第40話 ミカエルの指輪

「ハンメル侯爵令嬢に面会を」

「ですから、お嬢様は体調を崩されておりまして、どなたともお会いいたしません」

「ならば、僕の光魔法で令嬢を癒やしましょう」

「……いえ、お嬢様に必要なのは休養ですので」


 そう言いながらも、お互いにキャロラインに魔法は効かないと知っている。キャロラインに面会を求めているのはミカエルで、屋敷に入れることもなく断っているのはアンリだ。

 ミカエルの出自を考えれば、こんな対応は普通ならばあり得ない。不敬罪で打ち首だ。


「少し顔を見るだけでも良いのです」

「失礼ですが、ミカエル様とうちのお嬢様にはたいした面識はありませんよね?」

「そうはいっても、数回お茶は共にしたことはありますから、知らない仲ではないですよ」

「知人レベルでしよね?親しい友人でもないのに、男性を具合が悪くて臥せっているお嬢様の寝室に通せるとお思いですか?どうぞお帰りください」


 二人共ニコニコと穏やかに話しているようだが、目が真剣である。


 アンリは扉の前に立ち、王族だろうが中には入れないぞという気迫が溢れている。きっと他の侍女ならば、ミカエルの高貴な出自に扉を開けてしまったことだろう。


「しかし、僕が来たと知れば……僕が声をかければハンメル侯爵令嬢……いやキャロライン嬢も歓迎してくれる筈ですが」


 何を根拠にそんなことを?と噛みつこうとしたアンリは、ミカエルの指にはまるシンプルな指輪に目をとめた。

 貴族子息は、男性であっても装飾品をつけることがある。指輪やブローチなどが多いが、どちらかというとゴツくて派手な物が多い。だからこそ、逆にシンプルな指輪はアンリの目をひいたのだ。

 晩餐会の招待状に添えられた一対の指輪、男性用は中側に宝石がついていたので、同じ物かどうかの判別はつかないが、あのシンプルさは同じものと見ても良さそうだ。


 では、なぜ晩餐会の招待の証である指輪を今つける必要があるのか?


 ミカエルをキャロラインに合わせてもいけないが、今追い返してもいけないことを瞬時にアンリは理解した。ロベルトがくるまでは、指輪をはめたミカエルをここに足止めしなければならない。


「……わかりました。しかし、お嬢様はいまだにベッドの中です。お仕度に時間がかかるのは理解してもらえますか?」


 アンリはわざと大きなため息をついて、ミカエルの熱意に絆されて……という体で話す。


「ええ、もちろんです。女性の仕度に時間がかかるのは当たり前ですよ。何時間でも待ちましょう」

「では、客間へ御案内します」


 アンリは、キャロラインの自室からは一番離れた客間にミカエルを通すと、侍女を二人ミカエルにつけて部屋を出る。

 侍女達には、ミカエルにキャロラインのことは昨晩から寝込まれてしまったとだけ伝えるように言ってある。


「怪しいわ!あの指輪が原因だとしか思えない」


 キャロラインの自室に行くと、侍女頭のマリアにサーブされて朝食中のキャロラインがいた。


「アンリ、朝ご飯は食べたの?」

「はい、もういただきましたよ。お嬢様、朝からガッツリ食べますね」


 テーブルに用意されているベーグルサンドは、お肉てんこ盛りのボリューミーなサンドイッチだった。


「だって、お腹ペコペコなんだもの。私ったら馬鹿ね、何で昨日の夕飯を抜いたのかしら」


 小さな口でサンドイッチをかじりながら、たまに指輪を愛おしそうに撫でるキャロラインは、指輪を外そうとしていたことをすっかり忘れているようだった。


「お嬢様、いくらお腹が空いていても、ゆっくりと食べないと喉につかえますよ」

「そんなにがっついてないわよ」


 アンリはマリアに視線で退出を促すと、一緒に廊下に出て今の状態を簡潔に話した。そして、ロベルトが王宮図書館の禁書庫へ向かったことも伝えた。


「ミカエル様が指輪をはめて屋敷に来たことを、早急にロベルト様に伝えてください。お嬢様が指輪をはめた時にはまだ正気だったんです。あの時……ミカエル様の指には指輪はありませんでした。あの指輪が明らかにおかしいんです!お嬢様の指輪はキツくて抜けませんが、男性にしては華奢なミカエル様の指輪はユルユルでした。あれならば外せる筈です」


 アンリは昨日の様子を映像として思い返しながら、ミカエルの指に指輪がなかったことを断言する。


「ロベルト様ならば、風魔法を操って指輪を抜き取ることができるのではないでしょうか。この際、力技で押さえつけて引っこ抜くことも……」

「アンリ、落ち着いて。私達平民が教会関係者……しかも王弟の御子息に手をかけたら、その場で打首確定です。ロベルト様にすぐにいらしてもらえるように手配しますから、あなたはお嬢様についていてちょうだい」


 アンリがミカエルについていたら、それこそ本当に力づくで指輪を引っこ抜きそうだ。見た目は小柄で可愛らしい少女なのだが、キャロラインの為ならばどんな無謀なことでも物怖じせずに突っ走ってしまう。大胆というか……無謀な娘だということを、長年侯爵家に仕えているマリアは重々承知していた。


