第38話

 彼の手から落ちた本と、彼の顔に浮かぶ戸惑い。白で統一された彼の服装は、夢道さんに重なった白い猫を思わせる。


「すいません、驚かせて」

「ここを教えたのは美結か」

「はい」

「余計なことを」


 彼は立ち上がり窓に向かっていく。落ちたままの本、気になるけど勝手に触る訳にもいかない。


「余計なことをしてるのは僕かもしれません。僕の中にマリーがいるんです。僕の目になって、見えるはずのないものを見せてくれる。黄昏庭園に……棲む妖魔も」


 彼は振り向かず窓の外を見上げだした。窓の先に見える午後の青空。黄昏時まで……あと数時間。


「僕はリリスを助けたいです。リリスと霧島さんに」

「君と話してから、僕は夢を見続けている」

「夢?」

「黄昏庭園の中微笑むリリス。おそらくは妖魔が見せる幻だ。醜い分身が僕を見下すとは」

「リリスが霧島さんを呼んでるんじゃ」


 彼が窓を開け、白い髪が風に揺れる。商店街で見た彼のうしろ姿を思いだした。


「リリスは霧島さんと同じことを考えています。霧島さんを助けてくれる誰か。霧島さんは助けを」


 リリスにとって彼は希望だ。

 彼を光へと導こうとしている。


「みんなの願いを集めてるんです。いっぱいになった願いがリリスの力になると信じて。リリスの願いと愛が、神と呼ばれる者に届けば……変わるものがあると信じるから」


 本棚にたてかけるように置いた紙袋。彼が見てくれると信じて。


 信じれば変えていけるものがある。時雨さんが言ってくれたことに嘘はないんだから。


「油絵とリリスから受け取った羽根です。物が秘める思い出を見せてくれるもの。僕が見たのはオルゴールの思い出でした。ずぶ濡れになって、綺麗な音が出せなくなったオルゴール。それでも思い出は幸せなものでした。油絵が秘める思い出も、僕が聞いたものより温かいと思います。それが……霧島さんの心に届いてくれるなら」


 空を見上げたままの彼。

 頭を下げ、本棚の群れから離れていく。出来るだけのことはした。あとは、彼を信じて待つだけだ。







 ***


 似たようなドアが並ぶ中、召使いに確認し客室のドアを開けた。


「あれ?」


 夢道さんと三上しかいない。

 嫌な予感が僕の中を巡る。


「三上、霧島達は?」

「夏美が霧島君の部屋が見たいって言いだして。野田君も一緒だと思うけど」


 やっぱり坂井か。

 霧島の部屋を口実に、母親と一緒に屋敷を見て歩くつもりなんだ。野田も一緒に行動だなんて。僕が椅子に座ってすぐ、夢道さんが紅茶を淹れてくれた。


「都筑君、聞けただけの願いをメモに書いたわ。彼女からはまだ、聞いてないんだけど」


 メモに書かれたもの。

 霧島の1日も長く彼と一緒にいられることと、坂井の玉の輿への強い憧れ。野田の生涯1番のダチに会えることと、好きなお笑い芸人に会えること。マメにスマホを見てるの、お笑い芸人のことを調べるためなんじゃ。

 僕にだけ笑顔を見せた野田。

 僕は願おうかな。

 野田がみんなの前で、笑える時が来ることを。


「三上は? 願いごと、なんでもいいんだけど」

「……私は」


 うつむいた顔が赤くなっていく。

 たぶん、三上の願いは僕のことだ。いいクラスメイトでいたいし、僕からは何も言えない。


「颯太君、みんなの願いを聞いてどうするの?」


 夢道さんと顔を見合わせた。

 彼と僕にしか見えない妖魔もの。僕がやろうとしていること、三上に話していいのかな。


「夢道さん、僕達のこと」

「話していいと思うな。あとになって後悔するよりいいでしょ?」


 夢道さんに重なる僕に微笑んだマリー。僕に触れたマリーの温もりが体の中を巡る。マリーが……背中を押してくれてるんだ。


「やりたいことがあるんだ。主人と一緒に……黄昏庭園で」

「何? そこには行っちゃいけないんでしょ?」


 僕は嫌な奴だ。

 坂井と野田がいないことにほっとするなんて。だけどふたりがいたら大騒ぎで、霧島を困らせることになりかねない。


「三上は信じる? 黄昏庭園に妖魔がいるってこと」

「妖魔? ……化け物ってこと?」

「みんなには見えないものだけど。僕が出会った天使が……妖魔に閉じ込められてる」


 三上の顔に浮かぶ困惑。

 無理もないよな。いきなりこんなこと言われても信じられない。それでも、話せるだけのことは話さなきゃ。

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