第9話 逆プロポーズからの……

「お嫁さんにしてくださいって言ってるんです!!」

「お嬢様!乱暴はいけませ……ん?」


 あまりのタイミングの悪さに、一瞬沈黙が走る。


 キャロラインの顔が真っ赤に染まり、見開いた瞳からボロボロと涙が溢れた。


「お嬢様!」


 恥ずかしさと今までの緊張がいっきに溢れ、キャロラインの涙腺が誤作動を起こしてしまったようだ。


「アンリちゃん、ちょっと向こうに行こうか。ロベルト!邪魔したな」


 キャロラインに走り寄ろうとしたアンリを、ランデルは問答無用に押さえると、硬直しているロベルトに声をかけて正気に戻すと、アンリの肩を抱いて回れ右をする。そのままアンリを学園棟へ連れて行く。


「ハンメル侯爵令……いや、キャロライン」


 ロベルトは、上着を脱いでキャロラインの頭から被せると、キャロラインの背中を擦った。


「悪い、ハンカチを持ち合わせていない。それで拭いてくれ。あと、泣き止んでくれると助かる」

「……ず……ずびまぜん」


 キャロラインはポケットからハンカチを取り出すと、顔を拭いて鼻をかんだ。その際、化粧が落ちてソバカスがいくつか消えたり滲んだりしてしまったが、キャロラインは気が付かない。


「ああ、ほら」


 ロベルトが袖でキャロラインの顔を拭うと、ソバカスは全部消えてしまった。


「化粧が……落ちてしまったな」

「たいしてしてないから大丈夫です」


 ソバカスのない素顔を晒していることに気づいていないキャロラインは、大きく深呼吸して、なんとか気持ちを落ち着かせようとする。


「さっきの話だがな」

「……はい」

「すまなかった!」

「え……」


 頭を下げるロベルトに、今度はキャロラインが硬直してしまう。まさか、一世一代の逆プロポーズを断られるとは……。


「女子から言わせるとか、男としてなんとも不甲斐ない!本当にすまなかった。俺からもきちんと言わせて欲しい。キャロライン・ハンメル侯爵令嬢、俺……いや私と結婚を前提としたお付き合いをして欲しい。ハンメル侯爵にも、婚約の打診をさせてもらう。とても釣り合うとも思えないが、許してもらうまで何度でも頭を下げる所存だ」

「……本当?」

「本当だ。キャロラインこそ、こんな無骨な男で良いんだろうか?」

「もちろんです!私、シュバルツ辺境伯令息様のこと、お慕いしてます。私のこと片手で持ち上げられそうなこの上腕二頭筋、盛り上がった僧帽筋、逞しい大胸筋に広背筋……こんな素晴らしい筋肉、なかなか見れませんよ。それに筋肉だけじゃなくて、この凛々しい眉毛も、眼光鋭い瞳も、男らしい鼻に、私が作ったお菓子をいっぱい食べてくれそうな口も、みんな素敵です。なによりこの傷。この傷があるシュバルツ辺境伯令息様がとても誇らしいんです」


 つい最初に筋肉を褒めてしまったが、これはキャロラインの偽らざる気持ちだ。


「ロベルトと。名前で呼んでくれ、キャロライン」

「ロベルト様……」


 ロベルトはキャロラインを軽く抱擁した。

 キャロラインは、その至高の筋肉に包まれて恍惚となる。男子に抱き締められるなんて、二世にして初めての出来事だ。鼻血をふいたとしても、まぁしょうがないだろう。


 そう、キャロラインはロベルトの腕の中で盛大に鼻血を出した。最初は泣いたから鼻水が垂れたのかと放置していたが、あまりに止まらないから、残念だがロベルトに離して貰って鼻をかもうとロベルトの胸元から顔を起こしたら、目の前……ロベルトのYシャツが真っ赤に染まっていたのだ。


「ロベルト様、すみません!鼻血が!」

「大変だ!キャロライン鼻を押さえるんだ」

「ロベルト様のYシャツが……」

「こんなものは気にするな。大丈夫か?具合は悪くないか?」

「らいじょうぶれす。ちょっと嬉ししぎて興奮しちゃったみたいで……ごめんなさい」


 キャロラインはハンカチで鼻を押さえ、あまりの恥ずかしさに消えていなくなりたくなる。


「俺も凄く嬉しかった。キャロラインが、鼻血を出すくらい俺との婚約を喜んでくれたのなら良かったよ。でも、お互いにこの姿だと授業には戻れないな。今日はもう帰った方がいい。俺に送らせてくれるか?」

「はい」


 確かに、二人共制服は血まみれで、どんな乱闘騒ぎがあったのかと後日噂になったくらいだった。


 制服を汚したことを怒るでもなく、キャロラインを労ってくれるロベルトに、キャロラインは改めて素敵な人だと感動する。


 拳一つ分くらい空けて二人は並んで歩き、その微妙な距離感が妙に初々しかった。

 途中すれ違った教師に早退することを告げ、シュバルツ辺境伯家の馬車に乗り込んだ。まだ隣に座るのは恥ずかしく、馬車では向かいに座り、名前を呼び合っては照れるを繰り返した。その、いかにも付き合いたてですという甘酸っぱい雰囲気に、御者が気を利かせて、王都を二周回ったのだが、そんなことにも気が付かないくらい、二人の世界に浸っていて……。

