第497話 『レイモンド』
「そうか、王子が無事――ということは、
肩を竦め、細身の壮年男性は吐息を落とす。
やれやれとでも言わんばかりのその態度を目の当たりにし、現状を報告に来た青年――レオンハルトも少々困惑気味である。
ケンヴィッジ侯爵家総領娘のアイリスと近々婚姻予定である、王家傍流の公爵家の次男坊。そして彼はクローレス王国の正式な王位継承権順位内で、王子のアーサーに近い立場でもあった。
年の離れた兄は公爵家を継いだばかりということで、正確には公弟の立場のレオンハルトだが。
突然『悪魔』が蘇り、信じられない事態に陥ったということで混乱する街の中、渦中でも冷静に行動をとれた方だろう。
今日生じた出来事の根幹を知る人間の一人、ヴァイル公爵レイモンドのもとに急ぎはせ参じた。
城内から脱出する際王子が健在だったという情報を持参してきたのだから気の利く青年だ。
レイモンドはそんな彼を後ろに従え、公爵邸の一角にある『地下室』への扉を開ける。
その中に迷いなく入っていく彼にレオンハルトは付き従い、滑らないよう足元に気を付けて二人は地下へ降りていく。
地上では建物の倒壊する音、そして地面が大きく何度も揺れている。
だが暗く締め切った広い地下室の先に進むと、禍の音が徐々に遠ざかっていった。
「……ここは何ですか? 公爵」
「端的に言えば、復興用物資を保管している場所――だな」
彼は手に持ったランプを掲げ、周囲を大きく照らす。
そこには多くの米や小麦などの食料が埋め尽くされ、奥には金塊が山となって積まれているのも見える。
「『悪魔』が蘇れば、多くの街が壊されることは予想がつく。
戦禍に等しい有様になるだろう、その立ち上がりに必要な資材は可能な限り蓄えてある。……まさか本当に使うことになるとは思わなかったが、致し方あるまい」
レオンハルトは辺り一面に広がる、桁外れの備蓄品の類を眺めて息を呑んだ。
「公爵。
私は今まで貴方がたの話を聞き、指示に沿うように行動してきたつもりです」
「……そうだな」
『聖女計画』なんて実現不可能に近いだろう夢物語に等しい。
それを実現させようと思えば当主三人だけでは到底無理な話で、それぞれ計画の基幹部を知っている協力者が存在する。
例えばエリックの協力者がシリウスだったり。
ダグラスの協力者がバルガスだったり。
彼らと同じように、レオンハルトに協力者としての白羽の矢を立てた。
全く乗り気でなかった彼だが、計画の成就によって誰よりも立場的な恩恵を受けるのはレオンハルトということになっている。
――王子が悪魔になり、聖女に倒されてしまえば当然次代の国王に誰かを据えなければいけない。
自分達の都合の良い、傀儡の王の身を納得し引き受けてくれるレオンハルト。
彼も彼で大いなる打算があったのだろうが、実際に良く動いてくれたと思う。
ただ、この計画自体は自分達が介在する余地はほとんどなく、成り行きを見守り――大方の場合、何事もなかったかのように放棄すると考えるのが普通だ。
きっと聖女の卵は今まで通り危険人物として監視され今後排除されるのだろうし。
レンドール家を黙らせるためカサンドラも排除し、正式な王子の婚約者を立てることになるのだろうし。
悪魔が蘇るなんて状況は訪れないと思っていた。
出来る限り、計画を知る人間は少ない方が良い。
「私にはよくわからないのです。
宰相閣下の執念はどこから来るものなのでしょう。
自分が悪魔に成り代わってでも……という、それ自体が悪魔じみた考えです。実行に至った意味が分からず困惑しています」
「………そうだなぁ。正直に言えば、私もよく分からんのだ。
別にあんなものを蘇らせずとも、聖女候補は我らが手の内にある。
いかようにでも動きようはあった、王子を悪魔にすることなど諦め、別の方向を模索するべきだった。
しょうがない。
「計画自体、狂気の沙汰でしたね」
「……。今言ったところでどうなるわけでもないのだが。
ああ見えて奴は昔、実に理想と情熱を抱いた正義漢だった。
少々性質は違うが、奴の
地上では今、魔物や悪魔による破壊活動、侵略行為が継続している。
