ヒマラヤネコはイーハトーヴ
わたしは、今日も颯爽とヒマラヤの急峻な岩山をかけ登り、雪の野原を走り抜ける。イノシシやシカを見つけては駆り立てるのだが、むしょうにヒツジ肉が食べたかった。想像しただけで涎が垂れる。そして、ふと想起する。夏場に見た、野花は忘れられない。たった、半年の月日。人間はそう言うが、わたしにとっては15回しか巡ってこない風景なのだ。それは、およそ人間の保持する感覚とは違う。
冬のわたしは、せいぜい1800メートルくらいの標高の森林で生活している。獲物を捉えるためだ。ここら一帯は完全にわたしの領地である。よきよき。生息する生き物たちは、わたしに命という名の税を納めてくれる。
主に、腹のなかに、だが。
わたしは、所有権を強く主張する主義でしてね。人間の作るほうりつやらのそれとは通ずるものがあるやもしれん。排泄物や爪とぎの跡で、これみよがしに領地をかすめ取るのが流儀だ。隣の領主とも今のところは不干渉を貫いている。いつの日か、闘うこともあるやもしれんが、それはそのとき。
春が来た。
まだ、山の雪は解けないけれど。
パートナーを見つけ、夫婦関係になった。
そこから、すぐに子供たちができた。
人間は、こと子供を増やすのに躊躇するものらがいると聞く。そりゃ、産んだからにゃ責任を取らないといけない。
わたしは、難しく考えない。本能がなすがまま。種の繁栄のために必要な事だ。
このところ、近所づきあいが 悪くなったと思って隣の領土に侵犯してみたら、奴め、どこかに消え失せてしまってた。
何て、薄情な近所付き合いだ。
この隠遁な世の中で、断りなくどこかへ行ってしまうとは。
種の繁栄。
あるいは、遠い夢。
過去の栄華。
それでも、すがっては、いけないのだろうか?
夢を見てはいけないのだろうか?
わたしたちは、なんのために生きて、何のために種を成さんとするのか。
遠くで瞬いた星々は、何光年と経てこの星に光を届ける。
薄情な。
わたしが、あるいは我が子孫らが死んだとしても、うっとおしいほどに狂いざく星々め。
でも、わたしは願わずには居られない。
願わくば、我が身が果てようとも、星のように、後世にまで照らし続けるものでありたいと。
こんな時ばかしは、人間の趣とやらを感じてやらんでもない。
命は皆尊い……か。
わたしは、我が児の愛らしい顔を眺め、そう細々と考えていた。
今年で15回目の冬。
そして、雪が崩れ、解け、開けた山道にわたしは立つ。
他の野蛮な猫どもとは、違う。
真摯なわたしは、今際でさえも穏やかで思慮深いのだ。
いたずらに吠えることは無い。
悠々と、山道を登るわたしは、いまや猛々しい日の跳躍はない。
いちじつせんしゅうの想いとやらで、ただ登る。
ゆっくりと登る。
我が領地の重き税におびやかされる者たちは、喜んでいることだろう。わたしは、最後まで悪徳領主であったつもりだが、残された領民達を名残惜しく思ってしまうこの変な感覚は何だろう。
次第に、ヒマラヤの氷雪は晴れ、霧が吹き飛び、柔らかな日差しが降り注いだ。
わたしは、鮮やかなカーペットに静かに身を委ね眠った。
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