硝子の角砂糖、私は珈琲が飲めない。

小鳥 薊

私は、さやか。

 私は、物心ついた頃には甘党でした。


 チョコレイト、キャンディ、ケーキに餡。

 なんでも好き。

 甘い匂いを嗅いだだけで幸せになる。それを舌に乗せたら、私の体いっぱいに幸せが広がる気がして、大好き。


 中でもお砂糖。

 砂糖菓子がこの上なく好き。


 角砂糖ってあるでしょ?

 あるとき、それが大人達の飲み物に品よく添えられていて、私はそれが砂糖だって教えてもらった。


 角砂糖をはじめて口の中に入れたときの衝撃は今でも覚えている。

 舌に乗せた瞬間にもう、さらさらら、忽ち砂に戻った。

 私の舌の上にできた砂浜。幸せは舟でゆき、喉の奥へと消えました。



 糖液って知っていますか?

 砂糖を固めるためにはまず糖液をつくること。

 糖液っていうのは、限界まで砂糖が溶けた状態の水のことなんだけど、これを型に閉じ込めて冷やすと角砂糖って簡単に作れてしまうのよ。


 私は、糖液を知ってから、自分で角砂糖を作るようになった。

 私は、珈琲は苦くて、紅茶は渋くて飲めないから、角砂糖に相応しくない女だわ。

 だから自分で作るの。

 そして辛いことがあったときだけ、自分を慰める薬として角砂糖を口にすることを自分で許すことにしました。




 甘いものが好きな私は子どものころから糖分の摂り過ぎね。

 太っていたの。

 あだ名は、デブ、ブタ、デブスの三パターン。日本人って語彙力ないよね。

 私には、「さやか」っていうちゃんとした名前があるんだけど、「さやか」は私の代名詞ではないみたい。

 私は、デブを自分と認識し、角砂糖を口にする日が増えた。よくいう中毒っていうやつ。

 デブという言葉の棘にまみれて苦しくなっても大丈夫、角砂糖が舌の上で溶けていけば、私の苦しみも浄化されるような感覚が味わえて私は救われるんです。


 角砂糖を摂取する回数が増える度に私は想像する。

 人間って七十%くらい水でできているんだって?

 私の体の水分が限界まで砂糖を溶かしたらどうなるんだろう。私は全身が糖液の状態になって、雪国に行けば氷砂糖人間になれるのでしょうか。

 砂糖の結晶で出来ている人間。

 私は氷砂糖人間になる前に糖尿病になった。

 お母さんに生まれて初めて泣かれた。

 私はお母さんを泣かせてしまった。


 このまま砂糖を食べ続けたら、私の体は先っぽから腐って、目も見えなくなったり、将来的には大病をして早死にしてしまうんだって。

 だから、砂糖は私にとって毒だって、お母さんが言った。医者がそう言ったの。


 砂糖が毒?

 私にとって砂糖は、生きるための薬だよ。


 私、好きな人ができました。

 その人は私がよく行くスーパーでレジ打ちしていているおねえさん。これが恋なのかわからない。

 おねえさんはレジ打ちが驚くほど速い。その所作が美しくて無駄が一つもなくて、私はこの人に、ピッピッピってしてもらうために、外出嫌いにもかかわらずお母さんのお使いを買って出る。

 ピッピッピは不思議。この時間だけはお腹だけじゃなくて私は私いっぱいが満たされる。


 私は角砂糖に頼る人生をやめました。



 私は砂糖を絶ってから、瘦せました。それから、おねえさんの働くスーパーでバイトを始めた。

 仕事を教えてくれるおねえさんは少し厳しいけれど、優しくて私はますます彼女が好きになりました。高校辞めてスーパーに就職したい。そんな馬鹿げたことばかり何度も何度も頭を巡る。



 今日、男子に呼び出され、またいじめられるのかと思ったら告白された。その子は小学生のときから私をデブって呼んでた子です。

 好きですって言われたのに不思議です。好きって言葉が別の意味を持っているようにまるで響きませんでした。

 私はこの日、久しぶりに角砂糖が食べたくなりました。角砂糖は口に入れるとやはり舌の上ですうっと溶けて心地良い。でも何かが足りない気がした。


 いつの間にか、角砂糖の薬の効果が効かなくなっていたのでした。

 私は、もしもおねえさんがいなくなってしまったら、きっと角砂糖なしでは生きられない。それなのに角砂糖が効かなくなってしまったら、どうしたらいいのでしょう。



 それから数日後、おねえさんがスーパーのゴミ置き場でガラス瓶を割っていた。それはラムネの瓶みたいに少し青みがかった透明な瓶で、おねえさんは専用ケースに納められた瓶を片っ端から引っこ抜き地面に叩き付けて割っていた。