全く収まる事のない天井の揺れは、この場所も決して盤石な場所ではないことを彼らに教えるものだ。
しかし厳重に設計され守られた資材は今後の復興で必ず必要になる、悪魔の襲撃を受けた後の”奇跡の復活”を演出するのに入用なものだ。
これを置いたまま逃げる事は出来なかった。
「え、宰相閣下がですか?」
――密室の地下空間で、火気は厳禁だ。
本来ならパイプでも咥えたいところだが、状況がそれを許さない。
時間が過ぎ、悪魔が倒されることを地下で待ちわびることしか出来なかった。
既に凡人である自分達が手に負える事態ではなくなっているのだ。
後は無事に、エリックの描いた結末を迎えられるよう祈る他ない。
若い頃は、理想に燃えていた。
エルディムの三男坊だったが、親の跡を継ぐために厳しい競争を勝ち抜きようやく当主の座を手に入れた時にはレイモンドも驚いたものだ。
それもこれも、自分がこの王国を善くしていくのだという理想に燃えていたからだと思えると……変わった奴だな、と感じた事を覚えている。責任を負うこともなく、適当な領地をもらって悠々自適に暮らす選択もあっただろうに。
弱い者が虐げられ、奪われるような社会に一石を投じたい。
学生時代の彼は寡黙ではあったが……
希望に満ちていたのだと思う。
だが現実は夢のように甘くない。
苦労して築き上げた地位は、決して全てが思い通りになる魔法の杖をエリックにプレゼントしてくれたわけではなかった。
全ての人間が自分に味方するわけでもない、敵も多い。
独裁国家ならまだしも、広大な王国でなおかつ中央、地方と別れて対立を繰り広げる王国を一枚岩にして確固たる施政を貫くことは大変困難なことだった。
王を傀儡とした”三家の支配”と言えば聞こえはいいが、それだけ制限も多いということだ。
一つを変えるだけでも莫大な時間と金、根回しが必要だ。
下手を打って長老たちから睨まれるわけにもいかず、結局”それなり””無難”な方向に舵を切らざるを得ない場面も増える。
いつの間にか彼は妥協を覚えた。
自分の足を引っ張る人間を陥れる方法を知った。
国の利益のためだと多くに目を瞑り、自分が立場を追われれば多くを巻き添えになると恐れを知り、彼の理念や理想はとうの昔に地に落ちた。
エリックにとって夢の終わりのようなものだったのだろう、とレイモンドは思う。
自棄になって悪事に手を染め低い方に流れていくような人間ではなかったが……
結局大改革など諦めざるを得なかった。
それは仕方のない事だ。
絶対的な権力を得たと言っても、全ての仕組みを変え不正な人間を糺すなど出来る事ではない。
既に慣習として組み込まれてしまった賄賂制度、規模が大きすぎて手を出すに出せない闇競売の存在……
外患誘致のような真似をし独立を目論む地方の内乱。
問題は噴出しているのに、それを一気に変えようとしたのに、現実という壁は彼を消沈させるのに十分だった。
既に発展を鈍らせ、落日寸前の熟れた果実の如きこの国は既に根深いところで目に見えないところから既に腐り始めている。
自分の権益を失いたくない特権階級が声高に叫べば、結託は揺るがない。
それは三家の当主になっても、結局核心的なところで変わらない原則。
自分に連なる者が多ければ多い程、守るべきものが増えれば増える程、選択肢は狭まり前例を踏襲することしか出来なくなる。
「自分の夢を子に託す――というケースとは違うかもしれん。
だがシリウスの語る『未来』は、図らずも奴が昔見た夢そのものだ。
有無を言わせず、圧倒的な悪である『悪魔』を倒した聖女が手に入れば……
聖女アンナがこの大陸を統一したように、再び絶大な影響力を持って国造りに励めるわけだ。
聖女の言葉は神の言葉。
世界を救った聖女の後ろ盾を持つことが叶えば、やりたいことの多くを実現することもできるだろう。
かつての三家の祖先がそうしたように、な。
もはや神の手で、国を治めるのと変わらない。
錦の御旗を翳して民衆の支持を集め綺麗ごとに過ぎない『善政を敷ける』など、夢のような垂涎ものの話なのだよ。
少なくとも彼らのような
「ではこの惨状は全部シリウス君のためなのですか?
