第45話 媚薬のその後

「いつの間に……」


 王宮の晩餐会へ向かう辺境伯家の馬車に四人。キャロラインの隣にはもちろん正装したロベルト、キャロラインの正面にはアンリと……その背中に手を回すランデルがいた。

 その距離感は今までになかったほど近く、アンリもかなり戸惑っているようだが、嫌がっている訳ではなさそうで……。


 ★★★


 アンリが間違って媚薬を舐めてしまったあの日。多少身体が火照るくらいでたいした症状もなく数時間経過したので、媚薬はたいした効果がでなかったんだろうと、キャロラインとアンリは安易に考えてしまい、キャロラインはロベルトが戻る夕方まではベッドの中で過ごし、アンリは侍女の仕事に戻った。


 夕方、アンリが買い物に出た時に、人混みで運悪く一人の男性にぶつかってしまった。普通の状態であるならば、ただの災難、ちょっとぶつかった肩が痛かったなくらいですむ話なのだが、それが実は媚薬のスイッチになってしまったのだ。


 一気に身体が熱くなり、今まで感じたことのなかった感覚にアンリはパニックになった。胸の先端はジンジンするし、下半身がムズムズして足を自然と擦り合わせてしまう。立っているのも辛くなり、アンリは人通りの少ない路地に入り込み、しゃがみこんだ。


「なに……これ」


 息が荒くなり、アンリは自分の身体をきつく抱きしめて目をつぶった。

 こうしていないと、自分で自分の身体の恥ずかしい場所に手を伸ばしてしまいそうだったからだ。人通りは少ないとはいえ、大通りからちょっと覗けば見える場所で、そんな痴女みたいな行為はできない。というか、自分で自分を慰めたことのないアンリには、この熱の冷まし方なんか知らないのだが。


「……誰か……助けて」


 頬は紅潮し、瞳は欲情に潤む。自分ではどうにもならない変化に、アンリはただ時間がたって鎮まるのを待つしかなかった。


「嬢ちゃんどうした。こんな時間からもう飲んだくれてんのか」


 酒焼けしたダミ声の男に肩を叩かれ、アンリの身体がビクリと跳ねた。


「ァッ……」


 鼻にかかった甘い嬌声が漏れ、アンリは慌てて口に手を当てる。


「なんだ、嬢ちゃん、誘ってんのかよ。いいぜ、そこの連れ込み宿にでもしけこむか?」


 男に腕を引っ張られ、アンリは両手を振り回して抵抗した。


「嫌ッ!嫌ッ!」

「なんだよ、誘っといてそりゃねーだろ。金か?金ならあるぜ。さっきポーカーで勝ったからな」


 男は小銭がジャラジャラ音をたてるポケットを叩いてみせた。


「お金なんかいらない。放っておいて!」

「なんだよ、金払わなくていいってか?嬢ちゃん好き者だな」


 アンリを無理やり抱えるようにして立たせると、男はアンリの尻を撫で回しながら引きずっていこうとする。


「誰か!誰か助けて!!」


 アンリはたまらずに大声をあげた。

 すぐそこの大通りには人が沢山通っているし、誰かが助けてくれる筈!と、アンリは叫び続けた。


「おい、黙れって。叩かれてえか!」

「離して!嫌よ、誰か!」


 男が手を振り上げ、アンリは両手で顔を覆った。あまりの恐怖と、媚薬のせいで朦朧としていたからか、火魔法で撃退するということすら思いつかず、アンリはただ身体を固くして衝撃に耐えようとした。

