山の奥には「誰か」がいる
朝宮ひとみ
第1話 夏の思い出
わたしは、夏休みに祖母の家に行くのが好きだった。と言っても、数回しか行ったことがない。祖母の娘である母が、自分の実家へ行くのを好まなかったからだ。
父の実家はそうでないけど、母の実家は、平成の大合併で隣の町村と合併するまで数百人に満たないほどの小さな村だった田舎にある。山奥で、冬はとんでもなく寒いけど、夏は涼しいどころか朝方は寒いくらいの標高が高いところだ。
綺麗な小川や、多様な木々に覆われた豊かな山は、虫や魚を取って遊ぶには絶好の場所だと思うし、実際虫取りに来ている人や、山の小川でサワガニとりをする人を見たことがあった。
勾配が少しきつめの道で山を少し降りて、合併した旧隣村の方へ出れば、ローカル線の終端駅を中心にそこそこの商業施設もあるし、少し奥へ入ると大きな川があって、バンガローやテント用の芝生が整備された大きなキャンプ場がある。
山道の途中に大きな長い石組みの階段があり、上がると大きな神社がある。白蛇神社(しろへびじんじゃ)という名前だ。こんもりとした森に囲まれていて外からはあまり見えないような感じで、実際、蛇など色々動物が出るので勝手に森や山の方に入っていかないようにという立札やロープや柵があちらこちらにある。
階段の途中にひらけたところがあって、そこから見ると、山々に囲まれた集落の一部が見える。平成初期には既に紅葉や星空などの撮影スポットとして、隠れた名所と化していたようだ。
神社では八月に最も大きな祭り、いわゆる例大祭がある。よくある出見世やおみこしの他に、伝統的な行事がいくつかある。その一環で、料理や酒などがふるまわれ、村の外の人でも自由に食べることができる。欲張る人もいるが、この料理は一定以上食べきることが大事とのことで、悪いことをしたり、酔っぱらったりして粗相をしなければ誰もとがめたりしない。夜には巫女の舞があり、もっと遅い時間に神職が神社の奥で何か非公開で儀式をする。村ではこれが秋の始まりとされる。
昔は、例大祭の日取りは独特の古い暦で決めていた。昭和の途中から旧暦の八月十五日になり、平成の途中で生活スタイルの変化に合わせ、西暦の八月十七日になった。例大祭の料理や酒は、神社の主神である「しろかみ様」にたくさん食べてもらい、集まることで信仰を示し、力を与えるのが目的だ。そして、秋の豊作を願う。
そんな感じで、範囲を広げれば遊ぶところがいっぱいある。だけど、母は初めて行ったあとにわたしがどれだけねだっても、連れて行ってくれなかった。次に行けたのは、最初の時から何年か後に、父の実家へ出発したけど相手側に急に用事が出来てしまって行き先を変えざるを得なくなったときだけだ。
最初に行ったときは、なんでだったかは覚えてない。わたしが四、五歳の頃だった。母が七、八月のどこかで、わたしを祖母へおそらくひと月ほどの間預けていった。祖母の家は、山のすぐそばにあって、祖母と曾祖母が住んでいた。少し離れたところに大きな家「本家」があり、そこに祖父(祖母の配偶者)と長男夫婦が住んでいる。どちらも、重そうなかやぶき屋根を瓦などに変えてある以外は、いかにもな古ーい日本の田舎の広ーい家という風情の家屋だった。
わたしは、そのときの生活が好きだった。朝早く、と言っても六時くらいだが、家と違って起きたときにご飯が用意されていて、家族で揃って食べることができる。曾祖母が当時八〇歳くらいで、祖母が六〇歳だった。
テレビはあまり見せてもらえなかったけど、携帯ゲーム機やスマートフォンのゲームで遊ぶのをやめるようには言われなかった。それに、ふたりは積極的にわたしを何かに誘った。畑に連れて行って野菜の世話をさせてくれたり、絵本の読み聞かせをしてくれたり、時には本なしでお話ししてくれたりした。よくある昔話ももちろんだけど、村に伝わる古いお話や言い伝えを子供向けにしたものもあった。
とにかく当時のわたしより体力があるパワフルなおばあちゃんズだった。