彼が今後、夢を叶える事を託したと?」
「……さあな、奴の胸中は知らん。
しかし悪魔が倒され、聖女が人類の味方で感謝すべき存在であると証明するべきだ。そう彼が信じていた事は確かだろう。
規格外の力を持つというだけでは、救国の祖にはなれん。ただの危険人物に過ぎない――それがエリックの拘りだったからな」
ただ”聖女である”というだけでは、施政に利用するための民衆の支持に足りないと彼は信じていた。
自分達を危険から救い、命を懸けて守ってくれる救国の英雄だから人は彼女を支持してくれる。
必要なのは、大陸中の民衆の”支持”、奇跡を示し貴族達にさえ有無を言わせぬ神の
特別な力があるというだけの聖女を三家が囲ったところで、暴力装置を後ろにつけて民衆を言いなりにさせる図と大差ない。理想とは全く違う方向からのアプローチだ。
だから――
己の眼鏡に適う能力と人格を持つ聖女を、自分達の手で英雄たらしめるなどという荒唐無稽な計画を彼は提唱した。
僅かでも可能性があるなら、と賭けた。
絶対的な悪役が必要だと信じ、彼は悪魔の封印を解くと決めた。
邪魔な王子に”それ”を押し付けるのがベストな選択肢で。
叶わないなら、次善の選択で自らがそれを担う。
かつて自分が見た理想を現実にするためだ。
求める理想の姿が同じなら、叶える者は自分でもシリウスでもどちらでも構わなかったのだろう。
「ああ、シリウスへの愛情ゆえだなどと噴飯ものの表現はよしてくれ。
道具扱いであることには、結局変わらんのだからな」
本当に息子の事を思っていたなら、大切なものを取り上げようとしたり親友を悪魔に堕とそうなどと言い出すはずもない。
夢を託すなどというセンチメンタルな押し付け――とも少々違うか。
彼は彼なりに、”こう在るべきだ”という望みを全部己の手で叶えている真っ最中なのだ。
大多数の人間にとって果てしなく迷惑で、残虐な選択で。
大勢を傷つける本末転倒な事態を演出してでも、『神が如き
馬鹿だな、と思う。
それを止めることを放棄した自分も同じく。
「そういうものに興味がない私には、本気で理解しかねる話だ」
レイモンドには彼の思考回路は全く理解が及ばない。
そこまでして成したい何かがあるわけでもない。
――闇競売組織をこの機会に壊滅させようと彼が言って来た時、話に乗っただけ。
ラルフにとって大切な人間を闇競売に関わらせることで問題を
このままではヴァイル家にとって禍をもたらすだろう娘のクレアをついでに処分することを許可しただけ。
今後当家を食い潰すだろう厄介な疫病神であるアーガルドの許から帰ってこないのであれば、彼女はもう娘とは言えない。
共に破滅してもらおう、と舞台を整えただけに過ぎない。
アーガルドと駆け落ちまがいに家から出て行った時、”自分の娘”は死んだのだ。あれはただの愚かな女だ。憂いを断つためにも、どうにかしなければいけなかった。
まさか”帰って来る”とは思わなかった。
憑き物が落ちたかのように己の軽率な行動を悔い、自分が悪かったと謝る姿に驚きながらもどこかホッとしたことを覚えている。
喜んで娘を生贄にしたかったわけではない、こういう結末なら別に悪くないのではないか。
最後の最後で計画が破綻した時、これで良かったのではないか? と安堵したものだが……
「うーん……
お話を伺っても、全く共感できないです。
今の立場でも、それなりに思うように振る舞われていた気がしますし」
だがそれでは不満だった。
制限付きの権力、周囲との折衝を擁する迂遠で回りくどいやり方、時として清濁併せ呑む必要のある施政に彼はうんざりしていた。
思うままにいかない。
それは当たり前のことで、でもどんどん当初の理想から遠ざかっていくことが彼は嫌だったのだろうと思う。
かつて自分が嫌っていた”腹黒の狸ジジイ”になってしまった事も含めて。
「――そうだな、うん。
だが私は……結局、あいつらとは腐れ縁。友人だからな。
……ダグラスの奴が自分の存在意義に悩み、生きる意味がないというのなら活躍の場を与えてやりたいとも思う。
