オモイデと黄昏のモノガタリ

幕間・夢道美結の巡る願いとキオクのモノガタリ

霧島貴音視点

貴音と美結・貴音と雪斗《1》

　肌寒さを感じ目を覚ますと、闇に染まりだした本の群れが見えた。

　昼過ぎに来た書庫室。

　埃の匂いに包まれる中一冊の本を手に取った。読み進める中、いつの間にか眠っていたらしい。

　執筆をやめ、ダークティアラの仮面を捨ててからの日々。考えることは僕に出来ること、するべきことは何かということ。そんなものはないと知りながら。

　僕は臆病者だ。

　霧島貴音という、与えられた運命を捨てることが出来ないでいる。捨てる方法があるはずもなく生きているだけの日々。　　

　雪斗は今日、ひとりで黄昏の終わりを見届けたのか。僕の部屋で、僕が煎れるミルクティーを待ちながら。

　そして……夢道美結。

　手作りクッキーを手に彼女が部屋に来る頃だろうか。僕がいない部屋から離れていればいい。

　夕食の知らせに訪れる召使い。彼女達に注意され、嫌な思いをする前に。

　本を棚に戻した時感じ取ったもの。

　埃の匂いに混じりだしたもの。僕と同じ匂い、彼女が来たのか。　

　リリス。

　姿は見えないが気配を感じる。

「姿を見せたらどうだ」

　答える声も現す姿もない。

「リリス、僕をからかってるのか？」

「怒らないでよ、坊っちゃん」

　闇の中、見えない手が傷痕をなぞる。

　見えないなりにわかること。

　リリスの顔には、僕を嘲る笑みが浮かんでいる。

　霧島貴音として生き続けること。それは……リリスの操り人形として生きることを意味している。

「ねぇ、坊っちゃん。どうして隠し事を？」

「隠し事？　なんのことだ」

「手紙が届いているでしょう？　送られた2人に黙っているなんて」

　手紙か。

　数日前、召使いから渡された2通の手紙。雪斗と美結に宛てて届いたものだ。封筒の裏に書かれた何人かの名前。

　おそらくは、雪斗の同級生が書いたものだろう。

　雪斗と会うために、教師と共に屋敷に訪れた生徒がいる。生徒の考えで書かれた手紙（もの）だとしても、彼らが何故美結を知っているのか。

　召使い達は僕が指示した通り、彼らを屋敷に入れないことに集中した。

　余計なことはしない。

　美結は1番の下っ端で嫌われた立場でもある。召使い達が僕の指示に、美結を呼び共に行動するとは思えない。

　彼女達が美結を嫌うのは何故なのか。わからないが、美結が訪ねて来た者と話していないなら、美結に宛てた手紙が届くなどおかしな話じゃないか。

「坊っちゃん？　私にまでだんまりなの？」

　見えない指が眼帯をなぞる。

　傷ついた左目も頬の傷痕も痛みは感じない。だが触れなぞれば、痛みの記憶が呼び起こされていく。苦しみは……浮かび上がる‼︎

　見えない腕を掴み、力任せにひねりあげた。腕が砕ける感覚のあとに続く、残骸が床に落ちる音とリリスの笑い声。

「リリス、知っているだけのことを話せ」

　背後から僕の髪を撫で、頬をなぞり始めた手。

　柔らかく温かな手は、間違いなくリリスのものだろう。

「今度はお前が黙り込むのか？　リリス、話すんだ」

「そんな口を聞けるようになったの？　随分と成長したものね……坊っちゃん」

　温かな指先が傷痕をなぞる。

　僕を見る誰もが嫌悪する傷痕（もの）。召使い達が仕事をこなし、指示に忠実なのは僕への信頼とは程遠いものだ。彼女達が働く理由は高額な給与に他ならないのだから。

　でなければ誰が訪れたいものか。住人達がいなくなった町の中、いつかは見捨てられていく屋敷になど。

　僕も美結と同じ……嫌われ者だ。

　——私の夢は、1番の召使いになって貴音を守っていくこと。

　美結の声が僕の中を巡る。

　叶わない夢と僕達に訪れる別れの時。

「怒らなくても教えてあげるわ。君は、私を楽しませてくれる可愛い存在だもの。私からの贈り物を手放さなければよかったのに」

　贈り物……ノートのことか。

　僕を支配し続けるリオンの影。

　吐きだした苦しみと、それを元に書き上げた黄昏の慟哭。霧島貴音だと言い聞かせることで、遠ざけることが出来たリオンへの恐れ。

　それがすべて、僕の錯覚だったとしても。

「坊っちゃんに興味を持つ人間がいるの。手紙を書いた中にいるわよ。きっかけは、坊っちゃんのノートを手に入れたこと」

　手に入れた？

　そんなはずはないだろう。僕が選んだのは寂れた店なんだ。あの時店にいたのは、ノートを買い取った老人だけだった。店の片隅で眠るノートに誰が気づくものか。

「ノートを手に入れたのは、都筑颯太という少年。私は彼にあるものを贈ったわ。思い出に触れ知ることが出来る物よ。坊っちゃんのことを知りたがってるから手助けしてあげたの。優しいでしよう？　私は」

「そんな話、信じられるか」

「嘘と思うなら、手紙を隠すのをやめなさい。私が彼に与えた物は、リオンの思い出に触れ知ることも出来る。私が作りだした思い出の図書館でね。楽しみね、坊っちゃんが、都筑颯太に興味を持つのかどうか」

　リリスの手が離れ、匂いも気配も消えた。ノートを手に入れた者がいる。

　都筑颯太か。

　僕に興味を持って何になるというのか。

　本棚から離れ、埃の匂いに包まれながら出口へと向かう。創造と執筆への願望を生んだ大切な場所。

　誰にも入ることを許さなかったが。ダークティアラの仮面を捨てた今、堅苦しい執着は必要ないだろう。

　雪斗の興味を引くものがあるだろうか。雪斗のために、書庫室の整理を。

「美結」

　嫌な顔をせず、引き受けてくれるのは美結だけだろう。明日にでも美結に頼もうか。

　ドアを開け、廊下を照らす照明に目を細めた時。

「貴音兄様‼︎」

　高らかな声が響き、温かな笑顔が僕を惹きつける。

　雪斗だ。

　持っているのは、ラッピングされた美結のクッキー。