朧気ステーション
「仮現運動」
ファー。
目の前を過ぎ去っていく車両は光を置いて流れていった。
わしは今、駅のホームのベンチに座って文庫本を手にしている。深々とかぶったつばのない帽子は目元を隠すのには少し心許ない。グレーのコートに身を包み、時おり走り去る電車の光とホームに備えてある微かな光を放つ電灯を頼りに文庫本を読み進める。
暫く、静かに読んでいた。
ホームを行き来する人の波はこちらに気づかない。じどうはんばいきが発する光の元に吸い寄せられる。あの光はわしには眩しすぎる。こう、細々とホームの隅にいるのが心地よい。
ふと、ページをめくる手がとまる。
背後の電灯からの光に影が射した。流石にこれでは文字が読めない。
顔を上げ、振り返ってみると、まだ年端もいかない少年が立っていた。
わしは、そのたたずまいを観察した。
すり減った靴底。首もとが緩んだTシャツに、ゴムの緩くなって下がっているズボン。
顔中ににきびをつけて、やや不機嫌そうな面している。長い前髪が目元を隠すのだが、滲み出る顔の表情というのは、表情筋の動きから分かる。
関心はこちらに傾いているようだ。
様子を見て概ね事情を理解できたわしは、少年を手招きして横に座らせる。
ぎこちない挙動でベンチに腰かけた少年は一言も発することなくうつむいている。
仕方ないので、わしはコートの内側を探り、懐から一冊の雑誌を取り出した。
「これでも、読んでいなさい。しばしの暇潰しにはなろう」
少年は、渡された雑誌を恐る恐る手にすると、上下左右に振って、それから首をかしげる。わしの手元に目を写すと、同じような持ち方で雑誌を手にした。
何年か前の科学誌だった。
少年は、指を使いながら必死に文字を追う。
「?」
「おや?分からなかったか。では、わしの本でも読むかね?何度も読んだせいでかなり痛んでいるがのう」
「───」
最後の一本が目の前を横切っていった。駅員はいそいそと帰り支度を初め、薄明かりが灯るプラットホームにはついぞだれもいなくなった。
いや、わしとこの子を除いて。
白んだ明け方の空が僅かに見えてきた頃、わしとこの子を迎えにそれはやって来た。
「えー。軒下住まいのおじいさんに、二丁目の三つ目の角の家の子だね。オッケー。どうぞご乗車ください」
にこりと微笑んで汽車より降りた黒髪の少年はわたしたちの前に立った。
「これ…………、何ていう?」
「これはどこまでも行く鉄道さ。ささ、わし達もいくとしよう。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせるなかなか粋な格好だね」
「おや?その科学誌は………難しいのを読んでるんだね。どれどれ?あっ、これは──」
黒い鋼の機体は勇ましい汽笛を鳴らし、鈍い光沢を照らつかせながらバスパートをソロで歌唱し、車輪を揺らした。わしは、慌てて汽車に乗り込み、肩を上下させ、入ってすぐの席に腰かけた。ふと振り返ると、先ほど汽車から降りてきた少年が隣に腰かけた。窓から外を伺うとするが、もう霧で何も見えなくなっていた。
無人のこの鉄道は一方通行。されど、どこへ行くのか某あるのか誰も知らない。
仮現運動 瞬間に現れたり消えたりすることで、まるで運動しているように見える現象。
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