父によると、わたしは祖母や曾祖母が聞かせる村の伝承がとくに気に入っていたように見えた。
家に帰ると誰もそれを話す人はない。山々から離れた町で生まれ育った父は村の言い伝えなど知らない。母は故郷のことを話したがらない。ネットで探しても三行くらいのあらすじしかない。
わざわざあちらの図書館に問い合わせて、色々あって分厚い民話集を父に買ってもらった。小学校中~高学年向けで難しいが、当時のわたしは頑張って読んだ。
勧善懲悪的な怖い話もあるし、村人がしろかみ様のためにと悪いことをしてしまい村の外に迷惑をかけてしまう話もある。江戸やもっとあとに作られた話もあるけど、昔から伝えられてきたとされた話が多い。集落が出来たばかりを描いた話もある。とても古い話の中には神社にだけ伝わっていて最近まで集落に知られていなかったものもある。
わたしが特に好きなのは、村の守り神であるしろかみ様の話だ。しろかみ様は神社の名前の通り、白い大きな蛇の姿をした神様だ。豊穣の神とされていて、作物が取れる時期の手前に、一番力が弱まる。人間でいえば、食事の前が一番お腹が減っているようなものだ。だから、例大祭は収穫の前にある。ときどき、普通の蛇の姿をして、こっそり村を回ったりすると言われている。間違って殺されそうになったり、殺されてしまって目の前で神様の姿に戻ってしまい目撃者が大混乱みたいなお話もある。
一番好きなのは、例大祭の夜の巫女の舞に関するお話しだ。巫女となって舞を踊る人には条件がある。
1.蛇を殺したことがないこと
2.子供を産める身体であること
3.清らかな身体であること
4.祭りの前日までの間に白い蛇を三度以上見たことがある人
この条件も、古いお話をなぞってできている。
しろかみ様は、村には今まで守り神がいなかったことに気付いて、村の守り神になろうと、大蛇の姿をして村人のまえに現れた。しかし、村人はずっと神様のいない生活をしていたので、しろかみ様のことを信じなかった。目の前で人間や他の動物などに姿を変えても信じてくれなかったので、どんどん力を使うだけになってしまい、弱っていってしまった。
しろかみ様はとうとう、小さな白い蛇の姿から変われなくなってしまった。力を得るには、人々から神として拝まれるか、人間や大きな動物を食べるか、他の神様に力を分けてもらうしかなかった。小さな蛇では、山をいくつも越えて他の神様に見つけてもらう前に力尽きてしまう。しろかみ様は困ってしまった。
川のそばでしろかみ様が悩んでいると、女性が一人、水浴びをしていた。そこに悪い人がきて、川岸に置いてあった服や持ち物を持ち去ろうとした。もちろん、女性は走って追いかけるわけにいかない。
とっさにしろかみ様が悪い人の足に絡みつき、かみついたので、悪い人はあきらめて逃げて行った。しろかみ様は女性にいきさつを話した。喋る蛇に驚いた女性だったが、話を聞いた彼女は、しろかみ様を家まで連れて帰り、いろんな意味で丁重にもてなした。
少しずつ力を取り戻したしろかみ様のおかげで、女性の家は飢饉や争いから守られ、そのお礼に女性はしろかみ様をまつる祠を立て、代々守っていくことを約束した。しろかみ様も約束のあかしとして、女性の子孫に力を分け与え、巫女とした。
女性の娘は、女性としろかみ様の子である小さな白い蛇に守られて育った。そして、信仰をまず周りの人に広めた。女性が飢饉や争いを逃れたさまを知っている、近くの人々がまず信仰するようになった。なかなか信仰を認めない者もいたが、しろかみ様や巫女の見せる奇跡をみて信じるようになったという。
やがて、人々の手で、小さな祠は大きくなり、現在の白蛇神社となったというお話である。なぜ特に好きなのかと言うと、まず、単純にわたしが幼い頃たった一回だけ見た巫女の舞や衣装にあこがれたからだ。次に、巫女がまるで王子様に守ってもらうお姫様みたいに見えたこと。しろかみ様は、いくつかの巫女関係の話だけ読むと、お姫様のピンチを颯爽と助ける王子様みたいだった。