 ガシャーン、ガシャーン、ガシャーン。

 瓶が破裂する音と一緒におねえさんの泣き声が聞こえてくる。

 私はその光景が恐ろしくて美しくて、見ていることしかできなかった。

 しばらく瓶を割り続けたおねえさんは、涙を拭いて建物の中に戻っていった。

 おねえさんが立っていた地面には細かく砕かれた煌めく硝子の欠片が散らばっていた。

 きれいだな。そう思った。



 更に数日経ったある日、突然おねえさんがスーパーを辞めてしまった。私は途方に暮れました。もう生きていかれないと思ったのです。

 ガシャーン、ガシャーン、ガシャーン。

 あの日聞いた、破裂音が今でも耳に残っています。

 それから私はまた甘い物ばかりを口にするようになりました。今後はいくら食べても満たされない。終わりのない地獄。

 見る見るうちに私は元のデブ女に戻りました。毎日が元通り、あの輝いていた日々が夢のようでした。


 私に告白した男子が、「デブに告った男」としてからかわれているのを見てしまいました。

 その現場に見合わせてしまった私を、今度はその男子が罵倒したんです。

「お前のせいだ!」って。


 私?

 私のせいなの?

 私は、わけが分からなくなって必死に走りました。走ると贅肉が揺れます。

 おねえさんの欠片を見つけなくては、と私はなぜかそう思ったのです。


 太ってまた糖尿病の治療が始まりましたから、バイトは辞めました。今度は少しの間、入院が必要だそうです。

 あの日、おねえさんが割っていたガラス瓶の欠片を、私はこっそり家に持ち帰っていました。それを細かく砕いて小瓶に入れると、不思議な薬みたい。

 それを見ていると落ち着くんです。それからだんだん私はこの欠片を口にしてみたくなった。

 舌や喉の粘膜が切れてしまうだろうか。お腹の中でちくちくと痛むだろうか。

 私はいろいろな想像をしました。想像の末、どうしても硝子を口にすることはできず、その代わりに私は糖液を作りました。

 水にグラニュー糖を目一杯溶かし、四角い型に入れる。その型の中に、ぱらぱら。

 私は硝子の欠片を入れました。



 私は、入院中の寝台の上で夢を見ました。

 その夢で私は、好きだったおねえさんと珈琲を飲んでいました。おねえさんはブラック派なんだそうです。私はブラックではとても飲めないので、ポケットに手を突っ込んだら角砂糖が数個、入っていたんです。

 それを二つ取り出して、湯気立つ珈琲の中へ、ぽちゃんと落としました。

 スー、スー、スー。

 くるくるとティースプーンを回すと角砂糖は完全に溶けたようです。

 私はやっとおねえさんの欠片を口にできる。

 おねえさんはあのとき何をしていたの? と私がおねえさんへ尋ねたところ、

 憎いやつのことを思って暴れていたのっておねえさんは答えた。


 へえ、大人でも暴れるんですね。


 ごくり、珈琲を飲む。喉に欠片は引っ掛からない。

 ごく。

 こく。


 私も暴れていいんでしょうか? と私がおねえさんへ尋ねると、

 もちろん! って笑った。あなたは優し過ぎるのよ。だって。




 目覚めた私は、少しだけ散歩をしたくなって、病院の中庭へ出た。

 日差しが気持ちよく、指先に血が通う感覚を私は感じました。

 それから、ポケットの中に忍ばせていたあの角砂糖を、足もとの蟻へあげました。

 蟻はどんどん角砂糖に集中し、あっという間に真っ黒になりました。私が固めた砂糖を分解していく。巣へ持ち帰るのね。


 私は、さやか。

 さやか、ってどういう字を書くと思います?

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硝子の角砂糖、私は珈琲が飲めない。 小鳥 薊 @k_azami

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