 このまま婚約、結婚にもっていければ、問題は起きなかったのだが。


 ★★★


「お嬢様!」

「アンリお帰りー」


 ロベルトに屋敷に送ってもらい、先に帰宅していたキャロラインは、すっかり着替えも終わり、鼻血も止まって、鼻歌交じりにチョコレートケーキを作っていた。


「お帰りって……。さっきは申し訳ありませんでした!まさかお嬢様から告白できるとは思ってなかったので、その……お嬢様がシュバルツ辺境伯令息様につかみかかっているように見えまして……」


 アンリが腰を九十度に曲げて頭を下げた。その手には二人分の鞄が下がっている。鼻血はすぐに止まったが、血だらけの制服で教室に戻るわけにもいかず、鞄は教室に置きっぱなしで帰ってきてしまったのだ。


「やだ、そんなわけないじゃない。その、ちょっと力み過ぎて力が入っちゃったかもしれないけど。そんなことより、鞄ありがとう」

「どういたしまして。で!人生初の告白はどうでしたか?!」


 キャロラインの様子から、もちろん上手くいったのだろうと100%予測はついたが、キャロラインの口から喜ばしい報告が聞きたくて聞いてみた。


「ウフフ、お父様に、婚約を申し込んでくださるって」

「キャーッ!婚約ですか?!」

「うん、許してもらえるまで何度でも頭を下げてくれるって」

「奥様を先に懐柔なされば、旦那様はどうにでもなりますよ」

「だよね?」


 キャロラインの父親は、キャロラインには激甘な上、妻イザベラを溺愛している。もちろん、長男であるキャロラインの弟ラルクにも甘い。


 キャロラインは、まずは領地にいる母親に手紙を出そうと思った。

 後一ヶ月もすれば、春の社交界前にキャロラインの進学と誕生日を祝う為に両親と弟は王都にくる予定だが、それまで待ってなどいられない。

 きっとロベルトも早々に父親に手紙を出してくれていることだろう。


 キャロラインはケーキ作りの手を止めて、アンリに便箋を持ってきてくれるように頼む。アンリは便箋を取りに行くついでに鞄を置き、着替えて戻ってきた。

 手紙を書いて速達で出すように頼むと、アンリと共にケーキ作りを再開した。


「それにしても、健康そのもののお嬢様が学園を早退なさるなんて……もしかして!お互いの気持ちを告白して、盛り上がった末に一線を越えてしまったとか?!」

「そ……そんなわけないでしょ!」

「怪しいです、お嬢様。まぁ奥手のお嬢様がそれはないですね。でも、チューくらいはしたんじゃないですか?婚約のお申し込みですよ」

「チュー……」


 いっきに真っ赤になるキャロラインを見て、どうやらそれもなさそうだとアンリは推測する。


「チューなんて……チューなんてまだ早いわ!ほら、お付き合いして三ヶ月目に……とか言うじゃない?」

「お嬢様、とっとと結婚までもっていかないといけないんですから、悠長なことを言っている場合じゃないですよ!」

「そう……かもしれないけど」


 ゲームでは、来年の年末に婚約破棄され、春に辺境へ向かう時に盗賊に襲われる。良くて輪姦された後に娼館送り、悪くて輪姦されながら殺されるらしい。それはエンディングの最初にラインハルトへの報告書の形で知らされ、ラインハルトは興味なさげに書類を処理する。そして、リーゼロッテとの結婚式の場面になりゲームは終了するのだ。


 そんな未来は絶対に嫌だ!


「アンリ、私頑張るわ!」

「そのいきです、お嬢様。……それはそうと、生徒会の招待状、どうなりました?」

「……忘れていたわ」


 キャロラインは、サーッと顔色をなくする。


「招待状は?」

「……記憶にないわ」


 キャロラインは必死に記憶を辿った。中庭でロベルトと話していた時は持っていた記憶がある。招待状の話もロベルトとしたことだし。

 つい流れで逆プロポーズをしてしまい、しかもOKされて浮かれて……鼻血まで出してプチパニックになって……気がついたらロベルトの馬車で送られていて……。

 家に持って帰った記憶はないから、中庭かロベルトの馬車に忘れてきたのだろう。


「最悪、中庭。良くてロベルト様の馬車の中だわ」

「では、明日の朝早くに学園に行き、中庭を探してみましょう」

「うん……でも、多分血だらけだと思うんだけど」

「お嬢様!いったい何をなさったんですか?!」

「ちょっと興奮して鼻血をね……」


 それから鼻血を出した経緯……ロベルトの筋肉の素晴らしさを語ったキャロラインだった。

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