第7話 血塗れた花嫁

 ベイクは音を立てずに正面扉を開けた。ミーガンはその中へ入る。鼻歌が2人により聞こえた。水の音も。声の主はえらく機嫌が良いらしい。灯は無い。月明かりで真っ暗では無かったので、訓練された2人には大体見えた。それを脳で色を付けていく。高級そうな棚、花瓶に生けられた花。絨毯、恐らく赤色か。


 2人は広い玄関を抜けて、自然と声のする方を探した。


 勿論、そちらに行くのは気が進まない。しかしそれが、アッチェラの正体を示す手掛かりなのだ。


 大理石の床でも足音をさせなかった。2人とも既に裸足になっていた。2人は左右前後で進み、近い方がその都度扉を開けて調べながら進んだ。しかし客人用居間、客人用泊まり部屋、食堂、司祭服の沢山並んだクローゼット。特に奇異な部屋や物は無い。それどころか生活感の全く無い物ばかりで、逆にそれが奇異でもあった。あまりにも綺麗すぎるのだ。

 使われているのか訝しむ、綺麗でだた広い食堂を見つけたが、2人は目もくれず、横切ってキッチンに向かった。


 食物だ。彼(と、声の主)が何を食べているのか知りたい。それだけでも大きな情報量なのだ。土間になった台所に石を組んだコンロが1つ、向かいにまな板、綺麗に掃除されている、包丁等の調理器具は綺麗に整理されていた。床に置かれた籠には野菜、果物。そこから大きな樽程もある壺が3基あり、木の蓋に厳重に重石がしてある。


 2人は何が出てくるかを予想しながら覚悟した。あまり望みが持てない様な気がした。


 1つ、重石を取ってみる。ベイクは恐る恐る木の蓋の取手を掴み、引き揚げてみた。

 蛆虫。無数の、腐敗した野菜や果物に集る蛆虫が蓋の裏までびっしり付いていた。普通の人には耐えられない悪臭。2人は戦場を歩いていたので慣れてはいたが、ベイクは閉めて重石をした。


 隣の2基は開ける気にはならなかったが、もう大体分かっていた。わざとだ。わざと育てているらしい。台所の食物はアッチェラの物じゃない。蛆虫のための物なのだ。


 2人が予想していたよりは軽い。ミーガンは人間の塩漬けくらい出てくるかと思っていたからだ。


 一階には何も無い。2人は通り過ぎていた2階へ上がる階段に戻った。素早く上がり、また同じ様に捜索する。廊下を歩くと5メートル先に開いたドアを見つけた。そしてそこから鼻歌がしているのには気づいていた。2人は遅からず早からずの速さで駆け寄る。


 2人は空いたドアの前に出て身構えた。


 目の前には髪の白い、美しい女性が、大きな桶の中で立って湯あみをしていた。後ろを向いているので顔は見えなかったが長い艶やかな髪の下に豊満なお尻を覗かせていた。こちらに気付いて鼻歌が止む。顔も恐ろしく美しい。肌が白く、皺1つ無い。ただ2人が気になるのは、湯浴みしている液体が水でなくてどす黒い液体である事だ。


 「私達の壺を開けたのは貴方達ね。ここまで匂ったわよ。私達は植物を食べたハエの子しか食べないのよ。肉は駄目。臭くなるわ」女は桶の淵に座った。身体は何も身につけていないので、片方の乳房が露わになっていた。しかし、身体中にどす黒い液体がこびりついていて、鼻をつく匂いが充満していた。


 血液の風呂。彼女の美容の源なんだろう。


 2人は表情を変えなかった。


 「これ良いでしょう」女は両手で浴槽の血をすくう。「白い、神聖なる竜の血ですって。要らないからってくれたのよ。肌が綺麗になっていくわ」


ベイクはその発言に、我を忘れて入って行った。小走りで袖から石のナイフを出していた。首をかき切ってやろうと思った。


 1メートル以内に近付いた時、手が伸びた様な気がしたと思うと首に激痛が走り、女は信じられない様な力でベイクの顎のすぐ下辺りを掴んでいた。ベイクが振り解こうとしても、殴ってもその細い腕はへし折れるどころか、金属みたいに硬い。


 女は片手でベイクを締め上げながら持ち上げ、へらへら笑ってみせた。顔を石のナイフで切りつけてもナイフが砕けた。どうやら綺麗な肌は鱗の様で、我々の肌とは違う物らしかった。


 意識が薄れる。ベイクはかなり久しぶりに危機感を感じた。人の力では無かった。


 ああああ


 文字で表すとそんな発声だが、何を言ったかわからない、聞いたこともない様な大きな声で女が叫んだ。喉が楽になったベイクが見ると、ミーガンの棒がその女の目に突き立っていて、そこを力点に力一杯振り払ったのでベイクは床の上に落ちた。


 ミーガンが棒を引き抜くと女の押さえた目から、止めどなく赤くない液体が溢れ出た。女は赤い浴槽のそばでよく分からない小さな言葉で呻いている。

 ミーガンはベイクを見たが、ベイクは喉を押さえながら、女を凝視していた。かなり棒は深く刺さっていたはず。


 死なない。死ぬ気配が無い。こいつ痛がっているだけだ。


 2人は目配せして走り出した。階段に向かって走り、階下へ降りる頃に身の毛のよだつような雄叫びが聞こえ、大きな足音が迫りくるのがわかった。


 あああああ


 2人は力一杯走る。


 玄関の扉を開けようとした時、声がした。後で考えると実際に発せられたのでは無い声。その時は2人は振り向いて主を探した。


 (待っていた。この瞬間を)


2人は扉を開け、外に出ようとした。足音と叫び声が迫りくる。


 (大丈夫だ。あやつを焼き殺す力くらいは残っている)


「なんだ」


「誰だ」2人は問うた。


 (我は主の使いなり。実態はもう主の下に帰りき。骸は抜け殻だ。血には感情だけ残した)


「主の使い。貴方はあのホーリードラゴン様でしょうか」ベイクは目を見開いて何処となく話しかけた。


 (いかにも。もはや時間が無い。あの邪悪なる夫婦は生かしておけぬ。意思を血に残して待っておった。手練れが現れるのをな。妻は浄化する。夫を頼む。私みたいに卑劣な方法で亡き者にされるのを阻止せよ。汝達に託す。私の骸が残るならば使え。さらばだ、勇者達よ)


 2人は邸宅の玄関から抜け出した。


 すると、白い閃光が広い家中の窓から瞬き、一階の廊下、女が居たであろう辺りと、2階の湯あみ場の辺りから火の手が上がった。

 2人は暫く藪の影で見ていた。白い炎。聖なる浄化の怒り。聖獣は死してなお、聖なる力で指し示した。


 暫くして、村の者が集まってきた。火事だと喚き、バケツを運ぶ。10台くらいの馬車が行ったり来たりして、民衆も固唾を飲んで見守る。


 2人は早々に去った。分かっていたのだ。あの聖なる焔は、決して水などでは消えない事を。


 

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