「いいわね、あなたはお嬢様から離れずに。ミカエル様の方には私が行きますからね」

「わかりました!お嬢様をお部屋からは出しません。縛り付けてでも!」


 アンリならば、本当にやりそうである。そして、キャロラインならばそんな侍女の暴走行為にも、困ることはあっても決して叱責することはないのだ。


 アンリが部屋に戻ると、ベーグルサンドを半分食べたキャロラインは、アンリが戻ってくるのを待っていた。


「アンリ、このサンドイッチ、凄く美味しいわよ。半分食べない?」

「ありがとうございます。でも朝食はもう食べたので……一口だけ」

「だと思った。ほら、真ん中はお肉タップリなのよ。半分に割ってあげるから真ん中食べなさいよ」


 キャロラインはナイフでベーグルサンドを半分に切ると、お肉タップリの面をアンリに見せる。

 キャロラインは残り半分をペロリと食べてしまうと、アンリがかじった残りも食べた。侍女の食べ残しを食べるなど、普通の貴族子女ならば絶対にあり得ない行為だが、キャロラインは以前と変わらずにそれをする。


 キャロラインの全てが変わってしまった訳ではないことにホッとしつつ、アンリはキャロラインを注意深く観察する。


 変な指輪をつけさせられて、体調に変わりはないだろうか?食欲は?


 指輪をウットリと見つめている以外は、いつも通りのキャロラインだった。


「お嬢様、ロベルト様のお屋敷にはいつ戻りましょうか?」

「ロベルト……様の屋敷には戻らないわ。戻れる訳ないわ」

「どうしてですか?」


 キャロラインは悩む素振りを見せたが、戻れないとしかいわない。


「まさかですけれど、ロベルト様との婚約破棄なんか考えていませんよね?」

「婚約破棄……、私がロベルト様と婚約は……、婚約……。なぜかしら?言えないんだけど。でも、真実に好きな方がいるのに婚約を継続することは不誠実よ」

「お嬢様が真実に好きな方とは、どなたですか?」

「それは……」


 キャロラインは口を開くが言葉が出てこないようだ。何度も言おうとするが、どうしても言葉にならないようで、キャロラインの顔が困惑で歪む。


「お嬢様、大丈夫です。きっとロベルト様が元のお嬢様に戻してくれます」

「戻す?やあね、私は何も変わってないのに。変なアンリ」


 キャロラインは考えるのを止めたようで、また指輪を撫でながら食後の紅茶に口をつけた。


「……ます。勝手に歩き回らないでください。困ります」


 廊下が騒がしくなり、扉が勢い良く開いて、侍女達に遮られながらもミカエルが無理やり部屋に入ってきた。


「ミカエル様?」

「キャロライン嬢!」


 キャロラインの前にアンリが立ち塞がり、ミカエルから守るように両手を広げた。


「キャロライン嬢、具合が悪いと聞いたが、気分はどうだろうか?不躾に部屋に訪れて申し訳なかった。君が心配だったんだよ」

「まぁ!会いに来てくれたのね?とても嬉しいです」


 ミカエルを見るキャロラインの瞳はトロリと潤み、頬を紅潮させている様子は、いつもロベルトに見せる表情と同じだった。


 アンリを避けるように立ち上がったキャロラインがミカエルに近づくと、ミカエルはキャロラインの腰を抱き寄せてハグした。


「侍女達がいるのに嫌だわ。恥ずかしいから」

「ならば下がらせればいいよ。君達、主人の命令だよ。下がりなさい」

「しかし……」

「これを見てもわからない?僕とキャロライン嬢は親しい間柄なんだ」


 ミカエルは、キャロラインを抱き寄せるよいにして誇らしげに言う。


「お嬢様!お嬢様の真実に好きな方はどなたですか」

「それは、キャロライン嬢が婚約していたから隠していたのですが、僕らは愛し合っているんです。ねえキャロライン、君が真実に愛しているのは僕だと、君の頭の悪い侍女に教えてあげて」

「頭の悪い……ですって?」


 キャロラインは、蕩けていた表情を一気に硬化させると、ミカエルを横に押しやった。


「アンリになんてことを言うの!いくらミカエル様でも、アンリのことを悪く言うのは許しません!」

「お嬢様……」


 アンリが両手を胸の前で組み、感動したように涙ぐむ。


「たとえ私が大好きな……大好きな……。ふう……。なんで名前が出てこないんだろう。私はアンリが大好き」


 試しにアンリを好きだと言ってるみたら、スムーズに口に出すことができた。


「お嬢様、私も大好きです!」

「ありがとう。マリアも大好きよ」

「もちろん私もお嬢様が大好きでございます」


 ミカエルを止める為に一緒についてきたマリアや他の侍女達も、うんうんと頷いている。


「私はミカエル様が大……」


 好きだと言えなかった。心の底からミカエルのことが好きだと湧いて出てくるのに、なぜ言葉にできないのか。


 気持ち悪いくらい、ミカエルのことが好きなのに。


 気持ち悪いくらい?

 好きなのに?


 何かがおかしい。

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