髑髏珈琲
雨宮悠理
檸檬
辺りがじめじめとした湿気に包まれた夜。ジメジメしてはいたが、最近では珍しくたまに冷たい風が吹き込むことがあった。役目を終えて塵と化すのをただ待つのみとなった様の廃屋の屋上で、俺は持ち込んできたプラカップ入りの珈琲を飲んでいた。
右手には趣味の悪い血塗れのコンバットナイフ、のようなモノ。いや、"血"という表現は正確では無いのかも知れない。ヒトならざる何かから吹き出した飛沫であり、ナイフのようなモノまで含めて、ごく普通の世界に生きている一般の人間には見えないものだからだ。それでもどこか気持ちが悪い気がして、持っていたハンカチで刃先を拭う。腐敗したような柑橘系の匂いが鼻先を刺激した。
「こんばんは。またシケた顔して不味い珈琲でも飲んでいるのかい」
屋上にひとつしかない入口の前に立ち、失礼極まりない挨拶をする少年が一人。くすんだ橙色で、とても神秘的とは思えない月明かりに照らされて、彼はどこか胡散臭い笑みを浮かべていた。
「さっきそこの広場でね。最近この街で出るって聞いてたはいたけど、まさか本当に出くわすなんて思ってなかったよ」
中性的でブロンドヘアが揺れる小顔を傾けて、これまた顔に張り付いている小さな唇を自身の舌で一度舐める。そんな様子を見た俺はワザと聞こえるように舌を打つ。
臭いがきついからか、目先にチカチカした景色が白く靄のように漂っている。
「冲矢。お前は最近、勝手に聖戦と称した独断専行の行為ばかりしているだろう。お前がどうなろうと俺の知った事じゃ無いが、ウチの事務所の規律が乱れるのをただ漠然と見ている訳にはいかない。お前がその気なら俺にも考えがあるぞ」
「うわぁ、怖いなぁ。まぁそう睨みなさんなって」
冲矢は錆びた金網の真ん中に背中をどっかりと預けた。かしゃりと歪んだ金網はそのまま体を囲いながら落ちて逝きそうな程軋んでいる。冲矢は張り付いた笑顔をずっと崩していない。
「まだ僕自身、黒いリンゴをこの目でハッキリと見たのは丁度五体目さ。その内に僕が内々的に処理した件数は二件。どうだい? ユキが気に揉む程の事はやっちゃあいないだろう。考え過ぎさ」
冲矢花火は胸元から取り出した粒ガムを口へと放り込む。辺りにほんのりブルーベリーの香りが漂い始めた。
「俺は何も件数を問題にしてなどいない。お前の言う内々的な処理の仕方が問題なんだ」
「そうかな? でもほら。アイツらをそのままにしておいたらさ、それこそこの腐った世界に害を生むでしょう。ま、僕としては正直どうなったって良いんだけど。なんだかんだ大きな危険は回避できてるワケだし。ユキのやり方だと結果、手遅れになるって話さ」
人を小馬鹿にしたように冲矢は口元を抑え、ククっと笑う。やっぱりどうにもこいつは好きになれない。
「でもまぁ僕もこの世界、なんだかんだで気に入ってるし。死んじゃった子達には申し訳ないけど、僕はこのやり方を変える気はさらさら無いからね」
「おい、冲矢」
言うが早いか、冲矢は入口のドアからこの場を立ち去ろうとしていた。開いたドアの前で冲矢は、こちらを一度振り返り見ると、その顔からはさっきまでの笑みは忽然と消え失せていた。
「ユキがどこまで考えてるかは知らないけどさ。僕はこの戦い、負ける気ないから」
そう言い残すと、冲矢はくるりと背を向けた。
「戦い……、か」
そう口にしてみると、どうにもその言葉は今の自分にしっくりくるものとは思えなかった。
けれど彼にも、今の自分にも結局それしか方法は無いんだろう。
一瞬、肌を刺すような冷風が入り口側からビュウっと吹き抜けた。
すっかり空になったプラカップを袋に入れ、またすぐに汚れるであろう磨いた武器手にする。
「冲矢」
「何、もう話は終わったよ、雪嶋檸檬」
「お前、檸檬食べたか」
口に残った苦みを噛み締めたまま俺は言った。冲矢は首だけ振り向くと、口角を上げて笑った。
「どうだろうね」
髑髏珈琲 雨宮悠理 @YuriAmemiya
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