第3話 秋が来る前に
高校二年生の九月の初めに、わたしは早苗さんと共に祖母の道案内で山に入った。ほかに、供物をささげるために祖母の顔なじみの猟師を何人か連れている。この人たちも代々しろかみ様の信者で、ある程度儀式の手順を知っている。余分に踏み込んで邪魔することはないし、邪魔する人が現れても多少は止めてくれるだろう。
九月に入ったといっても一週間もたっていない。森で直射日光は避けられるといっても、涼しいのは朝早くだけだった。途中で猟師さんが捧げるための動物をとってくるまで待つ間、とにかく暑い。二リットル入るというでっかい水筒も簡単に半分以上飲み干してしまった。
途中で昔の林業の作業場の跡地で休んだ。猟師の人を待つ。真冬以外なら生きられる感じの管理小屋があるのだ。今でも時々、山の整備にくる人が使っているので電気用のバッテリーと水道があり、薪があれば煮炊きして食事がとれる。今日は関係ないけど、例えば夜でも動物や虫に狙われずに済み、安心だ。
距離自体は遠くないが、道の無い、土や草や木の根っこや石の上を歩くのは思った以上に疲れた。わたしは小屋のソファでゴロンと転がった。道のりはあと三割くらいだという。測ったりしたことはないだろうし信用できない。
昼を適当に食べ、ひと眠りしたあとで何となく外に出ると、たーん、と遠くで銃声が響いた。二人に銃声のことを知らせると、出発することになった。
捧げるための大きな岩のところは少し手前から完全に森に埋もれていた。まず岩を確認し、覆っているツタや周りの草を刈ってきれいにした。
そのうちに猟師が二人がかりでシカを吊って持ってきた。猟師たちが何か確認した後、綺麗に整えた岩に持ってきたロープでシカを結び付けた。さすがにそのままだと傷んでしまうので、あらかじめ道中で集めておいた香りのいい葉を焚く。虫よけにもなる。
陰になっているのでそのまま動かずに時間を待つことにした。祖母は疲れた疲れたといって笑っていた。そろそろ年かねえ、なんて言っていた。動くのは日が沈んでからだ。猟師たちだけが、二人ずつ入れ替わりながらさっきの葉っぱと薪を集めていた。猟師たちはここで一晩を過ごしてから下山するわけだ。
完全に日が落ちてから、わたしと早苗さんは祖母に案内されて山の裂け目へ向かった。思っていたより大きく、奥深くまで続いていそうな裂け目だった。二人で服を脱いで小枝とともに置き、火をつける。そして下着のような白い浴衣のようなものに着替え、その上から舞の小物だけ身に着けていく。
舞を踊り、祖母が謡う。三周めの舞が終わると、裂け目から何か声がした。祖母が舞の唄をやめ、お詫びのようなことを言いながら土下座した。
裂け目から、本当に白い人が出てきた。一人だった。何となくその人は大人だなと思った。祖母は立ち上がるとわたしの肩に手を置いて、その人へ何か言った。すると、白い人は裂け目の中に一度戻っていき、別の人を連れて二人で出てきた。
「おまえが、あのときの巫女の子か」
先に出てきた方の人の声は深く、低かった。わたしが頷くと、後から来た人がわたしの名前を呼んだ。わたしは思わずそちらの人と目を合わせた。他の人は黄色い目をしていたがその人の目は緑がかった色をしていて、人間の目に近い様子だった。
「本当にみのりなんだね。あいたかった。」
その白い人は、わたしが会いたかったあの時の少年だった。実は、少年の顔には目立つあざがあった。その人には同じ位置に同じようにあざがあり、他にも少年の特徴がそのままだった。わたしが再会を喜んでおしゃべりを始めると、早苗さんと祖母は最初に出てきた人と話し込んでいた。事情説明とか色々済ませてくれた。祖母は戻っていき、最初の人は丁寧にお辞儀をして裂け目の奥へ去っていった。
わたしたちは夜を過ごした。もちろん早苗さんは大人であるが、意外なことにお付き合いを持ったことがないという。今日の為に近づく者はすべてお断りしてきた、ときっぱり言い放つところに、女性だけど男気というかカッコよさを感じた。わたしもあの時の少年と一緒になる事しか考えてなかったことを改めて語った。これまでに記録してないこともいっぱい話した。この人……シラユキという女性みたいな名前の白い人は、自分のことやほかのひとたちについて教えてくれた。彼は母があの時産んだ者とここの白い人との間に生まれた。
「じゃあ、わたしは貴方のおばさんになっちゃう」
思わず言うと、シラユキはきょとんとしていて、彼の向こうにいる早苗さんがおなかを抱えて笑った。早苗さんが人間の血縁関係の話をするとシラユキはわぁ、と素直に驚いて、ふむふむと頷いた。
それが何故だかわからないけど、おかしいと思ってしまい、二人で笑い転げた。シラユキも一緒になって笑った。白い人は誰か個人の子というのはあまり気にしない。巫女に子を産んでもらうと決まっている人以外は記録もないそうだ。
何日たっただろう。わたしはある朝寝返りを打つと何かを触った。シラユキがおかしくなったかと思うくらいに飛び跳ねて、それでその触ったものの正体がわたしたちの子なのだと知った。ぶっちゃけ灰色の蛇から短い人間の腕が出ているようにしか見えない。早苗さんの子はみんな見た目が完全に蛇なので気づかなかった。
