第2話 春の探し物

 その後すぐ、わたしは母によって帰宅させられた。祖母の家に残した荷物は後から送られてきた。それ以来わたしは二度と祖母の家に連れて行かないと宣言されてしまった。


 それが破られたのは、私が高校一年の夏に曾祖母が亡くなったことによる。母は、自分や娘があの旧村へ行くことがとにかく嫌だった。しかし、父の仕事の都合がつかず、仕方なくわたしを伴って出席することを決めた。あんなに嫌がっていたのに、と思っていたが、一人で行くよりはマシだと車中で教えてくれた。




 葬儀は本家で行われたので、最初は祖母の家でなくそちらに泊まった。祖母も泊まり込んでいた。知ってる人より知らない人が多い。そもそも祖母と曾祖母以外の母方の親戚を、この本家の主である祖父とその長男夫婦しか顔や名前を知らなかった。

 来ていたのは、祖母の一番上と下の弟と、その子供&孫だけだった。しかも、全員男。私には居心地が悪かった。小さいうちなら一緒に遊べたりするだろうけど、さすがに高校生が同世代以上の男性と時間をつぶすのは難しい。

 いっそ手伝いでもしようと思ったが、なぜかわたしには手伝わせてくれない。曾祖母の友人の子や孫だといういくつかの一家がぜんぶやっていた。手伝わなくてもいいというより、明らかに触っちゃいけない雰囲気を感じたので、おとなしくしていた。


 祖母の休憩がてら、わたしは一度祖母の家へ移動した。二人きりだったので、わたしは母について話を聞きたいといった。


 祖母によると、母が嫌っているのは旧村というよりも、この集落と白蛇神社だけのようだった。母は幼いころから、蛇が嫌いなのにどうして自分には蛇が寄ってくるのだろうという恐怖があったようだ。


 そもそも父と一緒になったのも、父も爬虫類などが嫌いかつ、二人でキャンプしてた時に処理したことがあって、母に何かあっても助けてくれるからだという。母が初めて父を連れてきたときにそのように父を紹介したらしい。

 わたしが祖母の家に預けられたときに父が居なかったのも、仕事の都合以外に、わたしのそばに白い蛇が現れたときに、殺してしまうことを恐れた祖母が、連れてこないように言ったからだったのだ。


 決定的だったのは、母が例大祭の巫女に選ばれ、そこそこ大きな蛇が視界に入って殺したりはしなかったものの大暴れしてしまったことだ。母は当時高校三年生で、既に父と交際していた。母は何も言わなかったが、曾祖母の恐ろしい追及によって父が後で話したところによると、例大祭でも舞が終わってすぐ、そのまま神社から逃げた母を拾って父は町を離れ、当時の実家に母を連れ帰って関係を持ったという。


 曾祖母が父に対し具体的に何をしたか、祖母は話さなかった。わたしは聞こうとも思えなかった。とにかく、連絡先も知らない父の家を数日で見つけ出し、ほとんど無理やり二人を連れ戻して改めて話を聞いたとき、祖母はうろたえ、曾祖母は二人をげんこつで殴った。


「ただの行事だろ」


 母はそういったらしい。わたしも思うというか思っていた。


 だが、祖母たちにとっては違った。

 曾祖母は熱心なしろかみ様信者だったというのもあるが、記録が正しければ、わたしたちこそ、しろかみ様の巫女の母系の子孫だから、嫁入りの儀式を済ませる前に体をけがすなどあってはならないことだ、と祖母は全身を震わせながら語った。そして、おとなしく話を聞いているわたしにも念を押した。


「みのり、お前もまだ、体をけがすようなことはしていないね?」


 もちろん、とわたしは答えた。彼氏持ちだった母と違い、わたしは彼氏ナシだったのだから当然と言えば当然だ。そして、これまでのしろかみ様ヲタクっぷりを話した。祖母は驚いた顔で聞いていたが、わたしが話を終えるとうんうんと嬉しそうに頷いた。


「頼みがある。今年の舞は、みのりに踊ってほしいんだよ。『足』のことは心配しなくていい。迎えに行かせる。」


 わたしは力強くうなずいた。祖母はここにいる間、二人の時に、我が家につたわることを出来る限り教えてくれることを約束してくれた。

 祖母に了解を得て、あのイベントで出会った早苗さんたちと連絡を取った。記録もばっちりとれることになったし、『足』のことも協力してくれることになった。村の人だと母に顔が割れているし、早苗さんたちなら、例えばオープンキャンバスで仲良くなったって話せばいい。

 



 帰る日まで、どころか帰ってからも、メンバーの協力でわたしと祖母はたくさん話をし、記録を残した。時には早苗さんを交えて話した。記録できないようなことも、話した。


●現在の神社の神職などは、巫女の父方の子孫(父親をたどると巫女の息子につながる)と、のちの時代に派遣された神職の子孫がごっちゃになっていて、江戸時代辺りで既に血統としては存在しないようなもの。