 しかし、いつまでたっても男の拳は振り下ろされず、アンリが恐る恐る手を下ろして目を開けてみると、ダミ声の男の手を掴むランデルがいた。


「ランディ様!」

「やぁアンリちゃん久しぶり。キャロライン嬢に付き合って、ずいぶん休んでいたもんな」

「テメェ!離しやがれ!」

「アンリちゃん、どうする?腕の一本でも折っとこうか?」


 ランデルが涼しい顔でほんの少し力を入れただけで、男は騒がしく喚き誤りだした。


「痛い痛い痛い!悪かった!嬢ちゃんが具合悪そうだったから、看病してやろうと思ったんだよ!本当だ!したら、色っぽい声だすもんだからつい……。痛てててッ!」

「アンリちゃん、具合悪いのか?」


 ランデルが男をポイッと放り出すと、男は一目散に逃げて行った。


「実は……」


 アンリが間違って媚薬を一舐めしてしまったこと、時間差でいきなり症状がでてしまったことを告げた。ランデルは、ピンク色の媚薬だったと聞き、「アチャー」と目を覆った。


「ごめん、それロベルトに渡したの俺だ。ちょっと特殊なやつで、人と接触することで発動して……男性なら精を発散することで効果が消失するんだ」

「男性なら?じゃあ女性は?」


 あらぬ場所の疼きに耐えながら、アンリは吐息混じりに問いかけた。

 ランデルは気まずそうに視線をそらす。


「女性は……精を取り込まないとなんだよ。ほら、次こそは絶対に初夜を貫徹させたいって聞いたからさ。これを使えば、破瓜の痛みは感じないらしいし、キャロライン嬢に痛い思いをさせたくなくて最後までできないロベルトには丁度いいと思ったんだ。まさかアンリちゃんが舐めちゃうなんて……」

「それでは、私は男性と最後までしなきゃいけないんですね」

「……」


 否定しないランデルに、アンリは一瞬絶望を感じたが、すぐに気を取り直した。


 どうせ結婚する気もなかったから、男性と身体を重ねることなどないと思っていた。でも死ぬまで一度も経験しないよりは、一回くらいならば経験してみても良いのかもしれない。そうすれば、お嬢様にその手の悩みが出た時に相談にのれるし、話も合わせられるだろう。何より、破瓜の痛みがないなら、まさに今でしょ!と、逆にチャンスだと思うことにした。


 平民のアンリの処女なんか、貴族子女と違って埃のように軽いし、後生大事に取っておいて価値が出るものでもない。


 よし、綺麗さっぱりその辺で捨ててこよう!


 他に方法がないのか?とか、解毒薬はないのか?とか、あれやこれや悩むのではなく、スパッと決断してしまう辺り、思い切りが良くアンリらしいと言える。


「わかりました」


 アンリはよろけながら立ち上がり、路地裏の奥へ足を向けようとする。


「ちょっと待った。どこに行くんだ」

「……しなければならないなら、男娼でも買おうかと」


 その辺のおっさんは嫌だし、すぐに抱いてくれそうなチャラい遊び人も病気を持ってそうで嫌だ。

 娼館に管理された男娼ならば、病気も定期的に検査をしているだろうし、子だねを殺す薬も服用しているだろう。一番ベターな選択が、男娼を買うだったのだ。


「いやいや、待て待て。なんでそうなる?」

「病気も怖いし、後腐れがないから」

「なら、俺でもいいよな。病気は持ってない」

「後腐れは?」

「後腐れの意味がわかんないだけど」

「婚約者がいたり、恋人がいたり。後でもめるのは勘弁です」

「婚約者も恋人もいない。男娼を買うには金銭が発生するが、俺ならタダだ!」

「……わかりました。お願いします」


 ランデルはアンリを抱き上げると、すぐ近くにある連れ込み宿に飛び込んだ。


 ★★★


 アンリとランデルの間に何があったか、それはランデル経由でロベルトから聞いていた。アンリからは、ランデルにお世話になった……とだけしか聞いておらず、繊細なこと(アンリ的にはそうでもないようだが)だから、本人が話す気になったらと思い、キャロラインからはアンリに問いただしてはいなかった。


 アンリからしたら、緊急救護措置としての行為であり、ランデルに特別な感情はないようなのだが、ランデルはアンリを逃すつもりはないらしく、晩餐会におけるアンリのエスコート役をかってでただけでなく、アンリのドレスからアクセサリーまで全てランデルが用意していた。

 しかも、赤いドレスにペリドットのアクセサリーとか、ランデル色が全面に出ていて、今朝これらを持って辺境伯別邸にランデルが訪れた時には、さすがのロベルトもそれを見てドン引いていた。


