貴音と美結・貴音と雪斗《2》
「よかった。ここにいるんじゃないかって教えてもらったんだ」
「美結がそう言ったのか?」
「うん。クッキー美味しそうだね」
「どうして、雪斗がこれを?」
僕の問いかけが奪った雪斗の笑み。それは同時に嫌な予感を呼び寄せる。
「さっきまで貴音兄様の部屋にいたんだ。貴音兄様が戻ってくるまで待ってるつもりだった。……それで」
微かな音を立てるクッキーのラッピング。それは雪斗の手に力が込められたことを意味する。
「ドアをノックする音がして、夢道さんの声がしたんだ。貴音兄様を呼んでたけど、僕……すぐにはいないと言えなくて。そしたら怒鳴り声がした。夢道さんが怒られて、怖かったけど……僕はドアを開けた。『怒るのやめて』って召使いに言ったんだ。貴音兄様はいないってすぐ言えばよかったのに。夢道さんは、僕の制服姿を褒めてくれたのに……嫌な思いさせちゃったな」
クッキーを持つ手が震えだし、雪斗は顔をこわばらせる。雪斗が孤児院にいた頃の、悲しみと恐れがそうさせるのか。
いじめられ仲間はずれにされた日々。大人達の前で仲良しを装った子供達、壊れていった雪斗の心。
雪斗と出会ったのは偶然だった。
誰もいない公園、ブランコに乗り涙ぐんでいた雪斗。
あの時何故、僕は雪斗に近づいたのか。
屋敷に引き取る前、公園で何度か待ち合わせ雪斗の話を聞き続けた。
出会ったばかりの頃、雪斗は僕を恐れていただろう。
黒い眼帯と傷痕、真っ白な髪と黒いコート。
死神を思わせる気味の悪い風貌。
それでも僕と暮らすことは、雪斗の救いになったんだろうか。
雪斗のリオンを思わせる物憂げな目。
屋敷に引き取ってから続く、雪斗への慈しみと憎しみの矛盾。僕に似た恐れを秘め、僕に恐れを呼ぶ面影を持つ。いつかは別れ離れていく少年。
「貴音兄様、どうしたの?」
「すまない、少し……考えごとを」
「これ夢道さんから受け取ってきたんだ。貴音兄様に渡してあげるって。僕にも焼いてくれるって言うけど大丈夫なのかな。休憩中に焼くにしてもみんなに睨まれてるんだよ」
雪斗の背中を押して歩きだした。物憂げな雪斗の横顔と窓を染める夜の闇。
「貴音兄様、どうして夢道さんは怒られるんだろう。召使いのみんな……僕には優しくしてくれるのに」
通り過ぎる召使い達が僕達を見て頭を下げる。
離れた先に響く話し笑う声。
「夢道さん、ここ辞めたりしないよね? 僕が夢道さんだったら、たぶん……辞めちゃうけど」
「辞めはしないさ。美結の夢は1番の召使いになることだから」
「本当? それ夢道さんが言ったの?」
「あぁ。雪斗、まだ怖さを感じるか? 学校も見知らぬ人達も」
雪斗は足を止めた。
夜の闇に染まる窓は、鏡のような鮮明さで僕達を映す。窓に映る傷痕ですら、血が滴りそうな生々しさだ。
雪斗と美結が僕の血を飲んだなら。
不死の命を巡らせることが出来るだろうか。若いままの姿で、僕と共に生き続けることが。
だが……運命も命の巡りも、変えることを許されるのは神と呼ばれる創造主だけだろう。
「僕が勇気を出せたらいいのにね。貴音兄様に会えて、ここに来てから僕の世界は変わった。今が幸せだから怖いんだ。また傷つけられるんじゃないかって。僕が泣いたら、貴音兄様を……傷つけてしまう」
手紙のことを、今話すべきだろうか。
心を壊された雪斗にとって、書かれたものが恐れを呼ぶものでなければいい。
僕は矛盾を秘めている。
死神の翼から生みだされた
生きることに失望しながら、ふたりを想い案じている。
「制服すごく気に入ってるんだ。夢道さんに褒められて想像出来るようになったんだよ、同じ制服の友達に囲まれてる僕を。貴音兄様にも見せてあげなくちゃ。僕にお似合いの制服姿を」
微笑む雪斗の顔が微かな赤みを帯びる。
住人がいなくなった町。生きる力を無くし、廃墟となった町並みは雪斗にとって天国なのだろう。
ここには自身を傷つける者はいないのだから。
雪斗に会おうとした教師と生徒。彼らにこの町はどう見えただろうか。気味の悪さや恐れを捨て、書かれた2通の手紙。
美結に宛てて書かれた手紙、何が書かれているのか。
「都筑颯太」
「何? 貴音兄様」
「ただの独り言だ。雪斗、明日またミルクティーを飲もう」
「うん。いつか夢道さんも招待しようよ。黄昏時のティータイム。夢道さん、喜ぶんじゃないかな?」
歩きだした雪斗を追いながら窓を見た。
闇に落ちた黄昏庭園。
そこに隠れ蠢く異形のもの。
僕とリオンの不死の血が混じり生みだした妖魔。
妖魔が目を覚ます黄昏時。
それが意味するものは、僕とリオンの絶望の嘆き。
そして……足掻き生きようとする願いへの執念だ。
どんな姿になろうとも願いを選び生き続ける。
醜くとも
恐ろしくとも
足掻き
苦しみながら
ひとつだけの願いを……求め続ける。
人になりたい。
僕とリオンの絶望が希望に転化するなら
何かが変わっていくだろうか。
僕のリオンの悲願の果てに。
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