 現在の神社のご神体は、明治ぐらいの頃に当時の村出身の彫刻家が自然の岩石を彫ってつくった、岩に巻き付く大蛇の像。外観は、近くの市の水の神様や、有名な諏訪大社など、習合した他の蛇の神様の影響が大きい。


 なので、もっとも古くからしろかみ様を信仰していた一部の人々=祖母や近所の人々の祖先は記録に基づく巫女を信頼し、また子孫に伝えていった。

 他の神をまつっていけないとは言われていないが、今も信仰が厚い家は例大祭などの行事以外で神社に参ることをしない。


●巫女の舞は、もともとは毎年ではなかった。特別な暦で決められ、短くても十数年おきに行われていた。本来は、巫女は祠の前で一人で踊り、朝までそこで一人きりで過ごさなければいけなかった。江戸時代のあいだに、舞だけ毎年の見せ物になり、祠の前で過ごすことはなくなった。

 熱心な信者の家の人は、暦が合致する年に選ばれると自主的に祠に行っていたが、病気や動物などで死者が出たことがあるのと、法律で不法侵入になってしまうので表向きは禁止になった。曾祖母はそれでも祠までたどり着いて完遂した。


 儀式を完遂した巫女は、まれにしろかみ様に会えるらしい。おそらく、子孫の女は巫女になり男はしろかみ様の化身みたいな役割を負うのだろう。わたしが出会ったあの少年は子孫の一人かもしれない。曾祖母もそれらしい人と祠で出会い、『しろかみ様の子』を産んだという。わたしが準備をして祠へ向かえば、あの少年が成長した姿に会えるかもしれない。


●なぜ昔の儀式では巫女が祠の前で一晩過ごすことになっていたのか。それは、しろかみ様の一族が山奥で暮らしているからだとされている。人に近い姿になって現れるよりももっと元の神に近い姿で過ごし、その力を巫女に分け与えるためである。


 力を分け与えられた巫女は、しろかみ様の一族の子と普通の人間の子を産んで信仰を支えていく。巫女の血筋を引くかしろかみ様を強く信仰する者でなければ巫女とむすばれることはできない。そうてない者と契ると巫女の資格を失い、巫女の一族から追い出される。なので、子供についての記録が古くから結構細かく残っている。

 集落の中で三軒ほど、巫女の一族として信じられている家があり、そのうちの一つが曾祖母の『本家』である。



* * * *


 集落に滞在している間に、何日も連続で夢を見た。


 わたしは幼い姿で、山の中の草を踏みつけたわだちを歩いている。最初は自動車のタイヤの跡だとわかる幅の広いわだちで、どんどん、倒れている草の幅が細くなっていき、最後にわだちはなくなって、そこだけ草丈が低めなだけになった。低めと言っても、幼いわたしの腰や胸のあたりまである。それ以外は木々で見通せなかった。

 夢の中のわたしは必至で草をかき分けて進んでいた。そして、急にひらけた場所に出ると、そこにあの白い少年が居て、手招きしていた。近づくと、記憶の中の少年の姿より、少し成長しているようだったが、夢の中のわたしは何も思わないで平然と話をして、手をつないでいた。


 日を追うごとに、夢の中のわたしと少年は成長し、草は低くなっていった。一週間後の夢で、当時のわたしと同じになった。十日目の夢の中のわたしは青年となった彼に、もう十五歳になるんだと話していた。最後の夢のわたしは振袖を着て成人式の話をしていた。

 



 夢を見なくなって数日後。四十九日を終えてわたしは帰る日が来た。迎えに来た両親は冷たい顔をしていた。祖母は気づいているだろうに、やわらかな笑顔で、少なくともこちらから見えなくなるまで見送ってくれた。


 車内では両親もわたしもしばらく無言だった。途中で昼食をとって車に戻った時、しーんとした車内に突然着信音が鳴った。わたしが借りたガラケーだった。


 ヤバイと思ったが、わたしはそのガラケーを手にした。早苗さんからの電話だった。わたしが名乗ると、ぶつ、と音がして


『あの子は、おまえにも我がままをいうんだね』


と少し低い声が聞こえた。祖母だった。助手席の母の肩がびくりと動いたような気がした。



『あの子は……おまえの母親は、しろかみ様への約束を破った。私はもうだめだと思った。だけどみのり、お間にはしろかみ様がついてくださった。それにお前もあんなにしろかみ様を大切に想ってくれておる。話を聞いて、私は安心した。