一晩ゆっくり休んで、わたしたちは裂け目を離れた。なぜか、シラユキも一緒だった。シラユキが道を知っていたというか、道の無いところをずんずん進んでいった。あの岩のところに寄り道してもらったけどシカもないし誰もいなかった。
山を下りるときに、気を付けて祖母の家の方へ下りた。祖母の家を訪ねると、応対した祖母が早く入るようにと急かした。わたしと早苗さんの後ろにいたシラユキが入ると祖母は泣き出してしまった。シラユキが一生懸命頭をなでてなだめていた。
わたしは身支度をして家へ帰された。母とは先日の早苗さん以上のケンカをした。叩いたり殴ったりはしなかったけど、反論しながら掴みかかってめちゃくちゃにゆすぶった。
突然玄関のチャイムが鳴り、父が応対した。そのせいで即、喧嘩は終了した。双方の叫び声が酷くて、近所の人に私が虐待されていると通報されてしまっていた。そのまま二人で救急車で病院に運ばれてしまい、翌日の朝退院した。
帰った日の午後の授業から、何食わぬ顔で高校へ通った。早苗さんは調査旅行の一環なのでレポートさえまともに通れば単位がもらえるのだと言っていた。彼女はそのまま祖母の家にシラユキと共にしばらく滞在してから帰ることになった。
シラユキはそのまま祖母の家に住んで、その結果養子として戸籍が出来てしまった。凄い。甥っ子(?)が叔父さんになってしまった。これは母には黙っている。
人に近い体をしていれば服装でごまかして集落から出なければ分からないからいいという判断らしい。人間に近い見た目ならこれで集落に住めるかどうかという実験も兼ねている。
* * * * *
高校を卒業した後、わたしは祖母の家から大学に通った。早苗さんは助教授になっていて、教授のゼミの手助けをしていた。そのコネで私もそのゼミに入った。これまでの体験を私の視点から、オカルトなところは伏せて記録して、それが教授の研究の資料になった。
わたしは大学院をやめるまでの間、教授や早苗さんの研究の仲間として協力しながら、祖母の家で暮らしていた。森の中の、祖母の土地に白い人とわたしたちが会いやすいように小屋というには少し広い建物を作った。わたしは頻繁に白い人たちと何人も会い、記録を付けている。彼らの歴史や伝承を調べるのが私の今の仕事だ。
白い人たちはわたしが伝承から『シロカミ族』と名付け、論文などに使われる正式な名称となった。相手側も知っている。集落ではそのままシロカミ様と呼ばれている。シロカミ族自体も、彼らが崇拝する神と彼らの先祖から生まれた子孫、と時々人間が混ざった子孫である。
もともとの『神』は世界各地に崇拝の痕跡が見られ、同様の子孫の一族がいくつも存在する。例えば、アメリカでは主に中南米の一族についての研究が進められている。その『神』の子孫は人間と敵対するか徹底的に避ける種族が多いので、シロカミ族は貴重な情報源として期待されているようだ。
シロカミ族は、秋口に空腹になり、必要な食糧が多めになる。儀式が秋になる前なのも、空腹で狂暴になって村人を喰われないためというのもある。
戦国時代くらいまでは、山で亡くなった人をたべたり、信仰によって捧げられた人を生きたまま喰らったりしていた。さすがに、戸籍制度などが整備され行方不明が出れば警察などにしっかりと捜索されてしまうようになると、その生活を続けるのは無理だ。
そこで、例大祭のごちそうが考え出された。戦時中などはさすがに人間にすらいきわたらない状況だった。そういうときは昆虫や一部の植物など人間が食べられないもので自分たちが食べられるものを開拓していったそうだ。
こちらに残る伝承のもととなった要素に関しても聞いた。例えば、蛇を殺さないというのは、単に自分たちが蛇に近いからという以上に、元となる『神』の怒りを買う行為であるからだ。さすがに、元の神様を怒らせたら村はまさに神話のように土石流で埋まるのではないかとシロカミ族の年長者たちは話していた。
そういえば、何百年も昔には巫女は妊娠状態にしてから村に返していたので、産んだ子が人から離れていると死亡率が高くなってしまっていたけどシロカミ側では理由を把握しても理解してなかったとかむなしい話を聞いてしまい、何か考えたほうがいいなあと早苗さんと話したことがあった。
「私たちみたいに平気なのが珍しいというかほぼ居ないとしてしくみを作った方がいい」
早苗さんは断言してたし私も思う。人間は人間に近いカタチの異形を怖がるものなのだ。
わたしが大学院をやめ仕事に専念することに決めた頃、早苗さんとシラユキが結婚した。さらに、早苗さんの弟が白蛇神社の新しい神職になった。わたしと結婚して、神社にある家でわたしと祖母、シラユキと共に暮らしている。
わたしは新しい家族が大好きだ。百歳近くになっても元気いっぱいの祖母、世界中を飛び回る頼もしい義姉(叔母)と穏やかだけどしっかりした夫、仕事上でも個人的にも充実した付き合いを続けているシラユキたち。
生まれたばかりの娘が小学生になったら、一度、わたしの両親に会いにアメリカまで行こうと思っている。
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