はビルの横にある駐車場の入り口から地下に降りて行った。地下一階の駐車場に降りると、高級乗用車がヘッドランプを下向きにして静かに近づいて来て二人の前で停まった。後席のウインドーが降りると、そこには頭に白いものが目立って来た酉井専務の顔があった。酉井専務とは前に移動の辞令を大勢の社員と一緒に受けた時以来だった。

「乗ってくれ。すまないが高梨くんは前に乗ってくれないか」

 言われた通り、甘利が後ろの席。俺が助手席に座る。

「中央研究所にやってくれ」

 運転手に行き先を告げると

「かしこまりました」

 そう返事をして静かに車は走り出した。酉井専務は

「急なことですまなかったな。正直、もう少し上手く行くと考えていたのだがな」

 そう言って今日の店の事を口にした

「店で起きた事をご存知なのですか?」

 俺は驚いて専務に尋ねると

「ああ、今度の店は実験店だから、店にカメラを幾つか置いてあるんだ。それで様子が判った次第だ」

 今日の店の事で問題になるようなことは珠姫香織の事だけだろう。他は何も問題は無かったはずだった。

「やはり珠姫香織のことですか?」

 後ろを振り向きながら専務に直接尋ねると

「ここでは言えない。向こうに着いたら全て話す。甘利君もそれで良いな」

 専務に言われて甘利も

「はい、それで結構です」

 前を見ながらそう返事をした。車は夕暮れの首都高に入って行った。帰宅時間なのでかなり混んでいるのかと思ったら、そうでも無かった。やがて車は湾岸の街に降りて行った。

 新しく出来た湾岸地区の一角に、この会社の中央研究所がある。単なる食い物屋が研究所とは悪い冗談かと思ったら、ここでは色々な食材をメニューに加えられないか研究してるそうだ。

 車は玄関に横付けされた。甘利がすぐさま降りて反対側のドアを開けた。俺はそのまま助手席のドアを自分で開ける。

「ついてきたまえ」

 専務が先頭に立って歩いて行く。受付の者も一礼する。ビル自体はそれほど大きくは無いが他のビルと違うのは他のビルより窓が少ない事だろう。

 専務は突き当りのエレベータに着くと、下に降りるボタンを押した。

「地下研究室ですか……」

 甘利が覚悟を決めたような口ぶりで呟く。

「地下だと何かあるのですか?」

 俺は単純な質問をすると専務が

「地上の部分は通常のメニューの研究。地下は秘密扱いの研究という事だ」

 ほう。ウチの会社にそんな秘密に研究する事なぞあったのかと少し驚く。それを見透かしたように専務が

「まあ、落ち着いていられるのは、今だけだ。地下に降りると肝を潰すぞ」

 そう言って薄笑いを浮かべた。正直、嘘とは思えなかった。

 エレベータの扉が開き専務を先頭に、俺、そして甘利が乗り込んだ。専務はB3のボタンを押した。

「地下三階もあるのですか」

 俺はこの建物が地下三階もあるとは思わなかった。扉が閉まってエレベータが動き出した。エレベータの速度が遅いのか、地中深いのか、思ったより時間が掛かった。やがて停まって扉が開いた。そして現れた光景に俺は驚くのみだった。

「これは……」

 何処をどう見ても食い物屋の研究施設には見えなかった。そこには色々な計器が付いた機械が並び、数え切れないコンピューターが並んで人が作業をしていた。

 奥の方では工作機械みたいなものもあった。その作業をしている人の間をロボットが書類を持って走行していた。これはどう見ても機械メーカーのそれだと思った。

「こっちだ」

 専務は更に奥に進む。甘利もここは初めてなのだろう、驚きの表情が俺と同じだと思った。そして突き当りのドアを開ける。

「ここから先は機密室になってるから、これを着てくれ」

 そこに用意されたのはスーツの上からでも着られる機密服だった。

「荷物はここに置いておくように」

俺も甘利も手ぶらだったが一応スマホは置いた。そしてエアシャワーの通路を抜けると出迎えの人物が出てきた

「酉井専務。わざわざ申し訳ありません」

「紹介しよう。この研究所の責任者の三田次郎博士だ。人工知能の世界的なエキスパートだ。ロボット工学の権威でもある」

「高鷲店の店長の甘利です」

「同じく調理責任者の高梨です」

 自己紹介をすると

「三田です。まあ、お座りください」

 俺を含め三人は目の前のテーブルにセットされた椅子に腰掛けた。そこには一枚の紙が置かれていた。それは機密を守るという文言が書かれた誓約書だった。

「申し訳ありませんが、その書類に記名捺印してください。捺印は拇印で結構です」

 言われた通に備え付けのボールペンで名前を書き、親指の先に朱肉をつけて捺印した。

 すると天井からスクリーンが降りて来て、映像が流れ始めた。

「最初はこの動画をご覧ください」

 流れ始めたのは単純作業をする色々な産業ロボットの話だった。十五分ほどの映像が終わると三田博士は

「今や産業ロボットは産業に欠かせないものになって来ています。でも第三次産業ではまだまだです。裏方の仕事をこなすものは出て来ましたが、接客やお客様と直接触れる部門では、未だ始まったばかりです。そこで我社は国際的なプロジェクトに参加してこの分野の研究を始めました。長い間の研究やアドバイス等も貰い、やっと試作品が完成しました」

 三田博士の説明に俺は

「では簡単に言えば我々の職場で使える産業用ロボットが出来たという事ですか?」

 俺は単刀直入に訪ねた。

「そうです。未だ試作品ですが試してみないと成果が判りませんからね」

 まさか……俺はこの時、とんでもない事を想像した。そう、まさかあの珠姫香織がロボットだっただと!?」

「いや、少し違うんだ」

 俺の横で甘利が口を挟んだ。それを耳にしてホットした自分が居た。そうだろう幾ら何だって彼女がロボットの訳が無いと思った。彼女はどう見ても人間に見えたからだ。

「少し違うって?」

 俺の質問に答えてくれたのは三田博士だった。

「試作品のロボットが出来たのは事実ですが、彼女、珠姫香織くんはロボットではありません。この場合、ロボットというよりアンドロイドと言い換えるべきですがね。彼女はアンドロイドでは無いのです。我々の究極の目的は人と同じように職場で活躍出来るアンドロイドの作成ですが、そこまでは進んでいません。試作品はもっと産業用ですよ」

「では彼女は通常の人間なのですか?」

 俺の質問に三田博士は

「実は、彼女は酷い事故に会いましてね。救急車で運ばれましたが通常ではもう助からない状態でした。彼女は元々我社の社員でしてね。有望な人材でした。このままでは一生寝たきりか良くて車椅子生活になってしまう。そこで御両親と本人の同意の元、躰で駄目になってしまったを部分的に人工のものに置き換えたのです」

 それって、サイボーグではないのだろうか。今の技術で見た目がそっくりな物に置き換えるなぞ、そんなことが出来る訳がないと思った。

「お疑いですね。まあ仕方ありません。でもね。今の最先端の技術はあなたの想像の先を行っています。アンドロイドは見た目だけなら本物と区別がつかないものも作れる時代なのです」

「では、その最先端の技術で彼女は普通の躰になれたという訳ですか?」

「まあ結果だけなら、そうでしょう。でも簡単には行きませんでした。このプロジェクトは世界的な研究でしてね。国家や民族を超えて研究した成果でもあります。それをこれから詳しく説明致しましょう」

 三田博士はそう言って新しい動画を映し始めた。

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