 でも、あの子にも話す機会を与えなければならないだろうとも思った。そうしなければ、きっとあの子は邪魔をするだろう。

 よくない話も全て聞いたうえで出した答えなら、あの子もお前の邪魔をする理由はなくなると、早苗さんは提案した。もしよければ、これから私たちだけで話せる場所を用意してくださると言っている。』


 母は早苗さんの提案を受け入れた。早苗さんが指定した、親戚の家だというお宅までそのまま向かうことになった。




 指定された一軒の家に着くと、先に着いていた早苗さんがいた。案内された部屋に、早苗さんとわたしと母と祖母が入った。父は帰された。


 その家の夫婦の足音が遠ざかると、早苗さんが改めて自己紹介をし、さらに、自分はわたしたちとは別の『本家』の子孫で、先祖の中の誰かが追い出されて始まる一族なのだと話し、古い家系図を見せた。

 その最初の女性は巫女から追い出されたことでしろかみ様を信仰する者たちからだけ迫害を受け、村を出たこと。夫となった男性は妻が死んだ年に村に起きた禍いの報いとして、人々の呪いを受け大蛇によって殺されたことを伝えた。


 ふと見ると、壁の装飾にある鏡に映るわたしの顔はかなり恐怖を感じているようだった。それを母も見た。

 母は私と祖母と、早苗さんの目を順番に見て、それから話し始めた。今までに聞いたことのない、泣き出しそうな、でもとてつもなく怒りを感じる話し方だった。




 母は、連れ戻されたあと、真夜中に父と共に山奥へ連れていかれた。『本家』の裏口から山へ入り、細い石段を登り、砂利道を歩かされた。実際の時間は分からないが、何時間も連れまわされているように感じたという。道の無い木々の間を進み、途中で不自然に小さくひらけた場所があった。そこしか空は見えないくらいに森が茂っていた。


 その場所には大きな岩があり、岩の上に、曾祖母が目隠しした父を乗せて固定した。さらに母と曾祖母だけ進むと、山肌に裂け目があり、その入口に明らかに人が火を焚いた跡があった。曾祖母は母に衣服を下着まですべて脱いでその焚火跡で燃やすように言った。母が火をつけると、山の裂け目から白い人が出てきた。曾祖母は手を合わせ、うやうやしく拝み、それから頭をぶつける勢いで土下座して何度も儀式の不備を謝った。


 白い人は簡素な着物で、足は何も履いていなかった。腕が余分に長く、手の指先と足のくるぶし辺りまでがうろこに覆われていた。白い人は簡単に言えばしろかみ様の一族であり、明らかに人と人でない者との子供だった。


 白い人は曾祖母に近づくと、耳元に何か話しかけた。曾祖母は泣き出し、ありがとうございます、と叫びながらまた土下座のまま何度も頭を下げ、素早く立ち上がって去っていった。


 次に母に近づき、腕をつかんで引き寄せた。そして、母が恐怖のあまりうごけなくなっていて逃げないことを見て取ると、着物を脱いだ。




 母はそのまま眠っていて、朝日の刺激で目覚めた。白い人は裂け目の中からじっと母を見つめていた。母はそのまま数日その焚火のそばで暮らし、白い人に似た何かを産んだ。白い人は何人かいて、母が何かを産むまで夜毎に求めた。


「……私は信じなかったんじゃない。信じざるを得なかったから、あんたをあいつらから遠ざけたかった。

 だって、帰されるとき、あいつは私に『おまえの娘を必ずよこせ。さもなくば奴を殺して食う』と言ったのよ。

 お父さんのつてで海外に逃げることも考えた。でも、お父さんはいけにえにされたことをショックで忘れ去ってしまっていて、後から何を言っても信じてくれなかったの。他の人に話したってどうせ知らなかった頃の私みたいに信じない。どうしようもなかった。」


 母は泣いていた。早苗さんと私も顔が真っ赤だった。


「あんたも、あのときの私と同じようにされるのよ。そのための儀式なんてしたくないに決まってるじゃない。あいつらや化け物なんかどうなったっていい!家族のほうが大切よ!」


 母は泣き崩れた。寄り添った早苗さんの表情は、既に落ち着きを取り戻していた。祖母は変わらず冷静にたたずんでいた。


「申し訳ありませんが、呪いは、あります。」


 早苗さんが低い声で言い始めた。


「あなたの過ちと、私が一族の役目に気付くのに遅れたために、儀式が足りない可能性があります。公にはされていませんが、ここ数年に何人か、彼らの『罰』だと疑われる事例の記録があります。

 しかし、まだ若いみのりさん一人ではあちらも満たされないかもしれません。私も同行します。」


 母は早苗さんと口論……というより殴る蹴るを交えた子供同士のような取っ組み合いの喧嘩になった。途中で飲み物と茶菓子を差し入れてくれた夫婦は二人をスルーしていった。




 わたしが高校二年の夏に、二人でその山の裂け目へ向かうことになった。

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