わたしが村の伝承に、というかしろかみ様と巫女の話に次第にのめり込むようになるのを、母はもちろん嫌がっていた。わたしは買ってきた伝承の本は全部、鍵付きの引き出しに隠していた。最初に行ったときに図書館でコピーしてもらったのを大事に読んでいたが、数年後に部屋で母と言い争いになったときに、かっとなった母によって破られてしまったからだ。わたしは、小学三年生ぐらいで既に、中高生のように親への態度が酷いものになった。母とは仲が悪いまま。父とはケンカしないものの、私と母がケンカしていても見ていることすらせず、ただ時が過ぎるまで無視してやりすごすだけなのがウザかった。
中学校に上がると、わたしは完全にしろかみ様マニアだった。子供向けから大人向けまで、伝承の本を調べて買った。東京の古書店の通販を、いとこと協力してこっそり使った。市民会館の小さな即売会で、漫画版を見つけた。参加サークル数は十四で、しろかみ様関係の本を出しているのは三サークルで本は五種類あった。手持ちがあったので全種類を買った。
サークルの一つは、どこかの大学のゼミの研究の一環であの村の伝承を調べているという人たちだった。協力者を探すために出来る限り様々な催しものに参加したりビラを配ったりしているとのことだった。
わたしが、祖母がそこの出身だと話すと、彼らに連絡先を交換してくれと言われた。母のことを話し、連絡手段がないに等しいことを告げた。その中のリーダーの早苗(さなえ)さんという女性が、何かあったら相談してねと励ましてくれた。メンバーの一人が、連絡先を入れたガラケーをこっそり貸してくれた。
わたしは、神社の家に嫁いで、しろかみ様の子孫になることをいつの間にか夢見ていた。初潮を迎えたときは痛みにうめきながら心だけは喜びで乱舞した。
どうしてそれだけ、会ったことのない実在しない男に貢げるのか、と不思議に思うかもしれない。ここまで全部前置きなのだが、とにかく長すぎだし。
実は、それらしい人に、わたしは会ったことがある。最初に祖母の家に訪れたときの例大祭で。
わたしは明るい時間に、祖母に連れられて、お祭りの「ごちそう」を食べていた。祖母からごちそうの由来の話を聞いたり、別の大人と難しい話をしている曾祖母に近づこうとして、邪魔しちゃいけないよと止められたリ。お腹いっぱいになると、退屈になる。お金をあまり持ってないので、出見世は本当に前を通り過ぎるだけになってしまった。食べ物系はそもそもおなか一杯じゃ興味が出ない。
わたしは気が付くと、祖母とはぐれて迷子になっていた。地元民ではないわたしは、方向や方角が分からず、結果的にどんどん奥へ入り込んでしまった。
彷徨い歩き、疲れ、適当なところで眠ってしまったわたしを助けてくれた少年がいた。それが、伝承のしろかみ様の特徴を見事に表していたのだ。最初は少年本人も全体的に白くて、白い蛇を連れてるから、という理由でなんとなく付いていこうかな、適度に思っていた。
ずいぶん暗かったと思う。しろかみ様お子様バージョン(仮)に連れられて森を抜けると、五〇人くらいの大人がいた。後で聞いたら、夜中だったので大人のみだが、当時の旧村の人ほぼ全員だったらしい。それが、いつのまにか消えたわたしを必死に探していたのだ。
わたしは「しろかみ様みたいなおにいちゃんに助けてもらった」と証言した。大人たちの一部がどよめいた。社殿に連れていかれ、あれこれ聞かれた。そして、念のためのお祓いを受けた。昼近くまで眠って、それから祖母の家に帰った。
帰るとき、曾祖母と祖母は、きっとしろかみ様が助けてくれたのだろうと言ってくれた。その頃は、わたしもまだそこまでのめり込んでなかったので、二人がわたしに話を合わせてくれてるんだと思っていた。あのおにいちゃんは神社の人かなにかで扮装をしていたんだろう、とか当時はまだ考え直すことができたはずだ。
今思えば、そうであってくれればわたしのその後は大きく変わっただろう。
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