 ちなみに、キャロラインのドレスは、白地に光沢のある淡いグレーで全面に刺繍が施されており、形はシンプルなスレンダーラインだが、黒のロング手袋や、ブラックダイヤモンドのアクセサリー類は、まさにロベルト色を取り入れているので、どっちもどっちで執着心丸出しといえる。


「ランディ様、近いです」

「婚約者としては正当な距離だと思うよ。ほら、ロベルト達を見てみるといい」


 ロベルトは隙間なくピッタリとキャロラインに寄り添い、左手は腰を抱き寄せていたし、右手は両手の上に置かれて撫でていた。

 膝に乗せられていないだけでも良しとして欲しい。何せ、身体の繋がりができてから、さらにロベルトの甘さが増して、厳つい表情はそのままに常にキャロラインにひっついているのだ。隙きあらば膝に抱き上げようとするし、アーンで食べさせようとするし。


 キャロラインもくっついていたいものだから、ついついされるがままになっているが、そんな二人を辺境伯別邸の侍女達は生温かい目で見守っている。彼女達が部屋の掃除やベッドメイキングをしているから、二人の進展度合いは彼女らには筒抜けだったのだろう。


 初めての日の朝(昼だが)は、食事がお祝い仕様(おめでたい食材や金粉がふんだんに使われていた)だったり、やたらと丁寧にマッサージして筋肉痛を緩和してくれたり、風呂場に秘所に塗る傷薬が置いてあったりした。(ちなみに最初は何かわからず、新作のボディークリームかと思い、匂いを嗅いでみたりした。裏側に効能が書いてあり、用途はわかったが、使う必要はないからそのまま置いておいた)


 ロベルトの距離感のバグはキャロライン限定なので、アンリもそんな二人を見て見ないふりをするのが随分上達したものだ。


「私達は婚約者ではないので、正当な距離じゃないですよ?」

「責任をとると言ったじゃないか。責任といえば結婚、結婚する為にはまずは婚約だろ」

「ですから、平民の私は貴族のランディ様とは結婚できないと言った筈です。というか、私は誰とも結婚するつもりはないんですから。一生、お嬢様にお仕えするって決めてるんです」


 ランデルはアンリにプロポーズはしたようだが、アンリはそれを断っている……と。キャロラインは二人のやり取りを目の前でフムフムと見ていた。


 十歳の時から一緒に育っているアンリは、すでにキャロラインの一部、家族以上の存在だ。キャロラインだって、アンリと離れるなんて考えることはできない。しかし、キャロラインがロベルトといて幸せなように、アンリにも幸せになって欲しいというのもキャロラインの本心でもあった。


「ランデル様は嫡男ではなかったですよね?」


 嫡男ならば、いずれは南方へ戻らないとならない為、アンリともし結婚することになったら離れないとならない。もちろん、アンリの幸せの為ならば快く……いや泣いて愚図る自信しかないが、送り出すつもりだ。


「ランデルは次男だ」


 キャロラインの心配を感じ取ってか、ロベルトがキャロラインの腕を撫でながら答えた。


「そうそう。継ぐ爵位もないし、貴族って言ってもたいしたことないって。せいぜい騎士になって、一代騎士爵が関の山。南方にもこだわりはないし、なんなら北方の騎士になってもいいかな。俺、これでも有能だから、ロベルトの役に立つと思うしさ」

「ランデルがうちに来てくれるなら、北方としても心強いがな」

「だろ?だろ?それにさ、もう一つお役立ちポイントがあるんだな」

「なんですかそれ?」


 皆の視線がランデルに集まり、ランデルは得意気に言う。


「ロベルトんとこはすぐに子供できそうだろ?俺もロベルト並みに体力には自信があるからな。きっと結婚したら子供もポコポコできるだろう。そうしたら、ロベルトんとこの子供の乳母にもなれるぜ」

「それは……素敵ですね」


 結婚など頭になかったアンリが、初めて結婚について前向きに考えだした瞬間だった。


 結婚を決める理由がそれでいいのか?と思わなくもないが、ランデルがアンリのパーソナルスペースに入っても嫌な顔をしないところを見ると、アンリがランデルを嫌いではない証拠なんだろう。


 蜜月状態のカップルと、まだフレッシュなカップルを乗せた馬車は、王宮の門をくぐった。








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