……エリックが腐った今の国の根幹からやり直して理想の王国を作りたいと言うのなら、すれば良いと思う。
元々こんな計画など形になるわけもないとタカを括っていたというのもあるが…
誰かが後始末を請け負わなければ、収拾がつかないだろう。
今回、私がその役回りだったというだけの話だ」
やはりレオンハルトは肩を竦める。
「さて、この状況を計画の成功と言うのかは知らんが。
全てが終わった後はお前の望みを叶えてやらねばならんな。
当初の約束通り、王子が生き残っているのだからお前が王位に就くことは出来ん、それは良いな?」
「ええ、別に構いませんよ。
私も別に王位を簒奪したかったわけでもありません、他に王に立てる人がいないのなら引き受けるくらいの心持ちでした」
「案外欲が無いな」
彼も自分と同じで、そこまでこの話自体に乗り気だったわけではない。
それは彼がティルサで騎士のアンディを”殺してこい”と言われ、結局それを諦めて帰ってきたことからも明らかだ。
状況が変わったからというのもあるだろうが。
「アイリスの王妃姿は似合うだろうと思っていましたが、無理強いするものではありませんしね」
「では――……
ケンヴィッジの三姉妹に制裁を下すという約束くらいは果たしてやろう。
この惨禍で生き延びていれば、の話だがな」
自ら手を下したくても、仮にもアイリスの腹違いの妹である手前証拠を残さずに成し遂げる事は難しい。
アイリスや彼女の従妹であるキャロルを虐げ我儘放題にふるまう彼女達を許す気にはなれず、どうにか罰を与えたい。
ささやかな望みだが、腹に据えかねていた彼はどうにかして彼女達を追い落とし報いを与えたかった。
「どんな目に遭わせてやりたいのかは知らんが、希望は叶えてやろう。
あの三姉妹の存在自体が許せないと言うのであれば、この混乱期に乗じて全員始末させても良いが。
辱めを与えたいと言うのなら、公衆の面前で三人をつるし上げれば良いのか?
……醜く貧しく、不幸が約束される縁談を組ませるよう働きかければ良いのか。
奴隷として売り払いたいとでも言うなら、東に伝手はある。
ああ、事態が落ち着いた後、三人を砂漠の向こうへ捨てて来ることもできるが」
「いえ、良いんです。
……私はもう彼女達をどうこうするつもりはありません」
人を傷つけ悪い事をする人間は相応の報いを受けるべきだ。
周囲ばかりが傍若無人な彼女達の我儘を我慢しなければいけないのはおかしい。
他人を傷つけた分だけ、痛い想いを彼女達も受けるべきなのだ。
そう淡々と語っていた彼もまた、憑き物が落ちたような表情をしている。
「……あの騎士を射抜くことに失敗した後、追撃をしようかどうか少し迷いました。
でも、良いんです。
貴方の
彼女達が泣いて赦しを乞わないとアイリス達の気持ちは晴れない、私も溜飲が下がらないと思っていたのです。
ですがアイリスは今、幸せそうです。
……三人に変化が見えているようで」
それにはレイモンドも驚いた。
侯爵が愛妾の娘を猫かわいがりしていることを知っていたし、実際に見たことがあれば――
人を不快にさせることに長け、矯正の余地もない歪んだ人間だという印象を抱くだろうから。
いかにアイリス達周囲の人間が我慢を強いられていたのかという話も聞いたことがある。
「私は何も要らないです。
そもそも、この話を持ち掛けられた段階で私には引き受けるか口封じに殺されるかの二択だったでしょう?
どうせ利用されるなら通れば良い、その程度の希望でしたしね。
……それよりも、壊されてしまった街の復興の事を考えると……頭が痛いですね。
これだけの資材があっても、行き渡るかどうか」
頭上の天上、岩盤が振動する。
想像以上に魔物の数が多く、ここから一人でも多くの人を助けなければいけないとなると骨が折れる作業だ。
「はぁ……。
最後まで面倒を押し付けて逝かれるとはな。
――愛想も尽きるわ」
今後の事を考えると、腹を括らざるを得ない。
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